画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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週に二度ほど出かける学校は実業高校だから運動部の部活が結構盛んで、何年かに一度は甲子園に出場したりする野球の名門高校だ。まぁそういった訳で他の運動部も盛んで、生徒は勉強に学校に来るよりも部活をしに来るという感覚かもしれない。
私がこの学校に非常勤で教え始めたのは、一つは毎日勤める正規の教員がどうにも務まらなかったということが始まりだ。どうしても続けることが無理だと思ったので、とりあえず逃げたというのが本当のところだ。だから、絵を描くためにというのは方便でしかない。
今でこそ、いっぱしの顔をしてやむにやまれぬ欲求があって絵の道にすすんだようなことを言ったり書いたりしているけれど、本当のところはそんな立派な理由ではない。単に働きたくないそれだけだ。
子供の頃から日曜日の午後になると憂鬱になった。これはある種の気質の問題なんだろうけれど、大人になってもやりたくない事をやり続けなきゃならないのか、そんな人生はなんとつまらないのだろうと子供心に思っていた。みんなそうなんだろうな、程度の差はあるけれど。
そんなだから、未だに学校のある日は腹具合がおかしくなる。家でも学校でも何回もトイレに行く。ひどい時は下痢だな。もう30年やっているのだけど、変らんな。長年やっているからそ知らぬ顔で、教師を演じる事はなかなか上手くはなったけれど、一生慣れないな。
そんな私でも、最近ちらっと幸せな気分になったときがある。なんだろうなぁ、まったく気分的なものなんだけれど、例えば放課後にブラスバンドのトランペットの音がパラパラ聞こえてきたり、野球部の生徒の掛け声や金属バットでボールをうった「コキーン」という音が聞こえたり、生徒がばたばたと階段をすれ違い様に「さようなら」などと声をかけてゆく。夕日が沈んでゆく。
凄く言葉では表しにくい感覚なんだけれど、未完成の人間が何か一つの事に一生懸命なっている姿というのがいとおしいなぁと思ったんだな。今までかつて味わった事のない感覚だな。年取ったということかな。30年経って還暦近くなってやっと教師もいい仕事かなと思った。もっと若いときにこれが分っていれば私は教師をやめなっかただろう。まぁ今だから言えるのだけれどね。
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