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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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何かしら色々な物語が出てきた。上手く紡げたものもまた消えてしまうものもある。
 
 人間などという鬼ッ子のような生き物がなぜ生まれたのだろうか?マクロ的に見れば人類に限らず生物全般はこの地上に寄生したカビみたいなものだ。まぁ栄枯盛衰はあるけれど、お互いに共生しながらここまでながらえてきた。それにしても人類はここに来て勝手気ままに暴走しすぎる。地球が何年もかかって化石化して閉じもめてきた二酸化炭素を百年そこそこで吐き出そうとしている。コントロールできない核の脅威、オゾン層の破壊、遺伝子の操作などなど、ほとんど神の領域まで達しようとしている。で、他の生物を絶滅に追い込んで、いまだ増殖を続けている。エコだ、地球にやさしいなどと言っているが、結局のところ自分が少しでも生き延びたいからで、誰に対してやさしいといっているのやら、地球にとってはおまえらの存在が迷惑だと言われそうだ。

 コンピュータというのがいったいどこまで発展するのか、記憶の媒体としては、ここ10年ほどで考えられないくらい発達した。私のPCはウィンドウズ98の骨董品だが、このPCにはCDの再生装置さえ付いていない。別売りの機器を買ってつけた。当時はもっぱら記憶の媒体はフロッピーだった。それからOMなどというコンパクトなものも出始めていた。CDが出てきた時にはその容量のでかさと安いことに驚いた。それが最近はフラッシュメモリーが主流でCDの装置さえ付かないようになりつつあるらしい。何ともはや??時代遅れだ。

 不老不死は人類の長年の夢だ。生身の肉体ではそれは無理だろう。あらゆる宗教も神さんも、魂の永遠などという嘘か本当か分からんものを持ち出しているけれど、まぁあの世というのかあちらの世界は物語としては面白いけれど、多分存在しない。そんなものを期待しては当てが外れるよ。

 もうすでに研究している人は多いと思うのだけれど、人の記憶とか遺伝子情報を電脳情報に全て置き換えてしまえば、ある意味で肉体は要らないわけで、実際にはこの世に存在しなくても電脳上には生きているというそんなことが可能になるかもしれない。理論上不老不死となる。もっと考えれば電脳上で遺伝子の交配ができてあなたと私の子孫が電脳上で存在するなどということがありえるかもしれない。まぁこれはねぇマトリックスの世界みたいでありえない想像上の世界ではない気がする。

 人がこの地上に出てきた訳は案外そんなところに目的があったのもしれない。究極的にはありとあらゆる生物がこの地球上に現れてそして絶えていったそんな歴史や情報がが一編の詩のようになって光媒体に乗って宇宙に向けて発信されるのだ。どこでどう受け止められるのか分からないけれど、それが届いた世界でそこからやがて新しい生命が生まれる。遠い昔の地球のようにね。
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