忍者ブログ
画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
[53]  [54]  [55]  [56]  [57]  [58]  [59]  [60]  [61]  [62]  [63
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。




 
 新しい小品にかかる。何がいったい出てくるのだろう。最初はだいたいいつものようなものしか出てこない。それがやがて自分でも考えてもいなかった、思いがけないものになったりすると、面白いし、楽しいし、嬉しい。

 アイディアのストックはないので、いつもぎりぎりのところで生きている感じがしている。これを描いてしまえば終わりじゃないか、もうこれ以上ものはできないのじゃないか、といつも思っている。けれど実際はまた何か新しいものがでてくるんだな。他人が見れば同じように見えるかもしれないけれどね。まぁいいか。

 誰かが書いていたけれど、たとえば今回は半分だけの力でアイディアも半分、次に半分取っておくというようなことだと、結局その前の半分も生きたものにはならない。毎回全力で全てを出し切ったら、また新たなものが生まれる。もしそれで枯れてしまったらそれだけのものだったということだろうな。
PR



 
 音楽についての雑感。

 二十歳過ぎの頃、ジャズ喫茶というのがやたらと流行っていて、どんな小さな町に行っても一軒や二軒、気の利いたジャズを聞かせる専門の喫茶があった。店内はおおよそ真っ暗で、外の光になれた目には何も見えない。大きなスピーカーからは耳をつんざく様な大音響のジャズが流れていて、いらぬおしゃべりをしていると『静かにして下さい」などと注意される。そこの店主はどこも一様に変わっていて、我々お客が行ってもありがたがる風ではなく、さも面倒くさそうにオーダーを取りにくる。そんなスタイルが若い私にはすこぶるカッコよく思えた。

 音楽は元々好きで、なにぶん当時はフォークソング全盛の頃だったので、ギターをかき鳴らして唄うというのはお手の物だった。ジャズと初めて出会ったのはいつ頃だったのか覚えていないけれど、歌謡曲でもない、俗に言うポップスでもない、クラシックでもない、何かしら大人びた、どこか退廃的で、見たこともない世界を見せてくれるような気がした。ジャズが出来るとは思えなかったけれど、いつの間にかドッとのめり込んでいった。

 当時のスターはなんと言ってもピアノのチックコリアとかキースジャレットで、今までのジャズのカッコよさとポップスの親しみやすさを融合してクロスオーバーと言われた。功罪は色々言われるけれど、ジャズが今までのようなアンダーグラウンドの音楽ではなく、陽のあたる表舞台に出てきたのはよかったのではないかな。CMなどでも取り上げられて巷で耳にすることも多かった。

 何でもそうだけれど、ブームになったものはそれと同じように忘れ去られるのも早い。今は彼らの名前を聞くこともほとんどない。かえってピアノならオーソドックスなビルエバンスなどの正統なジャズの方が残っているようだな。まぁそれも日常生活ではほとんど聴かなくなってしまった。

 制作の時に音楽は聴きますか?とたまに聞かれるが、元々ものを考える時はながらでは出来ないたちなので、音楽は聴きません。音楽は食事する時に軽いクラッシックをかける程度で、音そのものをうるさく感じるようになってきたように思う。なぜかな?



 
 クロッキーと作品を比べての話をしようかと思っていた。これもまたつれづれなるままで結論はないので聞き流してください。

 物を見て描く場合明らかに対象があるわけで、それを無視して描くわけにはいかない。反対に言えば対象があるから考えることなくそれに没頭できるから、余計なことを考えなくてすむだけ幸せな気持ちになる。ある意味でスポーツとか運動ににているかもしれない。体育会系のノリでやれるところもある。ふらふらになって何も考えられなくなった時の方がいい線が引けたりするからねぇ、ランナーズハイみたいなものじゃないだろうか。

 それに比べて作品は頭を使う。あーでもないこーでもないと始終行ったりきたりしてスカッとすることがない。目標が見えているわけでないので、どこに向えばいいのかはっきりしていない。物を描写しようとはしていない。だからリアルな表現能力が必要なわけではない。反対に今までのデッサン力などじゃまになるかもしれない。バラがバラに見えなくても、タイトルで「バラ」と言えば観る人には伝わる。そういう意味では言葉は大事かもしれない。言葉と絵との相互作用で浮かび上がってくるイメージが大事だな。

 描きながら考えること、思索すること、思い出すこと、イメージすること、雰囲気、そんなことの方が大事な気がする。

 どんな絵にも「これで決まり!」と思う一瞬がある。それが絵が出来たということだとおもうのだが、一定の法則があるわけでもない。前回上手くいったからといっても同じ様にやってもうまくはゆかない。これもまた旬があるのだろう。作品は生き物である。



