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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 第4回道(TAO)展
2010 1/14~1/19
ギャラリー&スペース
ハーパーズ・ミル

甲府市東光寺町1346
055-233-3157


 
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 第4回道(TAO)展
2010 1/14~1/19
ギャラリー&スペース
ハーパーズ・ミル

甲府市東光寺町1346
055-233-3157
 

 
はる 3128
 また日常が始まって、さまざまな雑用が私を追い立てる。そんな中昨日らい右目に少しの痛みがあって、午後になると白目が赤く充血してきた。今朝になって違和感があって鏡を見ると白目の部分がゼリー状に盛り上がっていた。まぁ午後になって次第に落ち着いて来たんだけれど、目は商売道具ということもあって、怖いのでいつも見てもらっている眼科に行くことにした。

 結果的には特になんでもない炎症ということだったけれど、何だかね最近は目の異常を感じることが多くなった。パソコンとか暗いところで本を読む機会が多いので、これまたよくないのかもしれないな。

 私の絵は細かい絵ではないので絵を描くことで目が疲れるなどと言うことはほとんどない。そんなことを考えると私の絵はオブジェに近いのかもしれないね。

 そうそう、面白いことを書いている作家がいた。絵描きを分類しているのだけれど、

1、売り絵の作家。昔から絵は建築と結びついて工房制作が当たり前であって、今のように芸術家などと言うものは存在しなかった。職人仕事であって、そもそも絵画の発生はそんなところから来ている。売り絵を描かないなどという作家は絵描きではない。

2、趣味的な作家。絵を売ることににもそれほど熱心でもないし、かといって芸術について革新的な発想をするわけでもない。けれども何だか一番偉そうにしている作家。

3、学問や研究として絵を描いている作家。セザンヌやクレー、モンドリアン、やカンデンスキーなどが入るらしい。これもよく分かる。

4、詐欺的な作家。名前だけ先行して、そんな気分だけを売って詐欺的にお金儲けする作家。

 最後に書いていたけれど、本物はこの全てを持っているような作家だそうだ。それも納得する。

 



 
はる 3127
 バブル全盛だったころの話。リゾート法なるものができて北海道の原野にでっかい完全冷暖房のでっかいホテルを中心に、夏はゴルフができたり、プールで遊んだりできる。もちろん冬場はスキーにスケート、温泉にボーリング、遊ぶことなら何でもござれの一大レジャーランドをぶち上げた会社があった。会社なのか法人なのか、流行の半官半民の第三セクターだったのか定かではない。とにかく全国各地にそれに類したような施設がぼこぼこと建っていた。

 今では笑い話のようだが、当時は真剣にそれがこれからの「レジャー」のスタイルだと真剣に考えられていた。

 あっという間に夢はしぼんでしまった。何が間違っていたのか、今なら少し分かる気がする。我々日本人にはそんな風に豪快に遊ぶ習慣がない。遊べないといってもいいのかな。レジャーランドは一度行けば二度目はもう行かない。遊ばせてもらう施設はやたらに疲れるだけだ。

 本当の遊びは「創造する」ところにある。木一本でも、鉛筆一本でもあれば十分に楽しめるのだ。

 勘違いすることが多いのだけれど、レクレーションとは「暇つぶし」ではないのだな。「新たに気持ちを作り直す」といったもっと積極的な意味がある。どうも我々の娯楽というイメージには仕事の合間の「暇つぶし」の感覚があるのだけれど、そうではない気がするなぁ・・。

 地域の活性化みたいなことを考えると、大きな力、例えば国とか地方の自治体などを絡めて考える、どうしても頭でっかちというのか、お題目は立派だけど、内容伴っていない場合が多い。お役人さんとは目線が違うのでねぇ、どうやってもうまくは行かない。大きな企業に資本を出してもらう話もないではないけれど、またぞろハウステンボスの二番煎じじゃなと危惧する。

 反対に地方の親方さんを頼みにしても自分の利益の確保に躍起になっているだけで、大きなビジョンが描けない。どちらもどちらだな。もっと大きなビジョン少なくとも20年30年先のここを想像して計画を立てられる大物がいないものかなぁ・・とは常づね感じることだ。

 本当はね、人材こそ地産地消で地元の人間が主体的に計画して実行してゆくべきなんだな。大きくやる必要はない。小さくても自分たちが抱えきれるくらいのところから出発すべきなんだろうなとは思うのだ。

 ある種の理想郷がここにはあるんだけどな。うまく活用できないでいるのが歯がゆい。

 



 
 午前中ちょっと野暮用があり、そのまま勝沼のぶどうの丘美術館まで出かけた。同じ県内の美術団体に属して最近はよくご一緒する小口精一さんの個展を見る。この会場はかなり広くて150号などというばかでかい絵も何点か飾ることができる。もう少し交通の便がよければ利用する作家も多いかもしれないな。

 小口さんの個展は残念ながら今日が最終日で、インフォメーションしてもあまり意味がないのでやめておきます。一ヶ月という長期の展覧会でお疲れになったでしょう。ご苦労様でした。

 午後からは自分の絵の額装にかかる。まだもう少し描きたい絵もあるのだが、小品はほとんど仕上がっている。最近の私が使っている額は後ろからネジでちめるタイプなので、これがけっこう手間取る。慣れないと失敗する可能性も高い。単純な作業なので根気さえあればやがては終わる。こんな仕事ばかりなら楽ではある。

