画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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はる 3136
今回の個展は今までの延長上にはあるのだけれど、少し演出を変えた。それは松屋の会場がひろいということがある。あの会場にただ絵を並べただけでは、来ていただいたお客さんがすっと見てそのまま何の感慨もなく帰ってしまうのではないかと思ったからだ。
それとこんなことを示唆されたことが大きい。会場が大きい、それを埋めるのが大変だというけれど、確かにそうなんだけれど、あの会場を無料で一週間貸してもらった。自由に使っていいといわれた。そう考えたら、これほど恵まれたことはないのではないか。
生活の中のアートを提案すると考えたならば、私の日常生活を含めた生き方を紹介するといった展示にすれば、作家の紹介にもなるし、より深く作家を知ることで共感してもらえるのではないか。と言われたこと。
それから、こんなことがある。自分の絵にはある種の通俗性がある。まぁそれは自分で言うのもおかしいのだけれど、それが一種の魅力といえば言い過ぎか。嫌いな人にはそれが鼻持ちならない俗っぽさになるのかもしれないけれどね。
で、思ったのは、私の絵は美術館でありがたく鑑賞する絵ではない。どちらかといえば日常的な空間で、生活の中で楽しんでもらえたら、それはそれで存在意義があるのではないか。そんな風に思ったこと。
けれど、まぁそこそこに有名な作家であればこんな工夫をする必要はないのかもしれない。もっと絵に圧倒的な存在感があればこんな小細工をする必要はないのかもしれませんがねぇ・・。まぁこれだけの人間でしかない。
というわけで、今回は見てのお楽しみですが、最後の壁一面はこの一年間の日常生活の写真と、このブログからの抜粋です。恥かきもここまでやれば居直るしかない。これはまぁ冒険といえば冒険かな。
来週はもう御江戸です。
松屋の展覧会紹介記事
今回の個展は今までの延長上にはあるのだけれど、少し演出を変えた。それは松屋の会場がひろいということがある。あの会場にただ絵を並べただけでは、来ていただいたお客さんがすっと見てそのまま何の感慨もなく帰ってしまうのではないかと思ったからだ。
それとこんなことを示唆されたことが大きい。会場が大きい、それを埋めるのが大変だというけれど、確かにそうなんだけれど、あの会場を無料で一週間貸してもらった。自由に使っていいといわれた。そう考えたら、これほど恵まれたことはないのではないか。
生活の中のアートを提案すると考えたならば、私の日常生活を含めた生き方を紹介するといった展示にすれば、作家の紹介にもなるし、より深く作家を知ることで共感してもらえるのではないか。と言われたこと。
それから、こんなことがある。自分の絵にはある種の通俗性がある。まぁそれは自分で言うのもおかしいのだけれど、それが一種の魅力といえば言い過ぎか。嫌いな人にはそれが鼻持ちならない俗っぽさになるのかもしれないけれどね。
で、思ったのは、私の絵は美術館でありがたく鑑賞する絵ではない。どちらかといえば日常的な空間で、生活の中で楽しんでもらえたら、それはそれで存在意義があるのではないか。そんな風に思ったこと。
けれど、まぁそこそこに有名な作家であればこんな工夫をする必要はないのかもしれない。もっと絵に圧倒的な存在感があればこんな小細工をする必要はないのかもしれませんがねぇ・・。まぁこれだけの人間でしかない。
というわけで、今回は見てのお楽しみですが、最後の壁一面はこの一年間の日常生活の写真と、このブログからの抜粋です。恥かきもここまでやれば居直るしかない。これはまぁ冒険といえば冒険かな。
来週はもう御江戸です。
松屋の展覧会紹介記事
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