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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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Evacuate FUKUSHIMA - 福島の子供を守れ
長谷川きよし 死んだ男の残したものは




 
はる 3702
 いつの間にやら、カウントは三千七百を越えた。どこまで伸ばせるのかね、楽しみでもある。

 長谷川きよしの歌唱力もあるのだが、この時期この歌は切実に訴えかけるものがある。我々はとんでもないものを残してしまったなぁ・・。

   死んだ男の残したものは
谷川俊太郎作詞・武満徹作曲

1.
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

2.
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

3.
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

4.
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

5.
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

6.
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない


 


Bamboleo - Gipsy Kings




Gipsy Kings - Djobi Djoba



山梨県立美術館県民ギャラリー
グループWOW
8/9~14




 
はる 3682
 来週は早々に実家に帰ります。お袋の新盆というわけだ。身内を含めてまわりの人のことは出来るだけ書かないようにしている。褒める事もけなすことも結局は同じことなので、こういっただれが見ているか、読んでいるか分らないものはどこで、どうやって人に迷惑を掛けるか分らないからね。まぁそれでも自然に分ってしまう事は仕方ないけれどね。

 この間のなでしこの選手のプライベートの写真がネットでもれた事件でも、彼や彼女には全く(彼の方はわからないけれど)悪気はなかったように思う。これだけ大きな事件になるとは思っていなかったんだろうな。普通の二十歳の女性が一躍スターになってしまって、公と私が全くない状態になってしまったのだから、今まで通りしゃべって写真撮ったら大きな事件になってしまった。

 特にマスコミはスキャンダル、あら捜しが仕事だからね、完全に餌食になってしまった。考えて見れば二十歳そこそこの娘だよ。インターハイで優勝ぐらいの簡単なのりで身内で大騒ぎぐらいするよな。お酒も飲むだろうし。まぁ馬鹿がそれをネットに載せて自慢したのは軽はずみだったけれど、それも自慢したい気持ちはよく分かる。私だったら自慢しまくるだろう。

 そういった意味では、こういう匿名の誰でもが見ることが出来るサイトというのは怖いところがあるな。だから出来るだけ他人の事は書かない、載せないようにはしているつもりだ。

 そうなると本当に小さい自分の心の中を吐露するしかない。だからほとんどのブログやネットの日記は続かない。書くことがなくなってしまうからだ。

 ではどうやったら続けられるか、一つ教えよう。例えば目の前にある一つのもの、コーヒーカップとしよう。それがなぜここにあるのか、たまたま偶然なんだけれど、それがここにある経緯を手繰ってみる。そうすると、例えばどこかを旅したときに気にってとか、誰かさんの引き出物だったとか、何らかの関わりが必ずあるはずだ。

 その中で、自分との関わりを見つけてゆけば、それは自分を深く見つめなおすと言う事にもなってゆく。たまたま偶然に生まれてからずっとそこにあったというのであれば、反対にそれは凄い必然でもあるわけだな。

 文章を書くことは絵を描くことと良く似ている。特に私の描き方はそうやって心の中を見つめる事であるからだ。こころのデッサンだと思っている。


Keith Jarrett Koln Concert ~ first ten minutes

 審査というものはいつもどこか胡散臭いものを含んでいる。私自身多くの審査を受けてきたし、その結果に涙を呑んできた。何であの作品が選ばれて、私の作品じゃだめだったのか。そんな事を問うてみてもせん無い事なんだけれど、時の運、何かのちょっとしたさじ加減で大きく人生が変ってしまうこともあるわけだ。

出した以上結果を出すことを期待する。欲をかいているわけではないが、人である限り仕方ないだろう。どうでもいいなら最初っから他人の審査など受けない。

 絵で何とかしたいと切に願っていた若い頃は、世の中に受け入れられるためにはコンクールで賞を取るしかないと真剣に信じていた。だから出品できる公募には手当たり次第に出していた。今はじめて明かすのだけれど、安井賞の候補として推薦を受けた時が私にとって最後の山場だったかもしれない。結果は落選で終わってしまった。それ以降コンクールで何とかするという意欲が急速になえてしまった。

 イタリアのフィレンツェの花の大聖堂の大きなドームにしても当時の公募によって選ばれた作家が施工したというから、まぁいずれにしてもそういった選択肢しかないのかもしれない。 


 風呂に入ってきます。後書けたらまた。
 


 これは現代音楽の作曲家アルボ・ペルトArvo Part の作品。深い祈りを感じる。

 
 こちらは彼の作品ではありませんが、言葉はどうやらラテン語に似せた造語らしい。グレゴリア聖歌のようでもあり、どこか不安を掻き立てるようにも感じるな。
 
  今でもこの番組はあるのでしょうか?私が聴いていた頃は日曜の夜、まさにメランコリックな気分に拍車をかけるような番組でした。このバックに流れている曲はラフマニノフのヴォカリーズです。ラフマニノフといえばロシアの作曲家の巨人ですが、、こんなメランコリックな美しい小曲を書いているのですね。彼は多分うつ病だと思う。

 

 
 
 週に二度ほど出かける学校は実業高校だから運動部の部活が結構盛んで、何年かに一度は甲子園に出場したりする野球の名門高校だ。まぁそういった訳で他の運動部も盛んで、生徒は勉強に学校に来るよりも部活をしに来るという感覚かもしれない。

 私がこの学校に非常勤で教え始めたのは、一つは毎日勤める正規の教員がどうにも務まらなかったということが始まりだ。どうしても続けることが無理だと思ったので、とりあえず逃げたというのが本当のところだ。だから、絵を描くためにというのは方便でしかない。

 今でこそ、いっぱしの顔をしてやむにやまれぬ欲求があって絵の道にすすんだようなことを言ったり書いたりしているけれど、本当のところはそんな立派な理由ではない。単に働きたくないそれだけだ。

 子供の頃から日曜日の午後になると憂鬱になった。これはある種の気質の問題なんだろうけれど、大人になってもやりたくない事をやり続けなきゃならないのか、そんな人生はなんとつまらないのだろうと子供心に思っていた。みんなそうなんだろうな、程度の差はあるけれど。

 そんなだから、未だに学校のある日は腹具合がおかしくなる。家でも学校でも何回もトイレに行く。ひどい時は下痢だな。もう30年やっているのだけど、変らんな。長年やっているからそ知らぬ顔で、教師を演じる事はなかなか上手くはなったけれど、一生慣れないな。 

 そんな私でも、最近ちらっと幸せな気分になったときがある。なんだろうなぁ、まったく気分的なものなんだけれど、例えば放課後にブラスバンドのトランペットの音がパラパラ聞こえてきたり、野球部の生徒の掛け声や金属バットでボールをうった「コキーン」という音が聞こえたり、生徒がばたばたと階段をすれ違い様に「さようなら」などと声をかけてゆく。夕日が沈んでゆく。

 凄く言葉では表しにくい感覚なんだけれど、未完成の人間が何か一つの事に一生懸命なっている姿というのがいとおしいなぁと思ったんだな。今までかつて味わった事のない感覚だな。年取ったということかな。30年経って還暦近くなってやっと教師もいい仕事かなと思った。もっと若いときにこれが分っていれば私は教師をやめなっかただろう。まぁ今だから言えるのだけれどね。
「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」
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