画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
→ http://enami.sakura.ne.jp
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
自分の絵のスタイルがなぜ今の形になってきたか、いつ頃からこうなったのか考えてみる。例によって思いつきで書いてゆくので、結論を期待しても意味がありません。
まぁ大きく変化したのは97年に今までの油彩から水性のメジュームになったことだな。随分と思い切った変化だけれど、ちょうど間に一年イタリアを旅行していて油彩画を描かなかったということもあるかな。でも実は旅に出る前からひょっとすると帰ってきたらもう油彩は止めるかもしれないとは思っていた。そこのところはなぜなんだろうか?
油彩画の最後の方ではかなり紙や布を貼ったりしていた。でもそれはやっぱりあくまでも絵の具の補助ぐらいの意味で、油性のキャンバスに紙を貼り付けたりするのはあまり上手く行かなかった。もっといいえばなぜそういった異質なものを画面の中に持ち込むのかということだな。
我々の学生の頃は、凄く画材について興味が持たれ始めたころでね。今までは何も考えずにただ画材やさんに出掛けて絵の具とキャンバスを買ってきてただ描けばいいと教えられて来たんだけれど、そもそもなぜ西欧の伝統である油彩でなきゃならないんだという疑問がでてくるわけだ。
そうやって考えると、油彩というのは実に不自由な画材でね。まず乾きにくい。まぁそれが特色であるからうまく使えば独特の味がでるのだが、なぐりがきのような印象派以降の描きかたではある意味油彩である必要はないんだな。
それはまぁ時代の空気みたいなものなんだろうけれど、多くの絵を描く人たちが「絵を描く材料」について真剣に考え始めたころなんだな。今まで誰も考えなかったこと、例えばキャンバスはどうやって作るのかとか、地塗りは白亜地にして何回も工夫して塗りこむといいとか、絵の具もそれこそ組成にまで立ち戻って研究する人もでてきた。それはそれで結構面白かった。一度はそこまで行く必要があったのだ。なぜなら日本には油彩の伝統がなかったのだからね。
でもそれは絵を描く本質ではない。無論そこに残って今も真剣に油彩画を極めようとしている人もいる。それはそれで大切なことだろう。
私も同時代に生息していた人間だから、そういった組成や材料にも凄く興味を持ったし、やってもみた。でも自分にはそこまで厳密に遣り通す根性がなかった。興味も続かなかったわけだ。何か違うという感覚かな。
今考えてみると、油彩から今の画材に移行する決定的なきっかけは何だったんだろう。色々理屈はあるだろうけれど、どれもこれも当たってはいるけれど、真実ではない気がしている。
画集にも書いたけれど、例えば絵を描いてそれが何になるんだ?今描いている林檎に意味があるのか?と考え始めると、なぜかむなしくなるんだな。世の中に人に何も必要とされていない、そんなことを一生かけてやって意味あるんか?そもそも世の中の人は絵に何を期待しているんだ?
そんなことをまぁえっちらこっちら考える。そうすると例えばアフリカの原住民のお面とか、祭りの道具とか、そもそも生活の中でつかわれている道具なんかも、決して西欧的な基準で美を作っているわけではないわな。アフリカでなくても日本でも例えば村祭りに使われている様々な道具なんかも美術、芸術ではないけれど凄く心打つわけだ。
なんかそこら当たりに解決の方法があるのではないかと、考えたわけだ。眠くなったので続きはまただな。
まぁ大きく変化したのは97年に今までの油彩から水性のメジュームになったことだな。随分と思い切った変化だけれど、ちょうど間に一年イタリアを旅行していて油彩画を描かなかったということもあるかな。でも実は旅に出る前からひょっとすると帰ってきたらもう油彩は止めるかもしれないとは思っていた。そこのところはなぜなんだろうか?
油彩画の最後の方ではかなり紙や布を貼ったりしていた。でもそれはやっぱりあくまでも絵の具の補助ぐらいの意味で、油性のキャンバスに紙を貼り付けたりするのはあまり上手く行かなかった。もっといいえばなぜそういった異質なものを画面の中に持ち込むのかということだな。
我々の学生の頃は、凄く画材について興味が持たれ始めたころでね。今までは何も考えずにただ画材やさんに出掛けて絵の具とキャンバスを買ってきてただ描けばいいと教えられて来たんだけれど、そもそもなぜ西欧の伝統である油彩でなきゃならないんだという疑問がでてくるわけだ。
そうやって考えると、油彩というのは実に不自由な画材でね。まず乾きにくい。まぁそれが特色であるからうまく使えば独特の味がでるのだが、なぐりがきのような印象派以降の描きかたではある意味油彩である必要はないんだな。
それはまぁ時代の空気みたいなものなんだろうけれど、多くの絵を描く人たちが「絵を描く材料」について真剣に考え始めたころなんだな。今まで誰も考えなかったこと、例えばキャンバスはどうやって作るのかとか、地塗りは白亜地にして何回も工夫して塗りこむといいとか、絵の具もそれこそ組成にまで立ち戻って研究する人もでてきた。それはそれで結構面白かった。一度はそこまで行く必要があったのだ。なぜなら日本には油彩の伝統がなかったのだからね。
でもそれは絵を描く本質ではない。無論そこに残って今も真剣に油彩画を極めようとしている人もいる。それはそれで大切なことだろう。
私も同時代に生息していた人間だから、そういった組成や材料にも凄く興味を持ったし、やってもみた。でも自分にはそこまで厳密に遣り通す根性がなかった。興味も続かなかったわけだ。何か違うという感覚かな。
今考えてみると、油彩から今の画材に移行する決定的なきっかけは何だったんだろう。色々理屈はあるだろうけれど、どれもこれも当たってはいるけれど、真実ではない気がしている。
画集にも書いたけれど、例えば絵を描いてそれが何になるんだ?今描いている林檎に意味があるのか?と考え始めると、なぜかむなしくなるんだな。世の中に人に何も必要とされていない、そんなことを一生かけてやって意味あるんか?そもそも世の中の人は絵に何を期待しているんだ?
そんなことをまぁえっちらこっちら考える。そうすると例えばアフリカの原住民のお面とか、祭りの道具とか、そもそも生活の中でつかわれている道具なんかも、決して西欧的な基準で美を作っているわけではないわな。アフリカでなくても日本でも例えば村祭りに使われている様々な道具なんかも美術、芸術ではないけれど凄く心打つわけだ。
なんかそこら当たりに解決の方法があるのではないかと、考えたわけだ。眠くなったので続きはまただな。
PR
この記事にコメントする
**
***
****
ブログ内検索
アーカイブ