 ここのところ、神戸に帰省していたときも含めて、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでいる。この作品を映像化するのを最後まで許可しなかったそうだが、そうかなり淡々と当時の戦争についてかかれている。読み方によれば右翼が喜びそうなことも書かれているので、ちょうちょしたのかもしれない。

 面白いというのか興味を持ったのは、当時の軍閥のトップの山県にしても海軍の東郷、陸軍の乃木にしても薩長から出ているわけで、それ以外はほとんど外様大名みたいなもので軍の大事な要職にはつけないようになっている。それが軍という戦争屋でさえそうなのであるから、あとは推して知るべし。誰が適任で能力があるからという人事ではなく、トップが薩摩なら参謀は長州にするといった、根回しというのかまさに官僚的な割り振り方をするわけだ。学閥、門閥、地域閥などなど、この閥というやつは、どこにでもはびこって集団そのものをだめにしてしまう。

 さてまた明日。



 
はる 3125
 やっとほとんどの設定を移し変えた。取り説がないので、細かいことはネットで調べながらやるので、案外時間がかかった。

 例えばネットにつなげるのに私はケーブルネットを使っているのだけれど、普通に電話線につなげればいいという設定ではないわけだ。ケーブルというのは考え方でいえば契約者がすべて大きな一つのグループになるわけで、そのための小さな機械(ランカード)が必要になる。そんなこともよく知らなかったのだが、今回調べてみて分かったことだ。

 で、調べているうちに最近のPCにはもうすでに内蔵しているということがどこかに書いてあった。さてさて、私の新しいpcはどうなのか?調べてみる必要がある。

 調べていくうちになんとこのpcの詳しい説明書が会社のHPにアップされていることが分かった。まぁ考えてみればあたりまえなんだけれど、これはありがたかった。で、ランカードは内蔵されているらしいということが分かったわけだ。ここまでで何日かっかっている。

 こうやって手探りで設定してゆくことは、だんだんに自分だけのpcになってゆくようでなかなか面白いことではあった。個展前の大事な時間でありながら、というのかだからこそこんなことで息抜きをしているのかもしれんな。 大事なテスト前になると分厚い本を読みたくなるのにどこかにている。能率の悪さは昔から変わらないということだな。 
 



 
 新しいpcより始めての更新。やっとネットにつながりました。今日は午後から一日中パソコンとにらめっこ。ネットの設定をしたり、メールの設定。最後にHPの設定など。前に設定したときのことなど忘れてしまっているので、思い出しながらぼちぼちやりました。一応これで設定は終了です。後はこまごましたものを移動することですね。これもまた面倒だ。



 
はる 3122
 ただし、壁の飾りを作っているつもりは無いし、またそれを期待されてもいない。飾りならもっと上手い人もいるしね、飾り職人は江戸の花形職業だ。かんざしやら根付なんか今の技術じゃとうてい作れないものばかりだ。だからといってね、それを何とか国宝とかいって保護してしまったら、死んだも同然。檻に入れられたライオンみたいなものだ。珍しがってありがたがられるけれど、生きてはいない。

 今の生活の中で、実際に使われるもの、必要とされるものでなければ本当の力にはならない。観光客やどこか遠くの縁もゆかりも無い人にありがたがられても、あんまりうれしくないねぇ。

 地産地消が言われて最近はコンビにの弁当までそんなキャッチフレーズで売られるようになったけれど、本当はね、そこに住んでいる人達や、きけば顔のわかる人たち相手に、物を作ったり調理したり、売ったり買ったりするのが、本来の姿かもしれないな。

 話が違う方向に来てしまったね。というわけで、また。

 



 
はる 3121
 正月も今日で五日。いつのまにか過ぎてしまった。神戸で帰る頃になって少しアクシデントがあり、今はまだ言えませんがすったもんだの末、帰ってきたのでした。

 まぁ帰る郷があるのは楽しいことですね。こうやってすでに郷にいた頃より遥かに長い時間外にいるにもかかわらず、故郷というのはいつまでも帰る場所というのか、帰れる場所であるわけだ。何もしないのだけれどね。

 帰ってからバタバタと色んな用事が押し寄せてきて、まだ日常に帰れていない。ひょっとするとこのまま個展になだれ込んでしまうのかもしれないな。松屋の会場が大きいのでどうやって埋めるのか、来てくれた人をどうすれば飽きさせないで楽しんでもらえるか、そんなことを考えている。

 私の場合、画家というより、こうやって色々日常的にあーでもない、こーでもないと考えて、試行錯誤、思考錯誤かな?しながら思索して行くというような人間だと思うんだな。まぁそれが好きだ。楽しいということが大前提なんだけれどね。会場がデパートだから、何となく売り線なのかなぁ・・と思われるけれど、まぁ根底的には売れなきゃ話にはならないのだけれどね。ただ作品だけだだだーだ・・と並べて、一丁あがりという風にはしたくない。

 反対に会場がデパートだから、ごく普通の日常的な生活の中で、どうしてもこれだけは欲しいもの、それが食べ物であっても、着る物であっても、寝具やカーテンやその他の雑貨であっても、トータルに考えて「生活の中のアート」みたいなものを提案できるのじゃないかなと考えている。

 それは純粋な「芸術」ではない。という人もいるかもしれない。まぁそれはそれでいいでしょう。美術館や博物館、有名な公共の建物の中にすました顔して鎮座しているのだけが尊いと考える人たちも割に多いことは多い。

 アートというのが何なのか?という定義にもなってくると思うのだけれどね。まぁ私などは今の生活の中で「欲しい」と思うものを描いたり作ったりしているわけだから、たかが知れている。

 
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