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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 上の写真なんかでもそうだけれど、緑から青のグラデーションは人の心を和ませる効果があるように思う。遠い宇宙から地球を見た場合、他の天体とはまるで違う美しい青い球体が浮かんで見える。青いのは空気や水があるからで、その水が水蒸気になって雲を作ったりやさしく地上を包んでいるからだ。そう考えると青というのは生命の色ということが出来るかもしれないな。

 誰かが書いていたけれど、誰もいない黄土色の砂漠のど真ん中で、草も生えないような過酷な環境の中で生きていると、それはそれは激しい生存の欲求が出てきて『生きるか死ぬか」二者択一的な宗教が出てきて当然だ。反対に我々のようなどこでもかしこでも草木が繁茂して、二三日放って置けばかびて腐ってしまうようなモンスーンに生まれて暮らしているような民族には、どこにでも神がいるようなそんな多神教しか生まれないと言うようなことが書かれていた。

 もちろん、いいか悪いかなどという単純な話ではなく、人は生まれて育った環境に風土にどうしても左右される、それが当然な理だということだな。

 閑話休題
 今日新聞にこんなことが書かれていたな。人は生まれる時に狭い産道を通ってくるので、生まれてきた時のストレスが大人になっても随分残っているらしい。脳梗塞で倒れた方にある種のストレッチをしてゆくと一瞬輝く瞬間があるそうだ、それを「自分の体が帰ってきた」と表現していた。健康体であるとなかなか自らの傷というのかストレスというのが見えない、意識されない。まぁそれを意識せずに一生暮らせるならそれでもいいのだけれど、自分が弱くなった時や、体が弱っている時に一気に噴出してくるから、始末に悪い。

 同じような話だけれど、少し前に村上春樹のロングインタビューでこんなことが書かれていたね。

 「小学校の頃の話で、自分は極普通の中産階級の子供で、特別いじめられもしなかったし、傷つきもせずに育ってきたと思ってきた。だから何の問題意識もなく30近くなるまで小説を書こうとは思わなかった・・、という風に考えていたらしい。ところが小説を書き始めて、どんどん自分の中を下ってゆくと今までなんでもなかった子供時代が違った目で、感覚で捉えるようになった。

 親とか学校とか、まぁ色々な意味で既成の体制があるわけだ。子供は生まれて最初はそこそこ幸せに暮らしてゆくのだけれど、ある意味でどこかで規制がかかる。教育とか、しつけとか、規則とか、常識とか、世間体とかなんがか分からない、世の中の常識みたいなものに暗黙のうちに傷つけられているんだな」

 ストレスのない生活などない。どういう形にしろ多かれ少なかれ人はストレスの中で生きてゆかなければならない。生きると言うこと自体がストレスだからな。まぁいずれ必ず誰しもが全くストレスのない世界に行くことだけは確かなんだけれどね。それまでの辛抱かな。
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