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はる 2807
「おくりびと」に関係して、すこし考えてみたい。私のペンネームである「あそびべ」のルーツは古い日本の部民から来ているのだという話はどこかで書いた。で「遊部」といわれる人々はどんな仕事をしていたのかといえば、実は天皇の死に際して葬送の音楽を奏でて慰めたりそういった類の仕事を主にしていたらしい。
まぁこれは白川さんの話からの推測に過ぎないのだけれど、「あそぶ」ということが本来「かみがかる」状態をさしていたということだから、歌舞音曲にあわせて舞い踊って「あちらの世界」と「こちらの世界」の橋渡し的なことをやっていたのではなかろうか。
能の最初の翁の舞いというのも「あちらの世界」と「こちらの世界」の橋渡し的な意味があるというようなことを聞いた。要するに昔はこの世とあの世が並列して存在していて、行ったりきたりすることは特別なことではなかったのではないかと思う。
しかし、一方で現実的な死を扱う仕事というのは忌み嫌われていて、一種不浄な仕事として差別されていた。「穢れ」とか「祓う」「清める」などの言葉が日本人の根深いところでまだいまだにいきていて、今回の「おくりびと」のワンシーンでも「穢わらしい!」という言葉が突然出てきたので耳に残った。
皮肉なことなのだが、多くの芸能のルーツは猿楽能や白拍子の出雲の阿国にしても非定住民の流れ者が担っていて、それらがなければ多くの芸能は血の通ったものにはならなかっただろう。これはどこの国でも同じようで、ジプシーのフラメンコやロマ族の職人技なども似たようなところがある。非定住民は一種恐れられて嫌われてもいたけれど憧れの対象でもあった。
どこか旅して流れ者のように暮らしたいという私のルーツはどうやらそんなところにあるのじゃないかな。
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