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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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はる 3154
 久しぶりに学校に行く。個展があったり、学校のスキー教室があったりで、なかなか思うように授業が進まない。三学期は毎年こんな感じだな。こちらの都合で休むのは申し訳ないとは思っている。許してくれ。

 昨日のデッサンの話。なるほどなぁと自分で納得した。今までそんな風に考えたことはなかった。人物クロッキーやデッサンは結構好きなんだな。月に一度だけれど、もう随分と長くやっている。それで上手くなったか?といえば、それは昔に比べれば形は取れるようにはなったけれど、まだまだへたくそだ。

 クロッキーを始めたのは、最低限の描写力がほしいと思ったからで、まぁやり始めるとなかなか上手くならないので面白いということもあるな。

 もう一つは本格的なデッサンの修行をしていないというコンプレックスが根底にはあるんだな。私の卒業した学校は教育学部で絵の専門の学校ではない。それゆえにどこかまともな技術教育を受けていないのじゃないか、という気持ちがずっとあった。それがいままで人物クロッキーをやり通して来た根底の動機かもしれないな。

 でね、色々な話を聞くと絵の修行というのは、みんなそれぞれ独学でね、学校で手取り足取りで教えられるものではないらしいということが、薄々分かってきたんだけれどね。今ならそれも納得できるけれど、昔はそうではなかった。

 デッサン力を付けたい、というのがやはり直接の動機なんだと思う。誰も文句の付けようがないデッサン力を付けたいというのが、当初の浅はかな願いだった。やがてクロッキーそのものの面白さにひき込まれて行くのだけれどね。

 で、今は「見ないで描く」ということを本願にしている。頭の中にある形を出来るだけ何も見ないで想像で描くことが面白い。それも実物とそっくり同じである必要などないわけで、何かその様なもので、私の中にある「かたち」が描ければそれでいいと思っている。子供の様な絵が描ければそれが一番だ。

 「形がくるっている」「デッサンが違う」という無言の圧力(結局、それここれも自分の中にある声だ)から自由になるためにデッサンをするのだと思うようになった。

 
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