忍者ブログ
画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
[51]  [52]  [53]  [54]  [55]  [56]  [57]  [58]  [59]  [60]  [61
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。




はる 3287
 昔、有元利夫がセンセーショナルにデビューしてきた頃、彼の評価を支えていたのは、ごく普通の本当に絵が好きなコレクターだった。彼自身も書いていたけれど、安井賞を取ったあたりから、何だか現代美術作家として注目されて、「がんばって、がんばって」といわれているようで、何だか場違いなところに入り込んでしまったようだ、と吐露している。

 ご存知のように安井賞は具象絵画の登竜門といわれて、そこに登場するには各美術団体から推薦をもらわなくてはならない。他に個人の実力者の推薦という枠もあるのだけれど、ほとんどの場合、前者の方法で登場してくる。

 当時安井賞の推薦枠が各団体に何名あったのか詳しいことはしらないのだけれど、抜群に知名度があるこの賞の推薦をもらうためにわざわざ小さな団体に入った作家もいるようにも聞いている。

 そうやって苦労して推薦されても審査で落とされる方が入選の何倍もあるわけだから、喜んでばかりもいられない。まぁそんなことで、絵を描く人には憧れの賞だったのだが、有元はどんな団体にも所属せず、団体作家のような大作でもない小さな作品で、さっそうと登場してきて、いとも簡単に賞をかっさらっていった。

 多くの作家たちにとっては面白くないわけで、やれピカソに似すぎているとか、あれは日本画じゃないのかとか、今だけのブームに終わるとか、作家としてどうのこうのとうるさかった。たぶんわずらわしかったと思う。

 有元自身は自分の好きな絵を、好きなように描いて、それが現代美術であろうが、イラストの範疇であろうが、どうでもよかった。作ることが楽しかったし、いいと思ったものを真似しただけだ。それがたまたま時代の要求に合っただけなんだな。

 一生懸命、現代美術作家になるつもりはなかったのだと思う。彼の自負は「それでも私の作品をいい」とい言ってくれる人がいるということだった。

  有元利夫と比べるのはおこがましいけれど、私の作品は現代の最先端の作品ではないし、これが時代を表現した問題作だとも思っていない。現代美術だとか言ってへんてこりんな訳の分からん造形物を展示するものでもない。観た人に何かを感じさせる、問題を提示するものでもない。誰かと競争するために描いているものでもなければ、それによって社会的な地位や名誉を得ようとも思っていない。

 それでも、私の作品をいいといってくれるコレクターがいる。それだけで充分だ。他に何がいるのだろう。
 
PR



 
はる 3286
 午前中に千葉の山口画廊のオーナーが絵を持ってきてくれた。搬入から展示、期間中の店番から片付けから搬出まで全てオーナーが一人でやる。もっと言えば展覧会が始まる前のDMの撮影から制作、配布まですべて一人でやる。

 年間に12か13人の作家を選んで企画、会期は3週間ほど、貸しは一切やらない。これを聞くと、多分経済的に余裕のある趣味的なオーナーが暇つぶしに開いている画廊かと勘違いするけれど、そんな優雅な仕事ではない。作家以上に生き方が表現者だ。彼の書いた文章を読めばよく分かる。

 絵を描いて画廊で発表し始めた頃、希望として同じぐらいの世代で自分と一緒になって仕事をしてくれる画廊のオーナーを探していた。銀座には百も二百も画廊はあるけれど、ほとんどの画廊は「作家をお客さん」にしている貸し画廊だ。貸し画廊のオーナーは気持ち的には作家の味方だけれど、実際は作家から搾取している経営者でもあるんだな。そこのところがよく見えていない。

 画商という連中も何だか胡散臭い。絵が実際に好きなのかどうかは関係なく、画商同士の間を行ったりきたりしている間に高額な金額になって、その錬金術のような不可解な手法で利益を生んでゆく、まぁいつの世にもそういった輩は何処にでも生息しているのだが、まぁ絵を売買するというと、どうしてもそんな生臭いにおいがする。

