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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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○○美術協会展
7/3~7/14
山梨県立美術館
 
 こういった地方の団体展はどこにでもある。ごたぶんにもれず高齢化が進んで、どこの団体も若い人の確保に四苦八苦している。中央の大きな団体も同じようなものだ。

 地方にはその地方独特の風土が育てた文化がある。何も中央だけが優れているわけではない。地方の文化が廃れてしまば回りまわって国の文化も廃れてしまうのだ。結局はその国の文化は地方が担っているといっても過言ではない。

 確かに都会は刺激的で変化に富んでエキサイティングではある、しかし反対に言えばガチャガチャと余計な誘惑がありすぎて惑わされることも多い。一度は都会に出てもじっくりいい仕事をするには、本当は田舎に住むほうがいいのではないかと最近は思う。

 井戸の中の蛙にならないように、田舎に住みながら世界を相手に発信してゆくそんなスタンスで暮らせれば最高だな。

 それにしても、これだけ地方が疲弊してしまえばもうじたばたしても遅いかもしれないな。なるようになる。必要なら残ってゆく。いらないなら消える。そんなものだ。
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 今日は一日美術館で受付。明日は審査です。



 
 あるブログを読んでいたらこんなことが書かれていた。「作家は人の最後の職業だ」上手いことを言う。その通りだ。
   ここ resonance

 例えば人生色々あって最後に死刑囚になってしまった、でも最後に本を執筆すれば立派な作家さんだ。宇宙飛行士から作家になってもいいし、普通の母親が子育てを書いても作家になれる。どんなに波乱万丈な人生を送ったとしても、どんなに極悪非道な輩でも、最後の最後に作家にだけはなれるのだ。

 だから、と言うんだな。最初っから作家になどなろうとしなくて、色んなことを経験して最後の最後の仕事として「作家」を残しておけと。

 そんなもんだな、作家を画家と置き換えてもいいな。



 
 今日はこれからワールドカップが始まります。あまり興味もないので実況は観ません。勝てば嬉しくてついついテレビを見てしまうのですが、どうもそればかりになってしまうとそんなに以前からサッカーファンだったけと覚めた目で見てしまう。渋谷の雑踏で騒いでいる馬鹿どもを見ると、成人式に酒飲んで暴れたり、奇妙な車に乗って「バリバリだぜ」というのと同じだな。周りが騒げば騒ぐほど、さめてしまう。へそ曲がりだな。

 香具師(やし)とか、傀儡師(くぐつし)というのも面白い。香具とは薬師(やし)ともかく、字のごとく香り物である薬などを売り歩いた渡り者を指していったそうだ。まぁ元来がお祭りとか祝日にお寺の境内や人の集まるところで、何かしらの芸をやってそういったマヤカシノ薬めいたものを売り歩いた大道芸人をさした。

 くぐつ師なども同じようなもので首からぶら下げた箱から小さな人形などを出して、手品や物語を語り聞かせたりした渡り芸人の一つだな。そんなものになぜ惹かれるのかよくは分からないのだけれど、自分の出身が淡路島というのがどこか関係しているかもしれない。

 文楽というのは本来淡路の一つの人形浄瑠璃の坐の一つであったそうだ。それがやがて人形浄瑠璃そのものを指すようになったのは時代の変遷があるのだけれど、重要なのはそういった流れ芸人の伝統があったということだな。まぁ具体的に自分の親戚にそういった人がいたということではないのだけれどね。昔家に文楽人形の本物があったからな。

 今年の団体展の作品のタイトルは「祝人」で普通は(いわいびと)と読む。でもそこにはある意味が隠されていて昔は(ほきひと)と読んだらしい。ほきひと→ほひと→ほいととなる。「ほいと」とは辞書でひけば乞食だな。ようするありがたい祝詞(のりと)を唱えて少しばかりのお布施をもらって流して生きている乞食芸人のことなんだな。

 アーチストなどというとすごく高尚なことをやっている人種かと勘違いするのだけれど、無論そういった人もいるかもしれないが、私などは上のような流れ芸人なのではないかと思うのだな。ぐつ)
 


 
 これはまた違う人がイタリアで買ってきてくれた絵葉書です。期せずして私はフランスとイタリアに行ってきたのです。このロバや馬、羊が出てくる図柄というのも何度か絵にしています。元々はジョットの↓が下敷きになっています。
 
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エジプトへの逃亡


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2010
相棒

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2010
ぼへみあん



 
 フランスに旅行に行っていた知り合いが私が好きであろうということで買ってきてくれた絵葉書です。フランスの田舎のどこかの教会にあるフレスコ画でしょう。タイトルはキリストと書かれてあるのでそれだけは分かります。羽が生えているのはなぜでしょう?

 剥落した質感も色の調子も時代がかってとてもいい感じです。もちろん宗教画なんですが、時代が経ることで生々しい宗教臭さが抜けて、一つのロマンテックな物語絵としてみることが出来ます。例えば日本で言ったら源氏物語絵や当時の巻物の絵物語などに近いかもしれませんね。

 美術がもっと身近にあって、芸術などという高尚なものではなく、毎日の生活の中で極普通に必要なものであった頃の絵だと思いますね。

 例えば今流行の現代美術が果たしてこれに匹敵するような「切実なもの」として作られているだろうか?ということだな。まぁ自分の作品の話で言えば,NOだな。明らかに作品に対する思い入れが違う。



 
 これが私のホームグラウンド。本当に小さなノート型のパソコンがあるだけ。これだけで一応世界中と交信できるし、自分のブログが日々発信できるのだ。考えてみると本当に不思議なものだ。

