画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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「市中の隠」
http://www002.upp.so-net.ne.jp/viviplan/charo.html
「・・露地とは茶室に付属する庭で、茶室とひと続きの茶の湯の場として組み立てられ、必ず専用の道が用意された。町屋ではそれは隣家との間の細い通路であったりした。それで昔は<路地>と書かれた。利休は「数寄は路地入りにて見ること肝要」と、茶の湯は露地口を入るときから始まることを力説している。
また、茶の湯の礼法は封建社会における慣習とは異なり、平等な人間関係を基礎にしたものであったので、茶の湯の世界は住まいの中にありながら、日常性を越えたところになければならなかった。「市中の隠」「山居の躰(てい)」が理想とされたのである。路地は世俗から隔離するための結界であり、「浮き世の外の道」とされた。
そこで、聖が侘び住まいする山里の草庵を範とし、どのような狭い場所にも山居の趣をかもし出す巧みな作庭がなされたが、あくまで茶室への道を主体としたものであった。だから茶人たちは「ろじ」と呼び、精神的な含みを込めて<露地>の文字を使うようになった」
http://www002.upp.so-net.ne.jp/viviplan/charo.html
「・・露地とは茶室に付属する庭で、茶室とひと続きの茶の湯の場として組み立てられ、必ず専用の道が用意された。町屋ではそれは隣家との間の細い通路であったりした。それで昔は<路地>と書かれた。利休は「数寄は路地入りにて見ること肝要」と、茶の湯は露地口を入るときから始まることを力説している。
また、茶の湯の礼法は封建社会における慣習とは異なり、平等な人間関係を基礎にしたものであったので、茶の湯の世界は住まいの中にありながら、日常性を越えたところになければならなかった。「市中の隠」「山居の躰(てい)」が理想とされたのである。路地は世俗から隔離するための結界であり、「浮き世の外の道」とされた。
そこで、聖が侘び住まいする山里の草庵を範とし、どのような狭い場所にも山居の趣をかもし出す巧みな作庭がなされたが、あくまで茶室への道を主体としたものであった。だから茶人たちは「ろじ」と呼び、精神的な含みを込めて<露地>の文字を使うようになった」
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「市中の隠」と言う言葉があると教えてもらった。元々は茶の湯からでて来た考え方らしい。まぁ日本の文化はあまりに直截な自慢や表現を好まない。キンキラのゴテゴテを成金趣味とか田舎染みているとかいって嫌った。
まぁ高い文化いうのは嫌味な年寄りみたいなもので、知っている人には分るけれど、知らない人には教えないようなところがあって、ひたすら隠して分る人にはわかると納得する、そういう意地悪なところがあるな。そこがまた面白いところだ。骨董とかお茶の世界はそんな話のてんこ盛りだ。
今日も暑かった。地元の美術団体の展覧会の今日は総会やら授賞式などで忙しかった。
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