画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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はる 2799
アトリエに入ってはいるが、さりとて絵を描く気にもなれずパソコンに向かっている。大体午前中に一筆置かなければ午後からも仕事がはかどらないことは分かってはいるのだが、どうもだらだらとすごしてしまう。悪い癖だ。
考えてみると学生時代の勉強のスタイルもこれに似て能率の悪い、集中力の欠けるものだった。時間ばかりかけるけれど、はかの行かない野良仕事だ。こうやって反省して直るかといえば、ほとんど変わらない。人の性格というのは死んでも直らんということだな。
知り合いの作家はアトリエには後ろ向きに入るといっていた。何だろう、その気持ちはわかる。好きで選んだ道だけど、やっぱりサラリーマンのように時間どおりには行かない。人によってはタイムスケジュールできっちり仕事をする人がいるようですが、私には向いていない。のべつ幕なしだらだらと仕事をしているような遊んでいるような、まことに始末が悪い。
やらなければならないことは山の如しだけれど、午後から借りていた本を読む。
野村篤という方の「蕭状の旅人(しょうじょう)」・画家ゴッホの記録 というなかなかの労作だ。作品は例の「ゴッホの書簡集」をもとに実際に現地を何度も訪れて、たたずんでいたであろう場所に立って感想を書いている。だから新しい発見もあったり、今までの評伝などより臨場感ある文章が述べられているいるように思った。
ゴッホは日本人の好きな画家のベスト3にはいる作家だ。すでに歴史上の人物であるしあまりにも有名だから随分と昔の作家のように勘違いするけれど、1853年生まれだから私と百年違うだけだ。あのピカソにしても私が子供の頃には実在していた人物なのだから意外に身近にいたわけだ。
私が最初に買った画集がゴッホだった。なぜゴッホだったのか?といえば、要するに分かりやすいということだろうな。油彩の作家には勿論色んな画家がいるわけだけれど、印象派以前の絵は暗くて脂っぽくて何かそれぞれに意味がありそうで分かりにくい。ギリシャ以降の西欧の哲学や宗教その他もろもろの教養が必要そうに見える。
それに比べて印象派以降の絵画は、そう(好きか嫌い)ですんでしまいそうな気楽さがある。何よりも色がきれいだ。テーマが風景が多くて静物や人物にしても風俗画のようでとっつきやすい。まぁそういった事情で印象派の作家が好まれる理由だな。特にゴッホは例の耳きり事件があったり、最後がピストル自殺するというショッキングな死に方だったので、映画や本になりやすかったということもある。
ところが実際に「ゴッホ書簡集」などを読むと分かることなんだが、ゴッホという人は実にまじめで真摯な性格な人だ。よくある芸術家気取りのいいかげんなボヘミアンではない。反対に生真面目すぎてまわりに迷惑をかける、まぁ融通のきかない、空気の読めない田舎者といえばそうかもしれない。
気が狂って前後不覚で死んだわけではない。反対にそうなって人に迷惑をかけるかもしれないという恐れから死を選択したのだ。そこのところも実に誤解されているように思う。
一番好きな個所を無断で書き写しておきます。「ファン・ゴッホ書簡全集」より
「画家は、死に、埋葬されるが、かれにとって最も重要なことは、その作品のよって次のせだい、相次ぐ世代のかたりかけることだ。したがって画家の生涯にとって、おそらく死は最大の困難ではないだろう。こうして夜空を見上げていると僕は思う、フランスの地図上に黒く点点と記された町や村には行くことができるのに、なぜ天のいたるところに輝く星にはいけないのだろうか。・・中略・・蒸気船や乗合馬車や鉄道が地上の交通機関であるように、コレラや肺結核や癌は天井の交通機関であると考えられなくも無い。老衰して静かに死ぬのは、歩いてゆくようなものだろう」
アトリエに入ってはいるが、さりとて絵を描く気にもなれずパソコンに向かっている。大体午前中に一筆置かなければ午後からも仕事がはかどらないことは分かってはいるのだが、どうもだらだらとすごしてしまう。悪い癖だ。
