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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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山口画廊・画廊通信66
許可を取って転載

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画廊通信 Vol.66           答えざるものへ

 欧州はいずこの国ぞ、長い放浪に疲れ果て、名も知ら
ぬ寒村にたどり着いた旅人がある。いつの間に中世へと
遡行したかの様に、質素な石造りの家がひっそりと連な
る街道を抜けて、彼は村はずれに最早訪ねる者もない、
崩れかけた古い会堂を見つけた。
 何者かにいざなわれるが如く、朽ちた扉の中へと足を
踏み入れた彼は、荒れ果てた堂内に屹立する風化した石
壁に、剥落してなおわずかに彩色の滲む、絵画とおぼし
き微かな筆あとを認める。おりしも黄昏が荒野に最後の
輝きを放ち、うがたれた小窓より薄暗い宙空に、突如一
閃の残光が射し込んだ刹那、茫洋と壁に浮かび上がるい
にしえの聖像。旅人は声もなくその面前にひざまずき、
暮れなずむ慈光の中で微動だにしない。
 数日の後、通りがかりに会堂を覗いた村人は、暗がり
の石壁に浮かぶ、見知らぬ旅人の姿を見つける。ひざま
ずいて祈りを捧げる彼は、あたかもつい昨日描かれたか
の様に、鮮やかな光彩を静かに湛えていた。……失礼、
冒頭からのつまらない作り話、平にご容赦を願いたいの
だが、今回初めての個展となる榎並さんの作品を見てい
たら、そんな物語が彷彿と浮かんで来てしまった。
「芸術は時代を映す鏡」とはよく言われる台詞で、確か
に榎並さんの描き出す作品にも「現代」という時代が投
影されている事に違いはないが、しかしながらその鏡に
映された世界には、風化した岩壁の様な趣を醸すマチエ
ールと相まって、何かしら遥かないにしえの香りが漂う。
 修道士・旅芸人・楽士・放浪者といった、どことなく
中世のイコンを思わせる様な作中の人物達は、喧噪を極
める目まぐるしい現代の世相に背を向けて、どこか遠く
の名も知らぬ国へと、その想いを馳せるかの様に見える。
きっとその地とは、もの静かな時間がゆったりと流れる、
私達の在るべきもう一つの国なのかも知れない。
 きっと如何なる時代であれ、その変動する表層の下に
は、時代を超えた不変の深層がある。榎並さんの絵に見
入る時、人はいつしかそんな内なる旅路への扉を、我知
らずそっと開いているのだろう。

 私は、未だ携帯電話を「電話」という機能だけで使っ
ている様な、到ってアナログ的な人間なのだが、榎並さ
んとの出会いは極めてデジタル的であった。昨年の初春、
何気なくインターネットを覗いた際に、私のホームペー
ジに対して、好意的なコメントを寄せられているブログ
を見つけたのが、そもそもの機縁である。
 アナログ的とは言え、私も世の趨勢には逆らえず、実
は簡単なホームページをこそこそと出していて、この時
に掲載していたエッセイは、絵の売買を傍観する団体作
家のスタンスを、私なりに批判した内容であったが、そ
れに対してこのブログは「絵を売るという事について、
言いにくい事をはっきり言っている」と、明確に賛同の
意を表してくれていた。
 おかげで幼少よりあまり誉められた事のない私は、す
っかり嬉しくなってしまい、一体どんな奇特な方が私な
んぞに共感してくれたのかと、早速ブログの主を見てみ
たところ、なんとその方は画家なのである。ご自身で本
格的なホームページを作られていて、どんな絵を描かれ
ているのかと興味津々、掲載されていた作品を拝見させ
て頂いたら、これがなんとも心惹かれる絵ではないか。
ウェブ上の画像ではある程度までしか分からないにせよ、
そこには紛れもなくあの「本物」の気韻がある、これは
天が与え給う巡り合わせに違いない、私はそう思った。
 それから一ヶ月近くを経て、私は「榎並和春」という
未知の画家へ、こわごわメールを送らせて頂いた。
「私の勝手な文章をブログに取り上げて頂き、ありがと
 うございます。あらためて自分の文章を読み返してみ
 ると、なんとも生意気でいけ好かない感じですね。
 実は私、失礼ながら榎並さんの事を、万年勉強不足の
 ゆえ今まで知りませんでした。早速ホームページで作
 品を見せて頂き、ある種宗教的ともいえる様な深みの
 ある作風に、心惹かれました。もし差し支えなければ
 画集や個展の資料等、お送り頂けないでしょうか」
 翌日パソコンを開けると、画家より返信が届いていた。
「ご丁寧なメール、ありがとうございます。
 どこでどうやって山口画廊さんとつながったのか、ま
 るで覚えてないのですが、確か気になる作家の企画を
 やられている画廊だと認識していました。今回の『わ
 たなべゆう』さんも好きな作家です。資料、できるだ
 け揃えてお送りしますから、ちょっと時間下さい。
 私のHPは、ほぼ私の等身大だと思います。本人が運
 営しているHPですから、確かな事でしょう。この程
 度の人間で、その程度の事しかやれていません。もし
 それでよければ、お付き合い下さい。榎並」
 きっかり一週間後、幾冊もの写真ファイルと作品見本
の入ったダンボール箱が、ありがたくも画廊へ届いたの
だが、実はその時、私は連日の腹痛で立つ事もままなら
なくなっていた。翌日、私は緊急入院のハメになり、し
ばらくは仕事の出来ない成り行きとなった、せっかく送
って頂いた沢山の資料を、画廊へ置き去りにしたまま。

