画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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「こたえてください09」部分
はる 1715いつも訪れるブログの中に古代の生物、簡単に言えば恐竜などの復元図を書くことを仕事にしているプロの作家がいる。その人のブログを読んでいると、絵を描く事が好きな人というのはこういう人を言うのだなと感心する。例えば恐竜の骨の化石が出土する。そういった専門家と一緒になって骨格全体の予想図を描く。そして骨の形からこの生物はどうやって獲物を取ったとか、退化した骨から衰退の過程を予想したりする。そんなときにも正確な復元図が描けなければならない。
日ごろデッサンをするのだが、人の頭蓋骨だとか小動物の骨格だったり、鳥の死骸だったり、まぁ一般には気持ちの悪い部類のモチーフを何時間もかけて克明にデッサンする。仕上がりはモノクロームなんだが、それだけに集中力というのか、一種研ぎ澄まされた他を寄せ付けない求道的なものを感じる。私の絵画の方法と全く違う方法だけれど、反対に凄く興味があってそのストイックな姿勢には共感を感じる。
で彼の描画のスタイルを見ていると、私などと大きく違うのは全く部分から描いてゆくことだ。角の先から描き始めて、もうすでにその部分は仕上がっている状態まで描き込まれている。一日の仕事が終った段階ではちょうど画面の半分が描きあがっているというような描き方だ。
無論これだけのデッサン家になれば全体の様子は頭の中に入っているとは思うのだが、案外こうデッサンの達人というのは部分から一気に描いてゆくものかもしれないなぁと妙に感心した。
私の絵の作り方は、まず全体ありきで始める。全体の中で部分を作ってゆくという描き方をする。細かい所の描写に面白みを感じ始めたら、大体壊れ始めている。最後までこの考え方で進めてゆくように心掛けている。
しかし、このような描き方では例えば人物デッサンのようなことをやる時に突然筆進まなくなってしまう。仕上げに向かう時にどこかで考え方をかえる必要があるのかな。
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