 
 やっと一応の地塗りの作業が終了。ここから少しずつ形を見つけてゆく本来の仕事になってゆきます。周りをご覧になってわかるようにおしゃれな道具は一つもありません。百円ショップで購入した台所用品がおおいですね。絵の具を溶く容器は発泡スチロールのどんぶりです。パレットは使い古しの皿。これはなかなか便利に使っている。ライトは元々譜面台だった三脚の部分をりようしたものだ。

 リサイクルとか再利用などという意識で始めたものではない。そんな高尚な理念とか理想で始めたものでもない。元々持って生まれた「あるものでなんとかする」という発想からでたものだと思う。私に誇れる才能があるとすればたぶんこれかなと思う。

 今のスタイルも根本のところはこの「あるものでなんとかする」というところから出てきたものではないだろうか。こうやりたい、こう描きたいと思って努力したものではなくて、いつの間にか自然に身の回りにあるものを使っていったらこうなってしまった、というのが本当のところのような気がするなぁ。皆が皆そうする必要はまったくないのだけれどね。当然。

 カラスなんかもそうだけれど、都会で生きている奴らと田舎に生息している奴らでは巣の状態が違う。彼らが地産地消を意識しているとは思えないのだけれど、身の回りにあるもので巣作りをする。都会のカラスは色とりどりのハンガーやプラスチックの紐などで、田舎のカラスは木の根や枝を使う。

 今現在生きている我々は今、手に入る材料で道具で想いを伝えるというのがまっとうではないかと思うのだ。これが現代美術でなくてなんであろう?
nakukotohanais.jpg

「泣く事はない」
F6
 ここに自分の作品を晒すことは少ないのですが、下のクロッキーとの対比のためにあえて置きました。物を描くとか描写するというのは単純に目をレンズのようにすることです。最初の頃は兎に角写真のように描くことが一番と思っていました。かといって写真と同じように描いたからといって我々が実際に見えたように描けているかといえば違うのですね。そのことは随分と後になって気づいたことです。実はけっこう嘘を描かないとそれらしく見えないようです。

 写真というのは単眼なんですね。どんなに立体的にみえたとしても、それは一枚の映像でしかない。しかし、3Dの映画などで分かるように我々の眼は複眼で物をダブらせて頭の中で立体的な映像を感じさせているわけです。実際にそこに存在しない立体、奥行きを頭の中でイメージさせているわけだ。

 考えて見ると実際のモデルを見て描くというのは、実はものすごく複雑なこと自然にやっているんだな。二重写しになっている頭の中の映像から、取捨選択して一本の線にまとめ上げるわけだ・・・・・・・

 ・・・・・・・・・眠たいので、ミスタッチが多い。また明日かな。



 
 下の写真はパネルに麻布を貼りこんだ上に新たに布をコラージュしているところ。水に浸して乾かないうちにボンドをたっぷりつけて上から刷毛でたたきつけるように空気を抜く。これを怠ると空気が入り込んで隙間ができる。乾くと水分が適当にボンドの樹脂分を吸い上げて布と一体になった合成物になる。

 油彩は皮膜を作ってキャンバスに貼りついているだけなので、樹脂分が少ないと意外に簡単に下地のキャンバスから剥離してしまう。特に速乾性のテレピンを多用すれば絵の具に入っている油脂分だけなので弱い。

 どうでもいいことをだらだらと・・。

 水彩の伝統の国に生まれて、何のために油彩でなきゃならないのかがよく分かっていなかった。訳もなく西欧の文物に憧れた。結局はこと物質的には貧しかったということかな。舶来物や珍しいものに価値があるように思うのは今に始まったことではない。この国の生来の生きてゆく方法のように思える。

 仏教の伝来や西欧の文物がシルクロードを通ってやがては日本に到達した。考えてみれば我々の言葉そのものがそういった伝来ものの融合で出来ている。漢字、ひらがな、カタカナ、そしてローマ字。ありとあらゆるものを消化して吸収できる貪欲な遺伝子を持っている。そうやって今まで生き延びてきた。たぶんこれからもそうやって生きてゆくのだろう。

 たまねぎの皮みたいなもので、誰にも影響されない、唯一つのオリジナル(独創的)なものを探してゆけば結局何もなかったということになるかもしれないな。
 ****************************
 蔵出し
はる 2097
 オリジナルの話。とりとめもなく・・。

 originalは形容詞だから、名詞でいうとオリジン(origin)ということになる。

 中国には想像上の動物というのが結構たくさんいて、有名な所では竜や鳳凰なんかもそうだな。前に麒麟をモチーフに絵を描いた時に気付いたんだけれど、麒麟も実際には存在しない動物だ。

