画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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はる 3671
暑い日が続く。そういえば、夏休みというのはいつもこんなかんかん照りの日々だったなと思い出す。じりじりと焦げ付くような太陽が恨めしく思ったものだ。
小学校の高学年の頃までは淡路島の母方の田舎に兄弟でよく泊まりに出かけた。今から考えると夏休みに五人もの子供がぎゃーぎゃー騒ぐのが耐え切れなかったので、分散させたのではないかと思う。
田舎の母の実家から見れば、ろくでもないガキが転がり込んで迷惑そのものだったろう。今でも兄弟が集まるとその時の話がよくでる。期間的には4,5年の話なんだけれど、子供の時間と言うのは長く、印象深く、強烈に残っている。
当時はまだ自動車など庶民の暮らしの中にはなくて、田畑はもっぱら牛や馬を使って耕していた。街中の生活しか知らない私にとって日常生活の中に牛や山羊鶏と一緒に生きている暮らしというのが、とても不思議だった。
こうやって言葉にすると、凄く簡単に理解したようにみえるけれど、そういった暮らしは今の生活と比べると実にエコでシンプルで理想的なくらしのように見えるけれど、反対に不衛生で不便で不自由なものだったように思う。
何を選択するかということかな。昔は良かったという後ろ向きな発想は何も生み出さない。そうではないのだな。新たな選択だと思うんだ。
どうだろう。
暑い日が続く。そういえば、夏休みというのはいつもこんなかんかん照りの日々だったなと思い出す。じりじりと焦げ付くような太陽が恨めしく思ったものだ。
小学校の高学年の頃までは淡路島の母方の田舎に兄弟でよく泊まりに出かけた。今から考えると夏休みに五人もの子供がぎゃーぎゃー騒ぐのが耐え切れなかったので、分散させたのではないかと思う。
田舎の母の実家から見れば、ろくでもないガキが転がり込んで迷惑そのものだったろう。今でも兄弟が集まるとその時の話がよくでる。期間的には4,5年の話なんだけれど、子供の時間と言うのは長く、印象深く、強烈に残っている。
当時はまだ自動車など庶民の暮らしの中にはなくて、田畑はもっぱら牛や馬を使って耕していた。街中の生活しか知らない私にとって日常生活の中に牛や山羊鶏と一緒に生きている暮らしというのが、とても不思議だった。
こうやって言葉にすると、凄く簡単に理解したようにみえるけれど、そういった暮らしは今の生活と比べると実にエコでシンプルで理想的なくらしのように見えるけれど、反対に不衛生で不便で不自由なものだったように思う。
何を選択するかということかな。昔は良かったという後ろ向きな発想は何も生み出さない。そうではないのだな。新たな選択だと思うんだ。
どうだろう。
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