忍者ブログ
画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
[97]  [98]  [99]  [100]  [101]  [102]  [103]  [104]  [105]  [106]  [107
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。




 
はる 2877
 銀座のギャラリーを探さなくてはならない。これがなかなか問題だとは思っている。若い頃、そう30代で銀座で個展をやろうと決めた頃は、体力もあって自分なりに履歴や作品集を持って片っ端からたずねて歩いたおぼえがある。今はもうそんな体力は無い。

 むろんその頃は企画になる(画廊のお眼鏡にかなう)とは考えてはいなかったので、お金さえ出せばどこだって出来た。ただこれも問題が多い。銀座には貸し画廊はやたらと多いけれど、安かろう悪かろうではないけれど、無名の作家が名も無い貸し画廊でやっても誰も来てはくれないのだな。

 反対にこちら側が画廊の履歴というのか、これまでにやった作家のメンバーを見て、その中で全部は企画ではないだろうけれど、将来的にその画廊の企画作家になりえるだろうか?ということを考えてゆかねばならない。まぁこれはあくまでも作家として食べてゆこうかと考えた場合だけれどね。

 作家は自分の作品をとことん大事にする。まぁ当然だけれど、それが商品として流通するかと言えばほとんどの場合、値があってないようなものなんだな。ここのところがまことに微妙だ。客観的な値段などないからね。画廊というのはそういったある種の幻を売っているところなんだな。だから普通の商売とはちょっと違う。

 オーナーは自分がこれだと思った作家に眼をつける。そして企画して何年かかけて世の中に認めさせてゆく。まぁそれほど大げさなものでなくても、その作家付のコレクターを作ってゆけばいいわけだ。知ってる人は知っているというので充分だ。そういったものだろう、絵画というものは。どこかの雑誌ではないけれどカタログを作って販売するものではない。

 画廊も商売でやっているわけだから、お互いに持ちつ持たれつの信頼関係が築けるかどうか、はっきり言えば画廊に儲けさせなければ相手も本気にはならないのだな。そこのところを勘違いすると長くは付き合えない。

 長く付き合える画廊を探さなくては。

 
PR



 
はる 2876
 バッハは宇宙の音楽だな。胎児が聞く母親の心音に近いのかもしれないな。今日はFMでバッハの特集をやっていたけれど、ジャズ風にアレンジしてもバッハの真髄は消えない。五百年の時間を一気に旅できる。いい時間を過ごした。

 



 忌野清志郎が亡くなった。個人的にはそれほど思い入れもないのだけれど、歌唄いとしてはいつも大衆の側にいて、その姿勢には共感するところがあった。芸能というのは所詮ひかれ者の怨み節のようなところがあってね。体制側からのお墨付きや奨励を受けたものは面白くも可笑しくも無い。まして保護されたものなどいつかは消えてしまう運命にある。

 50代の後半ということで自分と同じ世代であり、彼らが出てきた頃も良く知っているので何となく親近感がある。高田渡などもそうだけど、一時代を築いた彼らもそろそろあちらの世界に旅立つ奴も出てきたな。

 



 
はる 2873
 どうやってもいつも主流にはなれない体質というのか、傍流にいる。例えば学校の仕事もそうだ。非常勤などというどっちつかずの立場にいる。まぁそれは自分が選んだことなんだな。

 たとえば病気になる。色んな病気があるけれど、ほとんどは生活習慣がその病気を作っているといえる。脂っこい物が好きでそればかりを食べていると、やがては血栓やコレステロールが血管を詰まらせる。

 生活が不規則で朝寝坊の宵っ張り、これを続けるとほとんどが胃腸を壊す。ストレスということもあるけれど、基本的には消化液のせいではないだろうか。消化器官というものはパブロフを持ち出さなくてもある時間になれば消化液が出るように習慣付けられている。それにもかかわらず不規則な食事時間だと、自らの胃を消化してしまう。やがては潰瘍がおきて放っておけば癌になる。

 病気に限らないのだけれど、病気が一番分かりやすい。今の自分は過去の私の延長上にあるということだ。病気など突然降ってわいた不幸というきもするが、その種はたねはここにある。

 そんなことを考えたのは、つい最近閉じた画廊のクロージングパーティに出た時だ。基本的にこの画廊は有名なS会出身の画家が多かった。むろんいろいろの作家も扱ってはいたけれど、私の属している団体の作家はほとんどいなかった。

 いやだから、自由にものが言えて面白かったんだ。自分の属している会ならなかなか会の主流の作家と話をするなどということはできない。多分自分のせいかくなんだろうな。

 本当は何でも主流にいたほうが発言力にしても地位やその他のことを考えると楽ではあるようにおもうのだけれど、どうしてもどちらにも属さないような無責任な立場を選んでしまうようだ。