考えてみると学生時代の勉強のスタイルもこれに似て能率の悪い、集中力の欠けるものだった。時間ばかりかけるけれど、はかの行かない野良仕事だ。こうやって反省して直るかといえば、ほとんど変わらない。人の性格というのは死んでも直らんということだな。
知り合いの作家はアトリエには後ろ向きに入るといっていた。何だろう、その気持ちはわかる。好きで選んだ道だけど、やっぱりサラリーマンのように時間どおりには行かない。人によってはタイムスケジュールできっちり仕事をする人がいるようですが、私には向いていない。のべつ幕なしだらだらと仕事をしているような遊んでいるような、まことに始末が悪い。
やらなければならないことは山の如しだけれど、午後から借りていた本を読む。
野村篤という方の「蕭状の旅人(しょうじょう)」・画家ゴッホの記録 というなかなかの労作だ。作品は例の「ゴッホの書簡集」をもとに実際に現地を何度も訪れて、たたずんでいたであろう場所に立って感想を書いている。だから新しい発見もあったり、今までの評伝などより臨場感ある文章が述べられているいるように思った。
ゴッホは日本人の好きな画家のベスト3にはいる作家だ。すでに歴史上の人物であるしあまりにも有名だから随分と昔の作家のように勘違いするけれど、1853年生まれだから私と百年違うだけだ。あのピカソにしても私が子供の頃には実在していた人物なのだから意外に身近にいたわけだ。
私が最初に買った画集がゴッホだった。なぜゴッホだったのか?といえば、要するに分かりやすいということだろうな。油彩の作家には勿論色んな画家がいるわけだけれど、印象派以前の絵は暗くて脂っぽくて何かそれぞれに意味がありそうで分かりにくい。ギリシャ以降の西欧の哲学や宗教その他もろもろの教養が必要そうに見える。
それに比べて印象派以降の絵画は、そう(好きか嫌い)ですんでしまいそうな気楽さがある。何よりも色がきれいだ。テーマが風景が多くて静物や人物にしても風俗画のようでとっつきやすい。まぁそういった事情で印象派の作家が好まれる理由だな。特にゴッホは例の耳きり事件があったり、最後がピストル自殺するというショッキングな死に方だったので、映画や本になりやすかったということもある。
ところが実際に「ゴッホ書簡集」などを読むと分かることなんだが、ゴッホという人は実にまじめで真摯な性格な人だ。よくある芸術家気取りのいいかげんなボヘミアンではない。反対に生真面目すぎてまわりに迷惑をかける、まぁ融通のきかない、空気の読めない田舎者といえばそうかもしれない。
気が狂って前後不覚で死んだわけではない。反対にそうなって人に迷惑をかけるかもしれないという恐れから死を選択したのだ。そこのところも実に誤解されているように思う。
一番好きな個所を無断で書き写しておきます。「ファン・ゴッホ書簡全集」より
「画家は、死に、埋葬されるが、かれにとって最も重要なことは、その作品のよって次のせだい、相次ぐ世代のかたりかけることだ。したがって画家の生涯にとって、おそらく死は最大の困難ではないだろう。こうして夜空を見上げていると僕は思う、フランスの地図上に黒く点点と記された町や村には行くことができるのに、なぜ天のいたるところに輝く星にはいけないのだろうか。・・中略・・蒸気船や乗合馬車や鉄道が地上の交通機関であるように、コレラや肺結核や癌は天井の交通機関であると考えられなくも無い。老衰して静かに死ぬのは、歩いてゆくようなものだろう」
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はる 2797
(ここからはかなり空想がはいります。間違っていても異議は受け付けません。あしからず)アインシュタインが特殊相対性理論でやろうとしたのは、すべてのものはエネルギーの変形した形だということだった。想像するにニュートンの「エネルギー不変の法則」あたりから考えて当然の帰着だな。
で次にもっと一般的に考え方を広げて、エネルギーだけではなくてすべての物事はある理にしたがっているのではないかという「統一場の理論」だった。このすべての物事というのが曲者で、宇宙の生成から哲学的なことまでを含んだものだったから、結局うまくは行かなかった。もともと我々は宇宙の子孫なので、どこかに必ずその理を隠し持っているものなのだが、普段それを意識することはない。
