画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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はる 2695
例えば色んな雲の形から何かしらの形を見つけ出して話を作るとか、壁のシミや木目からヒトガタを見つけ出したりして遊ぶとか、そんなイメージ遊びは子供の頃に良くやったものだ。人は今までにみた風景や出来事を心の奥底にしまっていて、普段は何事もなく暮しているのだけれど、ふとした拍子にどこかで観たような不思議な感覚に捕らえられることがある。
人は何度もなんども同じようなシーンに出くわす。もう慣れっこになってしまって、何の不思議も感じなくなってしまっているけれど、実際は今日一日で一生分の出来事があったと同じなのでは無いかな。「博士の愛した数式」ではないけれど、数時間前の出来事を全て忘れてしまえば、日々が真新な驚きに満ちているだろう。
あぁこんなことを書こうと思って始めたのではない。
絵を描いていても段々につまらないものになって行くことが多い。最初のイメージは新鮮だった。絵の具のシミやムラから何かしらの物語が立ち上がってくる。そこを上手い具合にかすみ取るわけだ。これは面白いぞ!とやや興奮気味に声を出す。
けれど面白いのはそこまでで、後は描けば描くほど興味はなえて行く。仕上がりに近づいた頃はもうどうでもよくなっている。
理想をいうならば、何も考えずに無作為にどんどんいたずら書きをしていて、何時の間にか出来ていたというのがいい。そんなことは無理なんだけれどね。
またちょっと横道にそれてきた。続きは又。
例えば色んな雲の形から何かしらの形を見つけ出して話を作るとか、壁のシミや木目からヒトガタを見つけ出したりして遊ぶとか、そんなイメージ遊びは子供の頃に良くやったものだ。人は今までにみた風景や出来事を心の奥底にしまっていて、普段は何事もなく暮しているのだけれど、ふとした拍子にどこかで観たような不思議な感覚に捕らえられることがある。
人は何度もなんども同じようなシーンに出くわす。もう慣れっこになってしまって、何の不思議も感じなくなってしまっているけれど、実際は今日一日で一生分の出来事があったと同じなのでは無いかな。「博士の愛した数式」ではないけれど、数時間前の出来事を全て忘れてしまえば、日々が真新な驚きに満ちているだろう。
あぁこんなことを書こうと思って始めたのではない。
絵を描いていても段々につまらないものになって行くことが多い。最初のイメージは新鮮だった。絵の具のシミやムラから何かしらの物語が立ち上がってくる。そこを上手い具合にかすみ取るわけだ。これは面白いぞ!とやや興奮気味に声を出す。
けれど面白いのはそこまでで、後は描けば描くほど興味はなえて行く。仕上がりに近づいた頃はもうどうでもよくなっている。
理想をいうならば、何も考えずに無作為にどんどんいたずら書きをしていて、何時の間にか出来ていたというのがいい。そんなことは無理なんだけれどね。
またちょっと横道にそれてきた。続きは又。
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