 もっと考えてゆくと、その源流は親兄弟との関係まで降りてゆく。私は五人兄弟の末っ子でまぁ言ってみれば味噌っかすなんだな。今でもそうだけれど、兄弟の中では重要な位置にはいない。そんな責任のとれるところにはいつもいない。傍流と言うのかそういった場がここちいいそんな立場に慣れてしまったのじゃないかと思う。

 まぁ今更こんなことを分析しても始まらないのだけれどね。

 一昨日から六本木で展覧会が始まった。で、名札をぶら下げて一般の出品者のコーナーを観て歩いていると、どこからか忍び寄って批評をして下さいと頼まれる。ゆっくり観たいので途中から名札をはずしたのだが、まぁそれは仕事の一部だとは思って答えてはいる。

 何でもかんでも分かっている訳ではむろんない。こんな若造だからね。どう思いますか?って聞かれと、その絵が今のあなた自身でしょうって答える。今までのあなたの集積がそこにあるわけで、絵だけ特別他のものにはなれないし、なっても意味が無い。そのことの意味は大きいと思うんだな。

 上手いとか下手だとかはどうだっていいと思う。あぁこれが今の私なんだと気づくこと。だから自分がそのことに気づかなければ絵も変わりようがないということだな。どれだけ一生懸命講評してもそのことに気づいていなければ、馬耳東風なんだろう。

 出来るだけ無骨に、わざとらしくない、作為的でない、自分が自分がと言うような絵ではない、下手くそな手わざに頼らないそんな絵が描きたい。描けたらいいなぁと思っている。

 そうやって会場全体を眺めると自分の絵を含めて及第点がもらえる作品は少ない。方向は間違っていないきがするのだがな。

 



 
はる 2871
 今日は国展のオープニングです。展覧会が始まりました。全国から絵描きがこれに合わせてやってくる。そういった沸騰寸前のごった煮が興味深い。だからオープニングのザワザワが好きなんだけれど、疲れもピークに達してきた。明日は帰ります。

 



今年の展示風景
はる 2870
 今日からまた東京暮らしになる。まぁ何をやっているのやら、奇妙な生活ではある。

 自分の絵は客観的には分らない。描いている時はそれなりにいいとは思っているのだが、時間がたつとそれほどでもない場合が多い。展覧会に出す場合できたら半年ぐらい裏返しにしておいて出品するくらいのほうがいいのだけれど、いつも最後までだらだらと眺めていることが多い。

 今回は仕事が押し詰まってから泊まり込みであるということが分かっていたので、昨年のうちに大体の切りを付けておいた。時間がないとあせって冒険ができない。私の絵はほとんど壊しながら作ってゆくという方法なので、仕上がらない場合まったくお手上げになる可能性が大きい。

 アトリエが狭いということもあって、作品を並べて飾るということもできない。今回の作品はほぼ組み作品のようなもので、二枚同時に同じ会場で置いてみたかった。

 会場にはものすごい大きな作品が所狭しと並んでいて、それはそれでビックリ箱のようで楽しい。どこかの会のように同じ様なサイズの絵が横一列にびっしりと並んでいるというのはいかにも退屈だ。我田引水と思ってもらって結構だが、やはり何でもありのこの会は面白いと思う。

 コンピュータのバーチャルな世界やイラストレーションのような軽いタッチの絵が氾濫している世の中だから、こういった無用で必要ない造形物が反対にいとおしく思える。まぁそれもこれも好みと言ってしまえばそうかもしれない。

 もう受けるとか受けないとかは考えないことにした。自分のいいと思った仕事をするしかない。これが私の限界だな。

 



帰宅
 そうだな、昨日久しぶりに帰ってきた。さすがに一週間留守にすると疲れがたまる。それでまた二日ほど出かける。今度はいよいよ飾りつけとかオープニングの懇親会がある。年に一度のお祭りが始まる。始まってしまえば展覧会は終わったようなものだ。今年はこんなことで家を留守にすることが多く、絵描きと言うより出張ばかりのサラリーマンのようだな。

 個展なんかは別なんだけれど、こういった大きな団体展は観る展覧会というより参加することに意義があるように思う。お祭りはそうなんだけれど、見ていて面白ければ一緒になって参加すればもっと楽しい。一緒になってわいわいと楽しんでしまう方がいい。

 個展はそういった意味ではもっとシビアだな。観者と作者の真剣勝負のようなところがある。面白くなければ二度と来てはくれないし、まして買ってくれることなどないわけだ。義理で付き合ってくれるのは初回ぐらいで、後は絵に魅力が無ければ段々に来てくれる人は少なくなる。まぁそこが面白いと言えば面白いのだけれど。

 
**
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]


(Design by 夜井)