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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 絵の値段ってどうやって決めるのですか?と時々聞かれる。まぁこのことは極秘中の極秘扱いだろう。だれも正直には言わない。作家によってまちまちだ。自分が決めるというより、周りの思惑に寄って決まって行くことが多い。例えば、間に扱ってくれる画商さんが絡んでくれば、当然彼らの仕事も入ってくるだろうから、最低でもこのくらいというラインがきまってくる。

 勿論、美術史上の作家であったり、現役でも大家になって、絵の価値というより投機の対象になっている作家は別の話だ。例えば、今売れっ子の村上某さんなどがオークションで何千万で取引されたなどという話は、普通の感覚ではない。いつの時代ももてはやされる超売れっ子というのはいる。

 よく町の画廊などで売りの個展をやっている作家が、○○年鑑などを提示して「私は号○万で売っています」とそれが客観的に正当な評価のように見せている作家がいるけれど、あれは自己申告で客観性は何処にも無い。実物の絵があるにも関わらず、そういった絵以外の付属物で絵の価値を上げようとするのは全てまやかしだろう。判断は自分の眼でするということだな。絵を観ることは自分を見ることだということだ。

 例えばアメリカのようにアーティストを保護するような政策を取っている政府や自治体だと、作家の活動はどちらかといえば公共的な目に見える方向に向かう。まぁどこかの企業の奨学金を得るとか、あわよくば政府の給付金をゲットするとかなんとか。海外の留学などはそうやって可能なわけで、まだ下積みの若い人たちにとってはありがたいシステムだ。

 けれど、どうしても人というのは慣れてしまうもので、そうやって公のところから給付される年金生活に頼ってしまうと何処となく違うなぁ・・という気がする。本来やはり目線はそういった上に向かったものでなく、「芸」はあくまで大衆というのか、皆と同じところにあるべきだと思うんだな。いっぱしの作家だというならね。そうやって暑いだ寒いだ悲喜こもごも一緒になってやるから引きがあるのじゃないかね。

 なんだか妙なところに来てしまった。いずれまた続きを。
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