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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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はる 3193
 胃を全摘出してから今年で丸10年になる。今でこそ何気なく話ができるけれど、まぁわが身にとっては最大の危機ではあった。

 くわしくは書かないけれど、胃がんではない。聞こえは悪いけれど「胃元発祥の悪性リンパ腫」というのが正確な病名である。当時の治療方法は胃の全摘出が最善の方法であった。

 考えてみると少し前から兆候はあった。原因不明の突然の高熱、それも40度近い大人では珍しいくらいの体温だ。寝汗。まぁこれでリンパ腫が読めれば苦労はないのだけれど、それ以外は普通に日常生活できるので、見過ごしてしまう。

 普通に生活していれば、ほとんど気がつかない兆候ではある。私はたまたま胃に潰瘍があったので、人間ドックで生検をとってわかった。何が功を奏するかわからないものだ。

 胃を摘出すると、どんな弊害があるかということを書いておこう。最初は物が詰まる。上手く飲み込めないなど、物理的なことが多い。次に色々あるけれど、一つはビタミン12や鉄、カルシュウムがだんだん不足してくる。よって貧血気味になる。定期に補充する必要がある。

 胃の弁がないので、食べたものが逆流することがある。これも慣れるとだんだん回数が少なくなるけれど、最初の頃はほぼ毎朝みられた。

 免疫力が落ちたように思う。今までかかったことがない炎症で高熱を発祥することが年に一度ぐらいある。まぁこれも最近は少なくなった気がする。

 まぁ5,6年たったころから、後期ダンピング症候群かな、血糖値コントロールが高めになる。元々食べ物が直接腸にはいるので、急激に血糖値が上がる、そのためにインシュリンが出て今度は急激に血糖値が下がるといった乱高下が前期ダンピング症候群の特徴だけれど、私はあまりこの傾向はなかった。

 それゆえに血糖のコントロールに気を使ってはいなかったのだが、ここに来て尿に糖がでてくるようになった。(誰でも血糖値が170を超えると自然に体外に排出されるようだが、普通は170をこえることはないらしい)糖尿病ではないが、症状的には同じことになるので、長い間に色んな不具合がでてくる可能性がある。

 色々と調べて(HbAlcなど)、今のところ一時的なものなので問題はないらしいが、これから年を加えてくるとインシュリンのコントロールが不安定になると気をつけなくてはならない。

 ネットはこういったことは色々な症例が検索されるので非常に便利である。専門的なことがかなりわかる。自分の体は自分で知っておく必要がある。知ってその結果医者に任せるのはいいのだけれど、知らないで医者任せは非常に危険だな。

 
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はる 3192
 いつも行くブログの中に「今というのは二三年前の結果である」てなことが書かれていた。まぁ言い換えると、今間違いに気づいて、すぐに行動を変えても、その結果は二三年後にしか現れてこないということだな。

 人は目標を立てる動物だともいえる。多分未来というものを想像できるのは人間だけだろうから、努力目標にしろ、こうなりたいといった憧れであっても、今の努力が未来に少しでも近づけたらと思うから、努力もするのだろう。

 けれど、まぁ往々にしてすぐに目に見える結果をだけを求めるから、地道な努力を放棄してしまいがちだな。自戒を込めていうのだけれどね。

 受験勉強なんかも似ているけれど、明日からやろう!とはよく思う。でも今やらなければ、明日もやらない。だから今から10分でもやることだ。これがとても大事な秘訣。すでに今はもう未来の一部でもあるんだな。

 自分はどうなりたいのかね。いまだによく分からない。現代を代表する芸術家になりたいわけではないよな。いや、なれないとしても、もしそう思うなら、すでにいままでにそれに向かって行動しているだろう。努力目標としてそんな活動をしているだろう。今の私の活動から、将来今を代表する作家になるとは到底思えない。笑い話でもない。

 前にも書いたけれど、私は絵描きになりたいわけではない。絵を描く人なら他にいっぱいいるわけだし、私より上手な人はごまんといるわけだ。それにここが大事なんだけれど、一流の芸術家に会ったことがないからかもしれないが、何となくあまり尊敬できない、近づきたくない、はた迷惑なわがままな人たちが多いきがする。いまの私を含めてだけれどね。