絵を描いている時に時々感じるのは、絵画という特殊な閉じられた世界で究極的にはここは宇宙と同じなんだということだ。すごく小さな閉じられた世界ではあるが、ここに血の通った世界を構築するにはこの大宇宙と同じ理を持ち込まなくてはならない。
セザンヌがやろうとしていたことはこのことなんだと思う。あるべきところに必ずあるように点を打つ。そのことの積み重ねがこの大宇宙を作っていると感じていたに違いない。
(ここからはかなり空想がはいります。間違っていても異議は受け付けません。あしからず)アインシュタインが特殊相対性理論でやろうとしたのは、すべてのものはエネルギーの変形した形だということだった。想像するにニュートンの「エネルギー不変の法則」あたりから考えて当然の帰着だな。
で次にもっと一般的に考え方を広げて、エネルギーだけではなくてすべての物事はある理にしたがっているのではないかという「統一場の理論」だった。このすべての物事というのが曲者で、宇宙の生成から哲学的なことまでを含んだものだったから、結局うまくは行かなかった。もともと我々は宇宙の子孫なので、どこかに必ずその理を隠し持っているものなのだが、普段それを意識することはない。
絵を描いている時に時々感じるのは、絵画という特殊な閉じられた世界で究極的にはここは宇宙と同じなんだということだ。すごく小さな閉じられた世界ではあるが、ここに血の通った世界を構築するにはこの大宇宙と同じ理を持ち込まなくてはならない。
セザンヌがやろうとしていたことはこのことなんだと思う。あるべきところに必ずあるように点を打つ。そのことの積み重ねがこの大宇宙を作っていると感じていたに違いない。
はる 2796
絵は結局好き嫌いでしょうとはよく言われる。まぁ突き詰めればその通りなんだけれどね。どんな名画でも歴史的に価値があったとしても好きでないものには触手が動かない。
「ラブ&ピース」は若いロック歌手でなくても皆が口にする。誰もが反対しない、できない耳に心地いいお題目だ。そのことの本当の意味が分かっているとか、理解できているとはまた別な問題だ。
「かわいい!」というのがとにかく今の世の中受ける大きな要素ということになっている。女子高校生に受けないようなグッズはとにかく流行らない。とにかくテレビに出て顔と名前を売るというのも、世の中に受け入れられるかどうかの大きな判断にはなる。好きか嫌いかは別にしてね。
「若い頃の苦労はかってでもしろ」とはよく言われる。どうなんだろうか、苦労しないで生きてゆけるならそれもまたいいかもしれないなぁ・・とは最近思う。苦労してもそこから何かを感受する能力がなければ意味が無い。どうなんだろうかね。
いつも思うのは、人は自分のレベルでしかものが理解できない。どんなに素晴らしい言葉でも受け取る側にそれを感受する心が育っていなければ届かない。作品は鏡のようなものだ。今の自分が分かる範囲でしか理解できないのだな。
絵は結局好き嫌いでしょうとはよく言われる。まぁ突き詰めればその通りなんだけれどね。どんな名画でも歴史的に価値があったとしても好きでないものには触手が動かない。
「ラブ&ピース」は若いロック歌手でなくても皆が口にする。誰もが反対しない、できない耳に心地いいお題目だ。そのことの本当の意味が分かっているとか、理解できているとはまた別な問題だ。
「かわいい!」というのがとにかく今の世の中受ける大きな要素ということになっている。女子高校生に受けないようなグッズはとにかく流行らない。とにかくテレビに出て顔と名前を売るというのも、世の中に受け入れられるかどうかの大きな判断にはなる。好きか嫌いかは別にしてね。
「若い頃の苦労はかってでもしろ」とはよく言われる。どうなんだろうか、苦労しないで生きてゆけるならそれもまたいいかもしれないなぁ・・とは最近思う。苦労してもそこから何かを感受する能力がなければ意味が無い。どうなんだろうかね。
いつも思うのは、人は自分のレベルでしかものが理解できない。どんなに素晴らしい言葉でも受け取る側にそれを感受する心が育っていなければ届かない。作品は鏡のようなものだ。今の自分が分かる範囲でしか理解できないのだな。
はる 2795
蛯子善悦という作家の画集を見た。何年か前にたまたま立ち寄ったレストランの壁に飾られていたもので(多分その時の感想を書いた覚えがあるのだが、暇があれば検索してみてくれ)家に帰って調べてみたら数年前に亡くなっていて、しかも国画会の先輩であるということがわかってにわかに身近な存在になった。