「お元気になられたようで良かったですね。私の資料が
 着いて即入院だったので、何かしら見てはいけない物
 を見たせいかもしれないと、密かに危惧しておりまし
 た。でもまあ良くなったようで、ちょっと安心しまし
 た。少しゆっくりしろという暗示ではないでしょうか。
 またその内にお会いできる事を、楽しみにしています。
 ではまた、その時にでも。榎並」
 それから一ヶ月半ほど後、私はこんな心温まるお便り
をいただいた。借りっ放しだった資料を、退院してやっ
と返却させて頂いた折の、画家からのメールである。
 ちなみにお預かりした資料は、妻が画廊から病室まで
「重いのよねえ」とブーブー言いながら運んで来てくれ
て、おかげで私はベッドの上でお茶などすすりながら、
その独自の世界を心行くまで堪能する事が出来た。暗い
入院生活の中に、静かな希望が灯るのを感じながら。
 メールを頂いてから一週間程を経た午後、私は甲府の
榎並宅へ伺わせて頂いた。晩春の陽光を川面に浮かべた
穏やかな流れを渡り、川沿いの道を折れて路地を奥まっ
た所に、目指す画家のアトリエはあった。一見して簡素
なたたずまい、しかし時代の艶を湛えるかの様な古い家
具が、諸処にさりげなく置かれていて、住む人の質の高
い生活スタイルがうかがわれる。
 初めてお会いする画家は、隠遁せる一徹の哲学者とい
った風情、ご挨拶を申し上げてしばし歓談の後、制作途
中の大作が立て掛けられたアトリエに案内して頂く。
 榎並さんの制作過程は独特である。麻布や綿布を水張
りしたパネルに、ジェッソや壁土・トノコ等を塗り重ね
て下地を作り、布等のコラージュを自在に交えながら、
墨・弁柄・黄土・金泥・胡粉等々、様々な画材を用いて
幾層にも地塗りを重ねる内に、その画面は風化した岩壁
の様な独特のマチエールを帯びる。一口に言えば、「ア
クリルエマルジョンを用いたミクストメディア」とでも
呼ぶべきか、しかし画家の制作姿勢そのものが「○○技
法」という分類を、そもそも根本的に拒んでいる。たぶ
ん榎並さんにとって「技法」とは、絵を完成させるため
の手段ではなく、何かに到るための道程に他ならない。
 幾重にも絵具を塗り、滲ませ、かけ流し、たらし込み、
消しつぶし、また塗り込むという飽くなき作業の中で、
画家は来たるべき「何か」を探し、その何かが見えて来
る「時」を待つ。きっとそれが榎並さんの考える、「描
く」という行為なのだ。
 やがて「時」が来る。いつの間に天啓の如く「何か」
が画面へと降り立つ。ある時は修道士の姿を取り、ある
時は笛を吹く楽士となり、おそらくは作者自身も意識し
ないままに、それは茫洋と画面にその全容を現わす。
 画家自らに入れて頂いた、香り立つアールグレイをい
ただきながら、私は「表現」という言葉の持つ両義性を、
あらためて思い返していた。「表わす」事と「現れる」
事、つまりは「自己の」作用と「自己以外の」作用、そ
の両者が分かち難く一体となった所に、初めて真の「表
現」が成立するのではないだろうか。あらためてその制
作を省みた時、「自我の表出」という様な狭い範疇を超
えた、「表現」という言葉の広範な在り方を、榎並さん
はなんと明瞭に体現している事だろう。
 アトリエに立てられていた制作中の大作も、厚く幾重
にも塗られた地塗りの中から、まさに今何かが浮かび上
がらんとしていた。私にはそれが、何者かを真摯に希求
してやまない、画家自身の姿にも思えた。

