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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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はる 3680
 今日は比較的に涼しかった。涼しいというのもおかしい話だ。台風一過なのにね。普通は湿った空気が入り込んで蒸し暑くなるのだが、秋のようなさわやかな風が吹いていた。このまま終わるとも思えないけれどね。

 本屋さんに立ち読みに出かける。美術雑誌が二十日前後で新刊がでるからだ。昔は芸術新潮をはじめとして、結構色々な雑誌を講読していたのだが、雑誌の定期の購読は一切やめてしまった。すぐに溜まっておき場所に困るというのが第一なんだけれど、別に必要な情報は立ち読みで間に合うし、どうしても欲しい情報ならその巻だけ購入すれば済む事だ。もちろん経費も馬鹿にならないということがあるのだけれどね。

 定期に購読していた大きな理由は、今流行っている美術の動向が気になっていた。それは公募展に出品していたこととも関係する。こういったコンクールは時代の風と言うのを如実に受けるもので、今何が受けるのか、受けているのかということを意識しなければならないと思い込んでいた。

 毎年上半期・下半期のコンクールの大賞受賞者というのが発表される。その時の出品点数や審査員のメンバー傾向などを食い入るようにながめていた。まぁ何だろう、時代がバブリーな浮ついた雰囲気を煽っていたようなところがある。賞金もどんどんつり上がって、否が応でも射幸心を煽って、ほとんど博打のような浅はかさだ。ほんの少し前のことなのに、百年も前のことのように感じる。

 私が浅はかだったということもあるけれど、あれはやっぱり異常だったんだと思う。長い目で見るとバブリーな雰囲気そのものに呑まれていたんだろうな。それがそのまま時代の雰囲気だったきがする。あのまま時代の波に飲まれていたら、多分今のようなスタンスでは暮らしてはいけなかっただろう。結果論ではあるけれど、無名のままでよかった気がする。

 で、雑誌をぱらぱらと見て、今をときめく作家の作品を何百と見ても、私の心に届く作品は何点もない。たぶんもう今の時代の最前線ははるか遠くに行ってしまって見えなくなってしまっているのだろうな。

 けれど、大切なものというものは変らなくそこにあって、時代がどんなにかわっても変らないもの、そんなものを表現したいと最近は思うのだな。
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無題
そうだそうだ!!同感だまったく。あなたはいいことおっしゃるねえ。
サンジェルマン 2011/07/23()21:17:40 編集
無題
サンジェルマンさん、コメントありがとうございました。
 今だから言えるのだけれど、流行を追っかけることほど悲しいものはない。時代はいつも変化し続けるからねぇ。でも若い時は一発当てたいという気持ちも分るなぁ・・。
はる 2011/07/23()23:09:42 編集
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