画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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地塗りが終わって、布や土や絵の具を何度か重ねた状態。まだ何を描くのか決まっていない。しかしそうは言いながら、ぼんやりと敦煌の莫高窟やバーミヤンの壁画などの仏や菩薩、もう少し西に出かけてキリスト教のイコンやフレスコ画などがいいなぁと想っている。人が動物から「にんげん」になって、空いてしまった心の内側を埋めるには、どうしても「おおいなるもの」の存在が欠かせない。それがアラーの神なのかイスラムの神なのか古代ギリシャの神々なのか、仏陀や八百万の神なのか知らない。何かそんなものが出てこないか待ち構えている。
で、ゆっくりと現れたのが、こんな人だった。雷が鳴り出したのでここで一先ず終了。
再開。まぁ途中で泊り込みの仕事があったりしたけれど、ほぼ一ヶ月作品を観ていたことになる。色んなシーンが出てきたり引っ込んだり。人物も10人は出てきた。どれも今の私にはピンと来るものでは無かった。それでも諦めないでからかっていると、突然というのか、偶然と言うのか、形が具体的に見えてくるときが有る。往々にしてあまりに強いイメージは説明画になってすぐに飽きが来る。そんなことを描きたかったのかと自問する。
まぁそんなところかな。次にタイトルを考える。出来るだけ絵の説明から離れる。離れるのだけれど、それしかないというタイトルが必ず一つは世の中に存在すると信じる。それを見つけるのが作家の仕事でもあるのだ。「私の絵は護符とかイコンのようなもの」ということをどこかで書いた。その言葉が頭に残っていた。それを言葉で言えば何と言うのだろうと考えた。「おまじない」これさえ唱えれば「安心」するというような「秘密の言葉」があればいいなぁ、、などと想ったのだな。そんなところからこのタイトルととなった。
再開。まぁ途中で泊り込みの仕事があったりしたけれど、ほぼ一ヶ月作品を観ていたことになる。色んなシーンが出てきたり引っ込んだり。人物も10人は出てきた。どれも今の私にはピンと来るものでは無かった。それでも諦めないでからかっていると、突然というのか、偶然と言うのか、形が具体的に見えてくるときが有る。往々にしてあまりに強いイメージは説明画になってすぐに飽きが来る。そんなことを描きたかったのかと自問する。
まぁそんなところかな。次にタイトルを考える。出来るだけ絵の説明から離れる。離れるのだけれど、それしかないというタイトルが必ず一つは世の中に存在すると信じる。それを見つけるのが作家の仕事でもあるのだ。「私の絵は護符とかイコンのようなもの」ということをどこかで書いた。その言葉が頭に残っていた。それを言葉で言えば何と言うのだろうと考えた。「おまじない」これさえ唱えれば「安心」するというような「秘密の言葉」があればいいなぁ、、などと想ったのだな。そんなところからこのタイトルととなった。
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