 まぁ作家という連中はそこのところがええかっこしいで、武士は食わねどぶりたいところがある。出来たら自分の事を理解してくれて肩代わりしてくれる人がいないものかと探しているところがある。まぁそんなに上手い話はなかなかないのだけれどね。

 山口さんはそこのところを肩代わりしてくれる得がたい人物だ。何とかそれに報いたいと思うのは私だけではないだろう。
////////////////////////////
画商と言う仕事」という項目で来る人のために山口画廊についての文章がまとめて読めます。
http://asobibe.blog.fc2.com/?q=%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%94%BB%E5%BB%8A&page=1
 



 
 絵の値段で号○○という言い方をする。まぁ単純にはいえないのだけれど、その作家の10号の値段を目安に、そこから一号の値段を割り出す。0号は18x14cmだからはがきサイズより若干大きい。小さいサイズは難しいということもあるけれど、大体割高になるのが普通。0号だと号x2ぐらいの値がつけられる。反対に大きくなればそのまま号x大きさというわけには行かなくて、段々安くなる。100号ぐらいになると半分ぐらいになるかな。まぁそんな絵はほとんど売れることはないのだけれど。私の場合。

 大体気に入った作品から嫁ぎ先が決まってゆく。気に入らない作品だから安くしたという作家がいたのでびっくりしたのだが、気に入らない作品は置くなよといいたい。

 20日発売の「美術の窓」7月号のp221に今年の国画展の講評が掲載されています。無断ですが転載しておきます。
「祝人(再生と祭り) ケンタウロスが角笛を吹いている。そのケンタウロスの雰囲気が、極めて日本的で、北国の鬼のようなイメージが表れているところがおもしろい。布を貼ったりして独特のマットなマチエールの上に、瞽女などを生んだ素朴な東北の民話のようなイメージが表れているところが懐かしい」

 まぁ奇妙な文章ですが、まぁ作品から放浪芸の瞽女などを呼び出したのはありがたいですね。




神戸個展DM
7/22~7/27
ギャラリールポール
078-332-3751
 
 午後から歯医者に行く。歯のメンテナンスは割りとよくしている方だと思うのだが、それでも段々にもろくなってちょっと硬いものを食べたりすると欠けたりするようになってきた。胃を取ってしまったので少しずつカルシュウムが不足するそうだ。まぁ仕方ない。

 そういえば、少し前まで保険証を使うことがなくて、どこかにしまって忘れてしまったというようなことがあったのに、今じゃ自慢じゃないが、歯医者に目医者に定期健診とフル活用だ。何だかな、全体にガタガ来たということかな。

明日は山梨県立美術館で開催している、グループ展(スクエア)の当番です。午前中は確実に居ますので、都合がつけば来てください。お待ちしています。



 
はる 3281
 大体これで行けるのじゃないか、と思ったのはそう昔のことじゃない。それまではあっちに行ったりこっちに来たりで何だかどこかで見たような絵を描いていた。

 木村忠太を見れば忠太風に三岸節子をみれば三岸風にというわけだ。いいと思ったものをどんどん真似していた。というのか自然にそんな様になってしまう。けっこう抽象的な仕事から日本画のような硬い描写まで、一時はそれでも最前線を行っているつもりだった。

 団体展に出品するようになって、最初は日展系の団体だったので、わりと穏健な描写をしていた。そういった方向を要求されていると思っていたのでね。生意気にも団体展用の作品と自分のやりたい作品とを分けていた。どんどん具体的な描写から離れてきてどうにも苦しくなってきた。その時にちょうど落選してしまったので、それを引き金にやめてしまった。まぁ今から考えると、悩むほど作品のグレードは高くなく、落ちるべくして落ちたというのが真実だと思う。やりたいようにやってだめならだめでいい。それだけのことだ。
 
 絵を描いて暮らして行きたいという願望はあったけれど、それが要するに「売り絵」のような絵を描くことではなく、「自分の絵」を描いて果たして売れるものなのか、それを生業にして食っているというのはどういうことなのか?ほとんど誰も身近にそういった人がいなかったので分からなかった。