 まぁ不思議なことに鳳凰は西欧に行けば不死鳥フェニックスとなる、ここらあたりはどこがオリジナルなんだろうか。

 で、想像上の動物というのは考えてみれば、そのときの人間の理想や希望を表しているわけで、ただの絵空事だから無意味なことだとは言えないんだな。

 じゃあ、麒麟というのはどういった思いが込められているのかと調べてみた。
 
・・略・・

 とまぁ、こんな意味がこめられていたんだなぁ。ところで、きりんというのは、一角なんだな。一角獣ということでここでも西欧のユニコーンと関係してくるから面白い。

 ところで、このユニコーン(unicorn)というのは一つの名詞だと思っていたんだけれど、ユニ(uni)+コーン(corn)なんだな。ユニというのはなんとラテン語で一を表す、でコーンは(角)なんだそのままじゃないか!と思うなかれ。

 で(only one)のラテン語は(unicus ウーニカス)、ここからが面白い。この(uni)は(unique ユニーク)(universal 普遍的)とつながってゆく。

 ということは、オンリーワンの元の意味をたどってゆくと、ただ一つのものは個性的であるし、普遍的でもあるということになる。

 でさらにこの普遍的という意味を調べてみると、
 1.すべてのものにあてはまること。すべてのものに共通していること。
 2.宇宙や存在の全体にかかわっていること。

 結局言いたい事は、全ての源(オリジン)はすべからく自分のなかにあり、でそれは宇宙や存在の全体にかかわっていることでもある、ということなんだな。

 とりとめもない話で、すんません。まだまだつづく。

はる 2098
 オリジンの話3

 この(unique ユニーク)と(universal 普遍的)の話は、結構本質的な事柄ではないだろうか。

 どういうことかと言えば、まぁ普通に考えて(only one ただ一つの)ということは、掛け替えのない唯一のもの、そんじょそこらに同じ物があってはならない、ただ一つのもの、貴重なもの、という意味が込められているね。まぁだからこそそれが(ユニーク)個性的ということになるわけだ。

 (ナンバーワンよりオンリーワン)の歌詞に含まれている意味も、だから貴方は掛け替えのない大切な人なんだよという、多分そういったことが唄われていると思うんだな。

 ところで、もう一方の(universal 普遍的)の意味は、私は随分と考え違いしていたところがある。言葉の音として(不変的 変わらないもの 一定した)というふうに理解していた。

 絵を描くことは自分の個性をのばすことだ、いかに人と違うユニークな存在であるかそのことを確認する、そのことが一番大切なことだというふうに考えていた。独創性、オリジナリティが作家の生命線だと考えていた。

 しかし、ただ一人の存在であることは当たり前のことなんだな。他と違うことを競うことが最も大切なテーマである仕事など大した仕事ではないのではないか。

 自分のスタイルを作って喜んでいても、そんなものはいずれは真似されるかただの流行で終わってしまう。すぐにもっと目新しい作品に取って代わられてしまう。AのものをBにした程度の違いで個性だユニークだと主張するのもおかしなものだ。本質的に違いはない。

 ところで、普遍とは(すべてのものにあてはまること。すべてのものに共通していること)

 全く正反対のことなんだな。自分にしかないただ一つのものを探して、小さな違いをあげつらって喜んでいたんだけれど、そうではない、みんなに共通の何か、どこにでもある何かを見つけるんだよと言われた気がした。

 これは目からうろこだな。自分の進むべき方向を教えられた気がした。

 ******************************



 
 今日は一日外に出なかったので、まぁまぁ仕事がはかどる。といってもまだまだ地塗りが続いているので絵を描いているわけではない。まだもう少し残っている。

 上の写真をみても分かるけれど、大体赤系統の地塗りが五割、黄色系統が三割で後は青系統になる、比率でいえば7・5・3ぐらいがちょうどいい塩梅かな。これは全体の話だけれど、一つの作品でも同じことが言えて、主調になる色、中間色、反対色が7・5・3ぐらいになるようにする。

 例えばこれは個展などで全体の配置を考える時にも割りとこの比率を物差しにする場合が多い。同じ系統の色、形、にならないように工夫しているつもりだ。これもまたマトリョーシカ人形のようだな。どこでも同じ理でできている。
**
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]


(Design by 夜井)