画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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明日から神戸に帰省します。個展が始まればまたシャメだけになるかもしれません。でもまぁ出来るだけ臨場感のある報告をしたいと思っていますので、そんな雰囲気をお楽しみください。こうやって色んな個展会場から、作家自らその場で写真を送るというブログは数あるブログでも数少ないのではないかね。興味がなければ何も面白くないけれどね。まぁいいか。
上の写真は昨日撮ったものと同じところ。実は私の自宅の庭ではない。でもまぁほとんど私しか使わない場所なので承諾を得て使わして貰っている。畑もこの右手にある。前にも話したけれど、隣は爺さんが一人で住んでいた。その人が亡くなって今のところ空き家になっている。こんな田舎ではよくある話なんだろうけれど、誰もすまなくなった家は急速に老朽化する。庭もまた草ぼうぼうの藪になってしまう。
ということで、私が維持管理するということで只で借りているというわけだ。畑をやり始めて感じたことは小さな庭だけれど、放っておけばすぐさま草がびっしりと所かまわず一面に繁茂する。特に雨上がりが凄い。待っていましたとばかりに小さな芽をいっせいに押し出すのだ。そりゃみごとなものだ。別荘は雑草との戦いだということを聞いたことがあるけれど、まさに庭は雑草との根競べ。
ところで、土草の匂いというのはとても心くすぐるものだ。なんだろう山の奥深くに入ってふかふかの落ち葉をふんづけたときの匂いと似ている。・・・・
上の写真は昨日撮ったものと同じところ。実は私の自宅の庭ではない。でもまぁほとんど私しか使わない場所なので承諾を得て使わして貰っている。畑もこの右手にある。前にも話したけれど、隣は爺さんが一人で住んでいた。その人が亡くなって今のところ空き家になっている。こんな田舎ではよくある話なんだろうけれど、誰もすまなくなった家は急速に老朽化する。庭もまた草ぼうぼうの藪になってしまう。
ということで、私が維持管理するということで只で借りているというわけだ。畑をやり始めて感じたことは小さな庭だけれど、放っておけばすぐさま草がびっしりと所かまわず一面に繁茂する。特に雨上がりが凄い。待っていましたとばかりに小さな芽をいっせいに押し出すのだ。そりゃみごとなものだ。別荘は雑草との戦いだということを聞いたことがあるけれど、まさに庭は雑草との根競べ。
ところで、土草の匂いというのはとても心くすぐるものだ。なんだろう山の奥深くに入ってふかふかの落ち葉をふんづけたときの匂いと似ている。・・・・
今日も暑かった。来客があったので、半日片付けと大掃除に翻ろうされる。家を綺麗にする方法はお客さんを迎えることだということをどこかで聞いた。確かに来客はどんな場合もそこそこがんばるものだ。
午後の日差しは真夏独特だね。いつの間にやら梅雨もあけて、まったく凄い天気だ。昼寝するしかこの日差しをやり過ごす方法はない。明日は久しぶりの学校。テストも終わって課題も一応すんだ段階では、生徒もやる気がない。無論私もやる気がないのでビデオをみせる。
若い教師の自殺の話が今朝の新聞に出ていた。先生をやりたくてがんばって教員になって、いざ自分が教壇に立ってはじめて理想と現実のギャップに悩むんだな。まぁどんな職業でも同じだと思うのだけれど、教員は学校出てすぐに一人で生徒の前に立たなきゃならないから大変だ。今までは、何の責任もない学生だったわけだからね、それに今の生徒は昔のように単純ではないし、親もまた協力的ではない。職業としては、まじめな人ほど、優秀な人ほど、最初の二三年はしんどいと思う。
まぁ甘いといえばその通りなんだけれど、だけど本当につぶさないで一人前の教師に育てようとするなら、給料は半分でも見習い制度みたいなものが必要じゃないかな。でなければ残るのはものを考えない、いい加減な、体育会系の教員ばかりになってしまう。
まぁだからといって悩む先生がすべていい先生だとも思わないけれどね。自分に合わないと思えば二三年で切りをつけたほうがお互いのためだろう。見極めが難しい。