 富士山描いたり、綺麗な花や美少女描いたり、モンマルトルの丘に行けば似顔絵かきが今でも哀愁を漂わせて観光客に媚を売っている。一世代前のボヘミアンを演じているだけでそれがアーティストだとはとても思えない。そんな風に生きたいわけでもないだろう。ドラマの主人公でもあるまいにね。一生それで生きられるならそれでもいいけどね。

 何のために絵を描いているのか?生業じゃないなら何なんだ。個展を毎年始めた。やってもやっても絵など売れないし、誰からも何も言われないし、このままやってても意味ないのじゃないか、思い悩む日々。でもまぁ少しは気に入ってくれる人もいたから慰められたけれどね。兎に角毎年個展をやって一年の成果を見てもらう。大きな作品も」小さな作品も含めて、毎年の成果を報告する。まぁそれでいいかとも思っていた。だめならだめでそれも私の生き方、生き様だからね。

 そうやって生き様を晒すことが、即自分の芸だと気づいたらすごく楽になった。「こたえてください」「いのりのかたち」「おおいなるもの」これで行けるかなと振り返ったら、絵を描いて生きてきた自分がいた。

 誰でもわかることを分かりやすく。これかな。



「初夏の風景」 板書
 
 今日は天気が悪いということだったが、朝からけっこういい天気。ということで生徒と風景スケッチにでかける。日差しはもう真夏のよう。ぐんぐんと気温は上昇をつづける。私は涼しい木陰でうつらうつら、生徒にはわからぬように。

 絵を描かせるとてきめんに得意不得意が出てくる。私など絵が好きだった者にはなんでもないことが、描けない人には分からないようだ。高校生にもなって遠近法が上手く使えない。樹が地を這うように描いてもなんとも思わないのだから不思議だ。

 モチベーションをあげるために御まじないをかける。これだけを知っていれば絵が描けると力説。(そんな即席の方法はないのだが・・)生徒をその気にさせる。豚もおだてりゃ樹に登る。そんな時黒板に描いた絵が↑の絵。そんな気になったかな?

 はやぶさが帰還しました。私も千葉の個展から帰ってきました。 あまり関係はありませんがね。

 個展はまずまず楽しかった。もともと自分の個展会場にいてお客さんとお話をするのは嫌いではない。作家にはほとんどお客さんと接するのを避ける人もいるようですが、私は話をするのは多くの人前で話をするのは得意ではありませんが、少人数ならぜんぜんかまいません。

 探査衛星はやぶさの話は電車に乗っていて隣の人の新聞で知った。ほとんど最近は新聞もテレビも見ないので新しいニュースを知らない。それでyoutubeで検索してくわしいことを知った。この衛星が他の天体の探索にいっていることも知らなかったのだが、こうやって何年もかかって宇宙から帰還したというのははじめてのことじゃないかな。昔ボイジャーが太陽系の惑星の鮮明な写真を送ってきて、特に土星の輪とか衛星の克明な写真を送ってきたのには興奮したな。もともとそういう未知の世界が好きだったからね。

 今回のこのはやぶさの話は、多くの示唆が含まれているように思うな。大事なことは知りたいという好奇心が一番大事なこと。もうすでに知っている、知られていることを知識としてもつということも学習として大切なことだけれど、例えば科学にしろ学問にしろ人を魅了してやまないのはこの好奇心というやつだろうな。それがなくなれば全てのモチベーションはなくなってしまう。

 基礎研究みたいなすぐには結果が出ない研究ほど大事だということ。まぁ今回の衛星探査機には日本の技術の最先端が使われているので基礎研究とはいえないかもしれないが、例えばロケットを飛ばして何億も使って意味ないじゃんと考えるかもしれないけれど、そういったことに使われる技術を支える基礎研究は一朝一夕では養えないということだな。

 凄く勇気づけられた気がした。
**
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]


(Design by 夜井)