絵画というものが例えばどこかの画廊で見るとか、美術館で見るとか、パブリックなスペースで見るとか、何かのプロパガンバに利用されるとか、コマーシャルに使われるとか、色々な場所で見る場合があるだろう。
けれど、作家としては本当は個人の生活の場で、日常的な生活のスペースで、四季折々の花や風景と同じように楽しんでもらうというのが、一番うれしいのではないかなと思う。何かのために利用するとか、まして特別な場所で襟を正して見なければならないような場というのは案外場違いなのではないかと思う。
蛯子さんの絵との出会いがそういったまれに見る邂逅だったので、特に印象に残っている。
彼の絵は多分今の公募展などで観ると見過ごされてしまうような、ごく普通のしごくまっとうなオーソドックスな手馴れたえに見える。けれど観ればみるほど自分などが忘れてしまった、絵を描き始めた頃の何か懐かしい、憧れのようなものを持ちつづけているように思うんだな。ほのぼのとした暖かい感覚というのかな。
多分これはもって生まれた資質で、後から獲得した技術てきなものではない作家の本質だろうな。もしもう一度油彩画の作家としていきるなら、こういった作家もいいなと思う。
蛯子善悦という作家の画集を見た。何年か前にたまたま立ち寄ったレストランの壁に飾られていたもので(多分その時の感想を書いた覚えがあるのだが、暇があれば検索してみてくれ)家に帰って調べてみたら数年前に亡くなっていて、しかも国画会の先輩であるということがわかってにわかに身近な存在になった。
絵画というものが例えばどこかの画廊で見るとか、美術館で見るとか、パブリックなスペースで見るとか、何かのプロパガンバに利用されるとか、コマーシャルに使われるとか、色々な場所で見る場合があるだろう。
けれど、作家としては本当は個人の生活の場で、日常的な生活のスペースで、四季折々の花や風景と同じように楽しんでもらうというのが、一番うれしいのではないかなと思う。何かのために利用するとか、まして特別な場所で襟を正して見なければならないような場というのは案外場違いなのではないかと思う。
蛯子さんの絵との出会いがそういったまれに見る邂逅だったので、特に印象に残っている。
彼の絵は多分今の公募展などで観ると見過ごされてしまうような、ごく普通のしごくまっとうなオーソドックスな手馴れたえに見える。けれど観ればみるほど自分などが忘れてしまった、絵を描き始めた頃の何か懐かしい、憧れのようなものを持ちつづけているように思うんだな。ほのぼのとした暖かい感覚というのかな。
多分これはもって生まれた資質で、後から獲得した技術てきなものではない作家の本質だろうな。もしもう一度油彩画の作家としていきるなら、こういった作家もいいなと思う。
2009.02.10 Tuesday 12:03
つい、書きそびれていたのだけど、春さんの展示会でのこと。
お茶を頂いたテーブルの向こうに、自転車に乗った二人の絵が有った。この前の春さんのブログの散歩の写真を見てまたこの絵の事を思い出した。Que sera sera ケ・セラ・セラ なるようになる。自転車一緒にこいでいる二人、、それ、うちの事でもありだわ、、そう思ってました。言わなかったけど。
春さんの画は生で見なくちゃ。目を凝らしてじっと見つめながら、布を貼った「壁」にどんな風にその形が見えてきたのだろうと想像するのは楽しい。下地に貼られている布には、あれにもこれにも以前私が差し上げた麻の生地を使っていると教えてくださり、なんだかうれしくなる。今度「草の布」が出来たらぜひ使ってみてほしいと申し出ると、「全部塗りつぶされてしまいますよ」とおっしゃる。「それで良いのです」とわたし。
