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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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はる 2914
 星の最後は超新星爆発してその成分を宇宙に撒き散らす、今地球上にある一部の元素もそうやって他の天体からやってきたものもあるらしい。

 人の人生に意味があるのか?ということを考えていて、さて我々ひとり一人は単にDNAの運び屋に過ぎないのではないか、もっといえばあらゆる生物は一つの「源」のバリエーションにすぎないのではないかと思い至った。でその「源」あらゆる手段を使って少しでも自らの分身を遠くに運ぼうとしているのだが、我々人類を作ったのにはそれなりの理由があるはずだと考えた。

 普通もし、単にDNAを遠くまで運ぶだけと考えたなら、こうやって意思ある生物を作ったのは間違いだ。我々人類はそういった意味では遠いところに運ぶ邪魔をしている。作為、意思、思考そのものが「源」の考えとは反対のことで、より遠くへ運ぶというだけならば人類を誕生させたのは間違いだった。

 それでも尚且つ、人類を誕生させたのには「おおいなる源」の意思だったとするなら、その意味は何だろう。少し前に考えたようにDNAを電脳に移し変えて宇宙に発信するというものなかなか面白いはっそうだけれど、たぶんそれは違うだろうな。そんなことをしなくともちゃんと情報は伝わるようにはなっているのだろう。もしそのためだとしたら、それはあまりにも危険すぎるだろう。

 最初に戻るのだけれど、この地球の物質には他の天体からやって来た元素も含まれているといったことを考えると、一つの星の滅亡は次の星の誕生に関わっている。この話は何だか我々生物の運命と似ている。

 眠くなった。続きは又。

 
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