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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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忌野清志郎の「反原子力発電所の歌」:サマータイム・ブルース

 洒落やジョークではなくなってしまった。放射能は地球上に生きる全ての生命が等しく受けなければならない災いとなってしまった。東電や安全委員会だけのせいではない。「安全だ」という甘い言葉を疑心暗鬼になりなながらも信じてしまった、騙されてしまった、考えないで済ましていた、我々の責任は重いな。止めなければならない。
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 今日はエープリルフール。いつも嘘ばかりついているので、反対に今日は一年で唯一正しいことをいうことにしましょう。

 嘘と言うのも案外その人の器が出るもので、嘘をついていると思っている限り本当のうそつきにはなれないのだろうな。一番上手いのは嘘をついているにもかかわらず、いつの間にか本人もその気なって分からなくなっている場合だ。ここまでになれば何者にも騙されない。

 テレビの情報だけの人は楽天的になり、ネットやその他色んな情報が入る人は悲観的になっている。情報量に格差がある。さてどちらがいいのでしょうかね。



 
 どうもいつも心の片隅にあって放射能のチリのように積もって、いっこうにスカッと晴れない。本当ならこの時期は桜も咲いてどこかうきうきとする季節なのに、もやもやとして鬱っぽい。私が何かしてもあまり意味がないのだけれどね。たぶん、今度のことは百年に一度の転換期なのじゃないだろうか。

 明治維新の頃、欧米が開国を迫って軍艦を港にこれ見よがしに停泊させて、開国しなきゃ武力も辞さないと脅迫してきた。今まで眠ったような300年を過ごしてきた日本社会は、そりゃ驚いただろう。武士などは泰平楽の世の中を過ごしてきて,何の役にもたたないようになってしまった。

 太平洋戦争でそれこそ日本全部が何もかもすっかり失って、ここから始めるといった時もやっぱり大いに血を流した。本気になったと言うことかな。それと比べるのはお門違いと言われるかもしれないが、やっぱりどこか血を流さなければ気がつかなかったのかもしれない。大いなる犠牲だけれど、国は半分失うかも知れないが、そこまでやらないと気がつかなかったのかもなぁ。

 国の力はこの一年半分になるやもしれん。三等国、四等国になるかもしれん。でもこれがなければ未だに消費が一番、享楽が一番、使い捨てや便利や効率が一番の品のない国で終わっていたかもしれん。多くの人が気がつき始めていた。この国はこのまま目標のない、指針のない、状態でいいのかしらとね。

 まだ目が覚めていない人も多いけれど、今が絶好のチャンスだろう。


予見されていた 
原子力に反対の立場の研究者の話
 
 これを観ると今更ながら悔やまれるな。心情的に原発は反対していた、何度か署名もしたし、文章も書いたりもした。けれど自分の心の中にも「まぁ仕方ないか・・」という諦めにも似た感情があったことは否定できない。どこか他人事であったようにも思う。もっと命張って反対していれば、今回のようなことにはならなかったかもしれない。

 これに似たようなことがたくさんある。例えばこのところ問題になったダム工事にしろ、堤防工事にしろ、ODA,もっと言えば年金問題や国の赤字国債などなど。普通に考えればそんなことありえないというようなことが、もう何年も繰り返されていて止めることが出来なくなっている。

 この原発の問題も、身近な町おこしで補助金目当てで無駄な事業を無理やり行うのと良く似ている。国家の予算がつけばそれに群がる輩が集まるのだ。いい悪い、必要不必要はもう関係ない、仕事として多くの人間が絡んでまともな判断が出来なくなってしまっている。

 まぁ諦めないで、一つずつつぶして行くしか方法はないかもな。



 
 パウル・クレーを観た。クレーは本国以外では日本人のファンが多い作家の一人ではないだろうか。かなり多くの作品が展示されていたけれど、初めて見る作品も多かった。クレー展覧会は何度も開催されていて、そのたびに見ているように思うけれど、今回も期待を裏切るものではなかった。クレーの作品はその質からそんなに大きな作品はなく、全てが掌握のかわいらしい小品だ。それがまた子供が書いたように作為がなくいいのだな。

