画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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はる 2713
美術系の大学を受験する時に、実技系に重点を置いた受験をするか、学科の方に重点を置いた受験をするか、最後まで悩んだ。もう30数年前の話だけれどね。
一つは受験したのが25歳だったというのが大きい。もうすでにバイトしながらの受験勉強は限界に来ていたので、これ以上の浪人生活はしたくなかった。今ある技術では到底美大には受からないだろう。もう一年浪人して徹底的にデッサンをやれば不可能ではなかったかもしれいけれど、もう根性がなかった。
それから美術系の私学に行くことも経済的に不可能だ。その時は親からの援助は期待していなかったし、許されるとも思っていなかったからな。そうなると選択はしぼられてくる。公立の大学で今ある技術で何とかなりそうなのは、全国どこにでもある教育系の美術科ということになる。
まぁ今なら芸事は習うものじゃないよとか軽くいえるけれど、二十歳そこそこの若造じゃそんなこたぁ分からない。もう一度ゆっくり時間をかけて勉強したかったというのが本音かな。だから場所はどこでも良かったのだ。
ここに決めたのは偶然だ。たまたま昔旅行で立ち寄ったことがあるというだけだ。当時は清里もただのひなびた田舎町で、駅前には売店がひとつあるくらいだった。今のようにペンションなどという言葉もなかった。六甲山しか知らない関西の人間にとってこちらのとんがった山々は魅力的に思えたな。
画家になれるかどうか、絵描きが何たるものか、そんなものは全く考えられなかったけれど、将来的には漠然と東京で発表して行きたいとは考えていた。
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