という私は一年しか正教員を続けられなかった落ちこぼれですから・・。
午後の日差しは真夏独特だね。いつの間にやら梅雨もあけて、まったく凄い天気だ。昼寝するしかこの日差しをやり過ごす方法はない。明日は久しぶりの学校。テストも終わって課題も一応すんだ段階では、生徒もやる気がない。無論私もやる気がないのでビデオをみせる。
若い教師の自殺の話が今朝の新聞に出ていた。先生をやりたくてがんばって教員になって、いざ自分が教壇に立ってはじめて理想と現実のギャップに悩むんだな。まぁどんな職業でも同じだと思うのだけれど、教員は学校出てすぐに一人で生徒の前に立たなきゃならないから大変だ。今までは、何の責任もない学生だったわけだからね、それに今の生徒は昔のように単純ではないし、親もまた協力的ではない。職業としては、まじめな人ほど、優秀な人ほど、最初の二三年はしんどいと思う。
まぁ甘いといえばその通りなんだけれど、だけど本当につぶさないで一人前の教師に育てようとするなら、給料は半分でも見習い制度みたいなものが必要じゃないかな。でなければ残るのはものを考えない、いい加減な、体育会系の教員ばかりになってしまう。
まぁだからといって悩む先生がすべていい先生だとも思わないけれどね。自分に合わないと思えば二三年で切りをつけたほうがお互いのためだろう。見極めが難しい。
という私は一年しか正教員を続けられなかった落ちこぼれですから・・。
ほとんど何も考えないで描いている内にハシゴが出てきて「あっそうだ、空に向かうハシゴ」にしようと思った。でどこから出てきたのか、その元のところを考えたら「ヤコブの梯子」というのがあった。どうも上の写真のように雲間から一本の光の帯が注いでいるような光景に時々出会うのだけれど、それを「ヤコブの梯子」というそうだ。天使が地上と天界を行ったりきたりする時に使う梯子らしい。偶然出てきた物語は跡付けだけれど、なかなか面白い。
多分最初っから「ヤコブの梯子」を描くつもりで描いたら、とんでもないわざとらしい臭い絵になってしまうだろう。ここのところがとても難しいところなんだけれど、ある意味で私は自分の力を信じていない。ごり押しで自分を押し付けてもろくでもないものしか描けないだろうと思っている。だから自分を放り出して客観的に見る癖がついてしまった。けっして自分を強く主張しないのだな。あくまでも出てくるのを待つ。そんな描きかただな。奇妙な言い方だけどね。言葉にすればそんな風になる。
今日は暑かった。
多分最初っから「ヤコブの梯子」を描くつもりで描いたら、とんでもないわざとらしい臭い絵になってしまうだろう。ここのところがとても難しいところなんだけれど、ある意味で私は自分の力を信じていない。ごり押しで自分を押し付けてもろくでもないものしか描けないだろうと思っている。だから自分を放り出して客観的に見る癖がついてしまった。けっして自分を強く主張しないのだな。あくまでも出てくるのを待つ。そんな描きかただな。奇妙な言い方だけどね。言葉にすればそんな風になる。
今日は暑かった。
この間、郵便の悪口を書いた。郵便が嫌いなのではなくて、郵便というシステムが好きなので、何とかがんばって生き残ってほしいと思うから、叱咤激励のつもりであえて苦言を呈した。
ところで、今回の神戸の個展では作品は全て宅急便で送った。やり方は簡単。まずネットでもいいから直通電話番号を調べて、電話します。これはコレクトコールで電話代はかかりません。全国どこでも共通の電話番号でかけるとその地域のセンターにつながるようになっています。
対応はすこぶる親切で丁寧です。まず私のような絵の場合大きさがまちまちですし、損害賠償のことなど面倒なことあるので嫌われることが多いのですが、反対に保険さえかければそこまでは保障するというわけで、相手側も安心するようです。ですから美術品という扱いではなく荷物扱いでお願いするのですな。
郵便の場合、電話の台数が少ないという致命的な欠陥のため、相手は言い訳に始終して如何に責任のがれするのかに気持ちが行っていたけれど、宅急便の案内さんは如何にすればお客さんの便利に適うかということに心を使っていた。明らかにプラスマイナスで宅急便の何倍もの勝ちである。
