画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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はる 2909
今日は忙しかった。
人の一生など簡単なものだ。訳なく過ぎてしまう。過ぎてしまえばはやいものだ。例えもう一生あるとしても代わり映えのしない一生になるだろう。私という人間が変わらない限り変化もない。
我々ひとり一人はDNAの乗り物に過ぎない。どう生き様が彼らの知ったことではない。善人もいれば、何故こんな人間がこの世に存在したのかという極悪非道の人間もいる。善人だけ、必要な人間だけこの世に存在するとすれば、人類などすぐに滅びてしまったのではないかな。面白いことに善がそこそこあるように、悪も適度に必要だということだ。
細胞は日々新しくなってゆくわけだから、ほぼ永久に生き長らえて行くように思うのだけれど、どれだけなのか分からないのだけれど個々の細胞には寿命が決められていて、ある程度永らえたら再生できないようにプログラムされている。DNA君は古くなった乗り物を捨ててさっさと新しい快適な物へと乗り換えてゆく。
この地球上にとんでもなくバラエティに富んだ生物が存在するというのも、実はありとあらゆる場合を想定してDNA君が死に絶えてしまわないようによく考えられたシステムのように思う。一度途絶えてしまったDNAは多分二度とは復活できない。
個々の我々に存在の意味や意義ははっきりいってない。トータルとして少しでも遠いところにバトンを渡すそれだけのことだ。
DNA君の大きな間違いは人に考える脳を生じさせてしまったことだ。これは多分予想外のことだったのではないかな。この頭脳をもったことで、DNA以外の遺伝子(言葉)を人は持ってしまった。DNAは思考しない。考えることがない。それに比べて頭脳は迷う、悩んで、ゆらぐ。生物学的な遺伝子と作為的な我々の意思がどこかで対立して、両立できないとこに不幸があるように思うな。
まぁ、それもこれも神の配剤だといわれればそうかもしれないけれどね。
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