 我々が中学生だったころ、ハムといって個人の通信が流行っていた時があった。今でも時々大きなアンテナを屋根に乗せている家を見かけるけれど、世界中と交信できるというのがある意味売りだったんだ。今ではなんでもないメールなども一昔前はポケベルだったりしたのだから、こういった個人の通信手段というのは驚くべき進化だ。

 まぁ私個人としては、もうこれ以上複雑なことにはついてゆけないし、必要もない。こうやって日々淡々と日常を記録してゆくだけだろう。しかし、これがどこまで残ってゆくのだろうかね。ネット上にあるものはほぼ永久に存在できるのだろうか?例えば私が死んでホームページの更新が途絶えたとしても、必要な手続きさえとってあれば永久にネット上に存在できるのかな。

 こういった作家個人が管理しているHPなどというものはいまだかつてなかったものだから、そういった意味では全く新しい形の表現ということが出来る。今までも作家の日記を何らかの形で発表することはあったけれど、こんな風にダイレクトに日々更新されるということはなかったわけだから、どうなんだろうか。

 私のHPは「ここだけの美術館」ということで、私がいままで考えたり、やってきたことした事のほとんど全てここに残してあるつもりだ。10年前に大きな病気をしたときに自分の仕事をこういった形で残しておこうと思った。

 これからどうなるか分かりませんが、まぁ末永く付き合ってくださいな。



 
 知り合いから同人誌が毎回贈られてくる。こうやってひたむきに文学と取り組んでいる人たちがいるんだなぁと頭が下がります。まぁこれも形をかえた「私をみて」ということ事ですね。なかなか人間というのは業が深いです。
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「老いる」
F3
はる 3289
 正直なことを言えば、表現者という立場で考えると、今までは助走、仮の姿でしかない。いよいよ、これからが本番だ。何をほざいているのかと言われるかもしれないが、考えてみれば分かると思うのだが、技術とか感覚とかいうものは確かに若いうちの方が優れている部分も多い。特に体力勝負のような細密描写みたいなものは、多分若いうちにしか出来ないし、どうやってもピークは30前後できてしまうだろう。年取ってしまうと、根性にしろモチベーションにしろ長くは続かない。

 とんだ負け惜しみに聞こえるかもしれないが、(実際負け惜しみですが)早くして世の中に出なくて正解だったような気がしている。いや考えてみて、あまりにもピークを早いうちに作ってしまうと、息切れしてしまうだろうな。死ぬしか選択肢はなくなってしまう。

 才能がないものは長生きこそ才能だという風なことを聞いたことがあるけれど、確かに長く生きないと分からない事も多い。特に私のように生き様を晒してゆく芸人タイプの表現者は長く生きなければ芸が完成しない。

 多くの人がリタイヤして、ある人は悠々自適で孫の世話を楽しんでいる次期に、またある人はもう人生の表舞台から降りてしまっている時に、これからの20年ぐらいが、私の表現者としてのスタートである気がする。やっと何か入り口に立った気がするからね。 

 これは負け惜しみではなく、年を取るのがとても楽しみだ。どんな風に体の自由が利かなくなってゆくのだろう、どんなふうにぼけてわけが分からなくなってゆくのだろう?これを老人力というらしい。どんな風に自分の結末を付けてゆくのだろう?それを、その時々に考えたり感じたことを私は表現してゆく、これが私の生き様だから芸だから。 



 
 今日は朝から雨降り。梅雨らしい天気だった。

 バブルが華々しい頃、いや今だからバブルなどと言えるのだけれど、実際その時代にどっぷりつかっていると、それがおかしいとは感じないから不思議なものだ。まぁそれはさておいて、色んなところで冠のついた絵画コンクールが目白押しだった。月刊公募などという雑誌もあって(今でもあるのかしら)皆が皆賞金稼ぎのような、それが当たり前のような、出遅れては損をするといった雰囲気があった。品がないといえばそれまでなのだが、兎に角世の中全体が一攫千金をあおっていたようなところがあるなぁ。

 絵を描くことで、何とか世の中に認められる方法を模索していた当時、一番手っ取り早い方法がこういった公募、コンクールで言葉は悪いけれど一発当てることだと思っていた。それゆえ当時出品できるコンクールには手当たりしだい出していた。下手な鉄砲も数うちゃ当たるだろうを実践していた。同じような手法でAに出品したら、ほとんど変わらないような作品を作ってBにもCにも出していた。だめもとでね。

 まぁ確かに当時メジャーなコンクールで賞をどんどんとって売れっ子になった作家がいたけれど、さてどうなんだろう、今となっては一時の気まぐれ、時代に翻弄されていただけではなかったかと思うな。まぁ一時でも注目されれば御の字かもしれませんがね。幸いなことに私などは大きな受賞をすることがなかったので、今の自分がいるわけで、もしこれが何かの間違いで大きな賞を取っていたら人生の方向は変わっていたかもしれないな。俗物だから。

 芥川賞なんかでも、それ一発で終わってしまう作家も多い。そう考えると大衆路線の直木賞の方が実力的には上で後々まで残っている作家が多い。まぁこういったある種のばくちのようなコンクールは話題性はあるけれど、作家をつぶしてしまう可能性もあるわけで両刃の剣だな。

 今はもう全く、公募への出品もやめてしまったし、興味もないし、又そうやって認められたいなどとは思わない。いい絵を描くとか本物であるということと全く関係のないことで、そんなことで一喜一憂したくない、翻弄されたくない。
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