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喫茶KIVIS
0553-47-6244
山梨県笛吹市一宮町中尾651
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今日は一日額装をした。
今使っている額は日本製なんだけれど、ごたぶんにもれず日本の技術者が海外に出向いてその土地の安い人件費を使って作っている。こんなことをしていればいずれ本国じゃ物が作れなくなるのは明らかに見えているのだが、兎に角経費を安く上げるにはそれしかないようだ。
こういった工芸品だけではなく、ありとあらゆる技術が海外に出て行ってしまってもう取り返しがつかないところまで来ているのだが、何の手もうたないのは情けないというのか、どうしたらいいのかよく分かりません。当然、今の若い人は確実に手仕事が出来なくなっている。
単に手先が不器用だ、というだけではすまないことでね。ものを考えるというのは頭だけで考えるのではなくてね、手を動かしながら、実際に目で確認しながら・・・・・眠いのでまた明日。
フランス人はどうなのか良くは知らないのだけれど、日本人はクートラスとのような何と言うのだろう、漂泊の詩人、文人、行者、詩人みたいのものが好きだ。いや私だけではないと思うよ。例えば最近亡くなった松田正平にしても熊谷守一にしても上のクートラスとどっこいどっこいだものな。
上のクートラスのアトリエを見ると、ハウルの寝室を思い出す。随分昔にそのことについて書いてあったので転載しておきます。
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はる 1259
「ハウルの動く城」のなかで、ハウルは魔法使いの弟子なんだけれど、よくあるパターンで空を飛んだり歩いたり、時空を自由に行ったり来たりできる。まぁそのことはこっちに置いておいて。
ハウルの寝室が出てくる。そこはありとあらゆる物が所狭しとコレクションされていて、一種グロテスクな形を変えたロココ趣味のような様子で表現されている。ハウルというのがもともと鳥?なのか、はっきりは分からないのだけれど、どうやらその部屋は色々なものを収集する癖のある鳥の巣のようにみえた。傷ついたハウルはいつもその部屋に帰ってきて一時の安らぎを得るのだ。
夏になると橋の下にたいていホームレスが住み着く。毎年同じような棲家を作るので同一人物かと思っているのだけれど、何か微妙に違う。動物に帰巣本能というのがあるとするなら、その前に巣を作る本能があるように思う。調べてみたことはないのだけれど、何やら、なんでもかんでも集めるというのが、我々動物の本能なのかなと思う。集めたガラクタの中にうずもれてることで、一時の安らぎを得られるもののようだ。
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午後は個展のDMを郵送する。約500枚。報道関係にはもうすでにだしてあるので、ここに三日取材の電話があった。無料で載せてくれる新聞の情報欄はありがたい。地元で展覧会を開催する場合、自主企画なのでマスコミ関係者がこれをご覧になったら是非よろしくお願いします。
その後今開催中の個展をのぞいた。
2010 11/1~12/12
桔梗屋・美術館通り展アートギャラリー
055-227-1752
小池歩個展
10月26日(火)~11月21日(日)
BAR SLOW
山梨県甲府市丸の内1−19−21
tel/fax 055-226-8625
http://www.bar-slow.com/
この間町中の芸術祭で展示させてもらった同じカフェで小池歩さんが個展をやっている。アンバランスで頭でっかちなじゃがいものような人物がゴロゴロとした不思議な画風だ。それが広々としたスローの店内と絶妙にマッチしている。寒い街中を歩いて暖かいコーヒーでも飲みながらゆっくりくつろいで下さいな。
絵は美術館や画廊のようなきっちりとした空間で観るものと勘違いしている人が多い。もちろんそれも正しい見方である場合もある。例えばもうすでに歴史上の価値が決まっていて、普通の状態で見せたのでは保存上問題があるとか、研究発表のために関連した作品を世界中から借りて展示しているとか、一人の作家の大回顧展であるとか、大きな力と経済力がなければ展示できないような場合など。
音楽もそうだな。正装してきっちりと座席に座って一言もしゃべらないで、身じろぎもせず耳を傾ける。案外それって苦痛なんだな。多くの場合眠気が襲ってくる。もともと日本の芸能などは物を食いながらお酒も適度に飲んで、おしゃべりを楽しみながら見たものじゃないのかな。全てではないだろうけれど。今でも相撲などは飲み食いは自由だよな。
シャンソンやジャズはもともと酒場で唄われたり演奏されたりしたものだ。実際に生活の場で楽しんだものじゃないかな。大道芸の音楽家やダンサーは路上が舞台だ。下世話だけれど、その方が本物だし、生きている。私はその方が好きだな。
お茶を飲みながら、何か食べながら、おしゃべりをする。ふと会話がとまった時に自然に絵が目に入る。日常の生活の場にアートが普通にあること、そのことが特別なことでないそのことの方が大事だと思うな。