一番大きな画のそばには、左官屋さんの道具の様なコテと土(だったっけ?)が置いてあっった。左官職人のように土をこねながらコテを器用に操る姿を想像する。ご自宅のアトリエは日常生活の通路のまん中を占領していてトイレに行くにもそこを通らねばならないのだよとおっしゃっていた。今私が玄関で織をしているのと似ている。大きな作品を置くための別の広い場所が有るそうですがそこでは制作はされないのですかと尋ねると、そういう場所では書かないねえと。暮らしの中に有るからこそ書けるのだとおっしゃっていた。私も、物の置き場が無くて家から離れた場所にアトリエを構えようと右往左往していたが、いざそこに行っても何も始じめることができない自分に気がついて、無理を承知で半ば強引に玄関を占領している。此処に居ればちょいちょい人がやってくるし、珍しそうに眺めて行かれる人と、何でも無い会話を交わすことができる。何より、一番に見てほしい人がそこに居る。そんなささやかな事がきもちをふっくらとさせてもくれる。そんな暮らしに寄り添ったものを作り続けていきたい。
これから織ろうとしている布に、私、、わたしには何が見えて来るのだろう。
*******************************
ありがとう。
お茶を頂いたテーブルの向こうに、自転車に乗った二人の絵が有った。この前の春さんのブログの散歩の写真を見てまたこの絵の事を思い出した。Que sera sera ケ・セラ・セラ なるようになる。自転車一緒にこいでいる二人、、それ、うちの事でもありだわ、、そう思ってました。言わなかったけど。
春さんの画は生で見なくちゃ。目を凝らしてじっと見つめながら、布を貼った「壁」にどんな風にその形が見えてきたのだろうと想像するのは楽しい。下地に貼られている布には、あれにもこれにも以前私が差し上げた麻の生地を使っていると教えてくださり、なんだかうれしくなる。今度「草の布」が出来たらぜひ使ってみてほしいと申し出ると、「全部塗りつぶされてしまいますよ」とおっしゃる。「それで良いのです」とわたし。
一番大きな画のそばには、左官屋さんの道具の様なコテと土(だったっけ?)が置いてあっった。左官職人のように土をこねながらコテを器用に操る姿を想像する。ご自宅のアトリエは日常生活の通路のまん中を占領していてトイレに行くにもそこを通らねばならないのだよとおっしゃっていた。今私が玄関で織をしているのと似ている。大きな作品を置くための別の広い場所が有るそうですがそこでは制作はされないのですかと尋ねると、そういう場所では書かないねえと。暮らしの中に有るからこそ書けるのだとおっしゃっていた。私も、物の置き場が無くて家から離れた場所にアトリエを構えようと右往左往していたが、いざそこに行っても何も始じめることができない自分に気がついて、無理を承知で半ば強引に玄関を占領している。此処に居ればちょいちょい人がやってくるし、珍しそうに眺めて行かれる人と、何でも無い会話を交わすことができる。何より、一番に見てほしい人がそこに居る。そんなささやかな事がきもちをふっくらとさせてもくれる。そんな暮らしに寄り添ったものを作り続けていきたい。
これから織ろうとしている布に、私、、わたしには何が見えて来るのだろう。
*******************************
ありがとう。
ほとんど建物が無くなった。こうやって何年もそこにあったものが、一気になくなってしまうとその場にあった「気」のようなものまでなくなってしまう。物事があるということは前後の関係で存在する。こんなおんぼろのアパートでも関係なく、何年かの間にその場になくてはならない「場」ができてしまっている。それが人為的にすっかり消えてなくなってしまうと、どこかでバランスが崩れているんだろうなと想像する。この場の前に立った時に感じる不自然さは慣れていないというだけではない何かがあるな。もうあと二三日かかるそうだ。
古い舗装されていない路地裏の様子が好きだったんだけれど、人にはただの不便な日当たりの悪い苔むした路地にしか見えなかったのだろうな。夏場は雑草が繁茂してやぶ蚊の温床になり、雨が降ればぐずぐずの泥道になる。少し大雨になれば水はけが悪いので水溜りになる。けっして負け惜しみではなく、そんな風情がすきだったからそのままにしておいたのだ。もとあった「気」はもどらないだろう。
はる 2792
明日は久しぶりにハードな出稼ぎ仕事になる。ここのところ個展やらグループ展やら忙しくまともに仕事をしていなかったので何だか憂鬱だな。今年で私も57になる。ジー様になってしまったものだ。それにもかかわらず心の中は進歩が無い。
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