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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 吉田秀和の「セザンヌ物語」を読み始めた。どこかのブログを読んでいたらこの本の話が出てきて、あれ!あれほどセザンヌのことを気にしていたはずなのに、それから吉田の爺さんの話もよく書く割にはこの本のことはまったく認知していなかった。そうなんだ、吉田の爺さんがセザンヌについて書いていたのじゃ読まずにはおれない。文庫本になっているので簡単に手に入れることができた。

 なかなか難しい本で、まず最初と最後のあとがきから読んだ。まぁこれはセザンヌに興味があるか、絵を書いたことがある、絵に興味がある人しか面白くないだろうなと推察する。絵を描かない吉田の爺さんがここまでよく考察できたなぁと妙なところに感心する。一芸に秀でたものはすべてのことにつながって行くものなんだなと思った。中身のことはまた読み終わったら書きましょう。

 あとがきのところでパドバのスクロヴェーニの礼拝堂のジョットの壁画のことが書かれていた。感動的なのでそのまま引用する。

「パドヴァにあるクスロヴェーニのチャペルの内部をほとんど全面的に塗りつぶし、壁という壁に、いくつもの描き続けられたジョットのフレスコ画は、その一つ一つの絵のすばらしさだけでなく、その全体において、私にひとつの強大な真実を啓示した。
 それは、「すべては絵画として描かれることができる」あるいは「人間は天地を貫いて目に見えるものはもちろん、目に見えない精神心的出来事でさえ、すべて、絵に描くことができる」ということである。・・・・略・・
 建物全体を覆ったジョットの絵は、それでひとつの天地をつくり出し、その色と形だけでできた天地は、建物の内と外にある天地と全く等価の天地だった。そこには音楽さえあった。・・略」 
吉田秀和「セザンヌ物語」より

 
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