忍者ブログ
画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
[887]  [886]  [885]  [884]  [883]  [882]  [881]  [880]  [879]  [878]  [877
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。




 
はる 3441
 携帯電話を見ていると、我々はついに神の領域に入ったのではないかとさえ思う。多くの機能はほとんど使えないのだが、今こうやって考えたことが瞬時にどこか誰も知らないところまで伝達できるわけだから、つい最近まではとても考えられない機械だ。

 例えばこんな風には考えられないだろうか。今現在、この宇宙には人類のほかには知的な生物はいない。もし仮に遠い昔にいたとしても今この時点で同じ時間を生きているとは考えられない。宇宙の時間で見れば人類の繁栄など一瞬の出来事にすぎないからだ。

 これから先人類はどこまで総体としての「情報」を伝える、または残すことができるかわからないけれど、その情報を受け取ることが出来るのは人類以上に高度に発達した知的なものでなければ不可能だ。

 反対に、もし仮に人類以前にそういった生物がこの宇宙にいたとして、彼らはどうやって我々にその「意思」をのこしたのだろう。

 我々生物はある意味で遺伝子の方舟であるということを聞いたことがある。ありとあらゆる生物は基本的にはほとんど同じ遺伝子で出来ているらしい。この遺伝子がどうやって作られたのかはほとんど神の采配でしかないわけだけれど、ひょとして我々以前のこの宇宙のどこかの知的生物の「意思」かもしれない。

 今でも星は誕生と消滅を定期的に繰り返している。それはまさに一つの生命体と同じように長い目で見れば生きているということが出来るかもしれないな。で最後に大爆発を起こしてその星の内容物をこの宇宙に撒き散らすらしい。

 我々の体の中核を作っているたんぱく質も実はそういった星のかけらがなくては出来ないものらしい。

 具体的にはよく理解していないのだけれど、もし仮に「おおいなるもの」の意思というものがあったとしたら、そういったかたちで過去から現在そして未来とつながってゆくものかもしれないね。

 普通遺伝子自身は意思を持たない。ところがたまたま人類の遺伝子をもった「人」は考えることをはじめてしまった。多分これは予想外のことだったんだな。

 ・・・まとまらない。今日はここまで。

 
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
**
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]


(Design by 夜井)