取りに来てもらう日にちと時間を指定してその日は終わった。翌日雨だったにも関わらず、嫌な顔一つせず平気な顔でどんどん仕事を片付けて、思っていた金額の半分以下であった。これも宅急便の勝ちだな。
どうする郵便。
ところで、今回の神戸の個展では作品は全て宅急便で送った。やり方は簡単。まずネットでもいいから直通電話番号を調べて、電話します。これはコレクトコールで電話代はかかりません。全国どこでも共通の電話番号でかけるとその地域のセンターにつながるようになっています。
対応はすこぶる親切で丁寧です。まず私のような絵の場合大きさがまちまちですし、損害賠償のことなど面倒なことあるので嫌われることが多いのですが、反対に保険さえかければそこまでは保障するというわけで、相手側も安心するようです。ですから美術品という扱いではなく荷物扱いでお願いするのですな。
郵便の場合、電話の台数が少ないという致命的な欠陥のため、相手は言い訳に始終して如何に責任のがれするのかに気持ちが行っていたけれど、宅急便の案内さんは如何にすればお客さんの便利に適うかということに心を使っていた。明らかにプラスマイナスで宅急便の何倍もの勝ちである。
取りに来てもらう日にちと時間を指定してその日は終わった。翌日雨だったにも関わらず、嫌な顔一つせず平気な顔でどんどん仕事を片付けて、思っていた金額の半分以下であった。これも宅急便の勝ちだな。
どうする郵便。
つかこうへいが亡くなりましたね。演劇青年でも文学青年でもなかった私でしたが、なぜか学生の時に少しだけ演劇に足をつっこんだ。小劇場が随分流行っていて唐十郎の赤テントとか誰だったか名前も忘れてしまったが黒テントや、つかこうへい事務所などが名をはせていた。唐十郎の状況劇場は何度か仲間と観に出かけた。
なんだろうな、おどろおどろした真っ暗な空間のなかに靴を脱いで、ぎゅうぎゅうに詰め込まれてなにやら擬似的な一体感を作り出して、その中で次から次と繰り広げられる奇妙な作り話は、酸欠状態も加味して朦朧とした夢物語のようだった。
一番最初にやった役は「熱海殺人事件」の主人公、大山金太郎だった。今から考えると目茶な配役だけれど、それでも演劇の面白さは少しは理解できたように思う。
例えば工員を演じるとするならば、自分の中の工員のイメージを明確にしなければ演じることはできない。そのサラリーマンがどういった経緯でその会社に就職したのか、家族構成はどうなのか、物語の中で気持ちがどういう風に動いて行ったのか?そういうことを自分なりに理解して解釈して納得しなければ、その人間にリアリティーが伴わない。台詞がただの言葉でしかなくなる。
それもそうだけれど、そういった過程で必ず自分というものと対面して、明確な「ことば」にしなければならない時が出てくる。表現は自分との対面だということに気付いたことが、演劇をやって得た宝物だな。
なんだろうな、おどろおどろした真っ暗な空間のなかに靴を脱いで、ぎゅうぎゅうに詰め込まれてなにやら擬似的な一体感を作り出して、その中で次から次と繰り広げられる奇妙な作り話は、酸欠状態も加味して朦朧とした夢物語のようだった。
一番最初にやった役は「熱海殺人事件」の主人公、大山金太郎だった。今から考えると目茶な配役だけれど、それでも演劇の面白さは少しは理解できたように思う。
例えば工員を演じるとするならば、自分の中の工員のイメージを明確にしなければ演じることはできない。そのサラリーマンがどういった経緯でその会社に就職したのか、家族構成はどうなのか、物語の中で気持ちがどういう風に動いて行ったのか?そういうことを自分なりに理解して解釈して納得しなければ、その人間にリアリティーが伴わない。台詞がただの言葉でしかなくなる。
それもそうだけれど、そういった過程で必ず自分というものと対面して、明確な「ことば」にしなければならない時が出てくる。表現は自分との対面だということに気付いたことが、演劇をやって得た宝物だな。
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