 自分が・・、私が・・というのは、もう聞きたくないのだな。

 私が絵を描くのは、修行みたいなものだと思っている。無理だけれど、自分から離れてもいいのだ。万人に共通する普遍的なものが描ければね。

 毎日の日常の中で、食べたり、飲んだり、だべったり、考えたり、想ったりしたことを、一人語りのようにポツポツとうたって行ければ、それでいいように思う。大それた芸術である必要はさらさらないのだな。




PIECE橘町 
~ピエスタチバナチョウ~
オープンニング
 




PIECE橘町 
~ピエスタチバナチョウ~  
 
400-0031 山梨県甲府市丸の内2-16-18  
055-237-5005  日曜定休
 いつも行っていたカフェが閉店。その後、夜ちょっとコーヒーを飲む場所もなくて困っていた。普通にコーヒーが飲めればいいのだけれど、ファミレスかスタバぐらいしかない。お腹がすけば何か簡単な食い物があって、よく会うメンバーがいてくだらないおしゃべりが出来ればそれにこしたことはない。

 この、PIECE橘町 は、そのカフェのマスターが新しく駅前に開いたカフェバーです。当分夜しか開店しないそうですが、まぁ機会があれば寄ってみてください。マスター一人できりもりする小さなスペースですから、出来ることだけしかやらないそうです。本人もソムリエの資格を持っていますが、県内産のワインを飲ませるのが売りのようです。

 後はまぁ、彼は山梨スローフードの会長ですから、狩をやったり、釣りをしたり、ぶどうの栽培をやったり、地産地消的なコンセプトで、そういったことも大いにやってゆきたいようです。ということで、明日からオープンです。みなさんよろしく。

 場所は
http://slowfood-koshu.sblo.jp/article/36283943.html



 
 私には定年がない。なぜなら就職していないから、定年というものが元々ない。毎年解雇されて、まい年契約する。毎年履歴書を書いて、免許書の写しがいる。直属の上司というのもいない。挨拶に回るわけでもない。だから校長と会ったこともない年もある。気楽といえば気楽だけれど、何の保障もない。当然収入も微々たるものだ。あるのは生徒との関係だけだな、まぁそれが私の仕事ではある。

 同じことを私はもう28回繰り返している。だから職場の同僚が嬉しそうに、寂しそうに定年退職して行くのを毎年見送っている。今日はそんな先生の送別会に付き合った。

 



 
 午後から東京に出て、同じ国画に出品している作家の展覧会を一つ見て、他にはほぼどこにも寄り道をしないで五反田の某印刷会社にでかける。これからこの春にかけてなんだかんだと仕事をしなければならない。ボランティアなので強制ではないが、会のカタログを作る。基本的には我々はお客さんで、会社がやる仕事をフォローする立場なんだけれどね。




三井桂 水彩画展
2010 3/12~3/22
甲府・ギャラリーイノセント
055-222-4442
 
 街中に歯が抜けたように空きスペースが出来たためなのかどうかわかりませんが、最近わりと新しいギャラリーが出来ている。まぁギャラリーは壁と照明さえあればなんとなく出来てしまうところがあるので、簡単にオープンするようだ。まぁ放っておいて朽ちてしまうよりは何かに利用した方が良いには決まっているのだが、そういった考えではじめるとほとんど一年以内でクローズしてしまう。長いスタンスで作家を育ててゆくなどということは考えられない、短命さだ。イベントとして一時でも盛り上がればそれでいいや、という考え方もそれはそれでOKだけれど、何だか一生懸命付き合うのがばかばかしくなる。

 少し前に上の方から「町中活性のため・・」云々かんぬんで、こちらはほぼボランティアで協力したけれど、担当の役人はその場しのぎの対応で、今の役割としてなんとなくこなしてはいるけれど、長い目で見た町中の活性など彼らは考えていないというのが、しみじみ感じられてこれもまたばかばかしい。誰のためにやっているんだか・・。

 誰かが言っていたけれど、『アートで町おこし」などということは絵に描いた餅でしかない。考え方がまちがっている。もともと何もないところにアートなど芽生えるはずがない。人が集まってきて何らかの町が出来て、混沌としてきた中に芸術や芸能が芽生えるわけで、活気のない人が集わない場所にいくらイベントを組んでも何も起きない。まぁそういってしまえばみもふたない。

 
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