 今回のカタログはこれまた素晴らしいもので、厚さ4cmぐらいあって、いままでのように作品がずらずら並んでいるものではなく、展覧会のコンセプト「どうやって描いたのか」という解説がなされていて、ちょっとした論文のようになっている。そんなことも面白いと思った理由だな。

 クレーの作品はよく観ると、今で言うミクストメディアの先駆のような仕事をしていて、画材も色々だ。描かれる素材もただの麻布だったり紙だったり、厚紙に布を貼り付けたものだったり、キャンバスに油絵というのは案外少ない。手法も一様ではなく版画のように転写したり、引っかいたり、普通に描写したものはほとんどない。

 またタイトルもただの絵の説明ではなく、一つの詩になっているところも私にとって好ましいと思うところだ。会場にアトリエの写真が数多く展示されていたけれど、ごたごたした一見無秩序な混沌に見えるところがまたいい。すごく親近感を感じるな。

 作品を間近に見ると、一つ一つは実にいい加減に作られているようにみえる。けっして計算して細かく繊細には描かれていないのだな。接着なども実にいい加減。色もけっして丁寧には塗られていない。途中で嫌になって放り出したようにさえ見える。作品を切って貼り付けるのだけど、その切り口がまた実にいい加減。まっすぐなものは一つもない。あえて不器用に切ったのだろうけれど、作為がない。ひょっとすると元々そういった綺麗にそろえて切るというセンスはなかったのかもしれない。

 物事を作り出すというのはこういうことだと思うんだな。きれいに塗ったり貼ったり描いたりすることは訓練すれば誰でもかなり上手くなる。一番大事なのはそんなことではないよ、と言っているように思える。
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29日被曝予想
武田邦彦より
http://takedanet.com/2011/03/372930_7c21.html
より転載
 スギ花粉情報よりこちらの方を気象庁はより重要として流して欲しい。
http://takedanet.com/2011/03/372930_7c21.html
より転載
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「 明日は、仙台地方は警戒、茨城方向はやや安心というところです。また太平洋を回って、日本の南の方に少し飛散していますから、東海から沖縄に書けて微量ですが、放射線が検出される可能性があります。」
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30日

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31日
色々な値が出てきますが、素人にはわかりにくい。ということで御用学者でない専門家が出した安全といわれる値の目安です。何かの参考になればと思い転載sます。(転載自由ということです)判断は各自に任せます。

武田邦彦より勝手引用
http://takedanet.com/
・・・・・・・・・・・・・・・・
略・・
(世界標準で年間浴びても健康に影響がないと言われる)

 値は1年に1ミリシーベルトですから、1時間あたりに直しますと約0.1マイクロシーベルトです。

 

 つまり、一つ目の決断の数値は、

「1時間 0.1マイクロシーベルト」  これからしばらくたって放射線が減少する量が(5分の1)、食品や水、自分の体に入った放射性物質は(3倍)ですから、結局、発表される放射線の強さに0.67=3÷5)をかけると、この4月になると、1年間に概ね浴びる放射線の量を計算するときには、
「今、発表されている量  ×0.67
0.1マイクロシーベルト」 を越えるかで判断
ができます。
・・・・・・・・・
(発表値の例)  全て1時間あたりです。

原発の周囲   90マイクロシーベルト

福島市      4マイクロシーベルト
福島県の周辺   2マイクロシーベルト
東京新宿     0.1マイクロシーベルト

1年間、実際に被曝する放射線の予想値)×0.67

原発の周囲   60 マイクロシーベルト
福島市      2.7マイクロシーベルト
福島県の周辺   1.3マイクロシーベルト
東京新宿     0.07マイクロシーベルト

 これに対して、
限度       0.1マイクロシーベルト

・・・・・・・・・
原発の周囲    直ちに待避
福島市      できるだけ早く待避
福島県の周辺   できるだけ早く待避
東京新宿     大丈夫
(青色は筆者)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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