 あれから早くも一年以上が経過して、その間榎並さん
とは昨年末に銀座の個展を訪ねた時以来、久しくお会い
出来ないでいるが、いよいよ当店の個展も目前となった。
 巷は「阿修羅展」の余熱冷めやらぬ間に、今月からは
「ゴーギャン展」が幕を開け、最高傑作の誉れ高いボス
トン美術館所蔵の名作が、本邦で初めて公開される事も
あり、やはり相当の混雑が予想される。南海の孤島にお
ける貧困と病苦の中で、死を賭して描いたとされるその
畢生の大作に、ご存じの如くゴーギャンはこう命名した。
「我々はどこから来たのか/我々は何者か/我々はどこ
へ行くのか」──思うに、不遇の大家が残したこの永遠
の問いかけは、現代の美術界に生きているだろうか。
 村上隆や奈良美智の活躍によって、近年の美術市場は
現代アート一色に塗り替えられた感があり、折からの中
国や韓国の美術投機ブームと相まって、実力も定かでは
ない若手の作家達が、一時は異常な脚光を浴びる状況と
なった。隣国の投機熱が低下すると共に、さすがに年端
も行かない学生作家の青田買い等は影を潜めつつあるが、
未だ市場では若手を優先する傾向が強い。
 むろん「若手作家」と一括りに論ずる事は、短絡に過
ぎるのかも知れないが、しかしそこにはやはり、ある共
通した傾向が散見される。まずは「発想の新奇」や「表
現の特異性」を狙う姿勢、それは元より若者の特質とも
言えようが、いつの間に現代は「アート」という軽い言
葉の下に、芸術表現の意味を履き違えてはいまいか。
 例えばジャコメッティという彫刻家がいて、周知の如
くかつてない斬新な形象を創り出したが、しかし彼は決
して新奇や特異性を求めて、あの独自のスタイルに到っ
た訳ではないだろう。一見どれも同じ様な鶏ガラの如き
人物像を、創っては壊し創っては壊し、呆れるほど執拗
に追い求めた真意は何だったのか、たぶん彼の心にあっ
たものは、たった一つの問いだけではなかったろうか。
「我々は何者か」、おそらくはそれだけを、創るという
行為を通して彼は知りたかったのだと思う。まずは「問
い」があった、やむにやまれぬ心底からの希求があった。
 優れた芸術表現の源泉には、常にその様な否応のない
衝動がある、それがあってこそ「斬新な発想」も「特異
な表現」も、豁然と生まれ得るのではないだろうか。
「私は何なのか?という問いかけは、複雑に絡み合った
糸を解きほぐすようなものだ。どんどんと下に降りて行
って、もうこれ以上行けないという所から眺めてみると
分かることもある。絵を描くとはそのための道具だ」、
今こうして榎並さんの言葉を省みた時、幾重にも絵具を
塗り重ねるその制作の意義も、ここにある事が分かる。
「こたえてください」「おおいなるもの」「いのりのか
たち」──これらの美しい言葉は、榎並さんが自らの作
品に冠したタイトルだが、これだけでも作者の想いは伝
わるだろう。それはあの始原の問いを、静かに深く希求
する人の、思索の果てに涌き上がる言葉だから。
 思えばゴーギャンもジャコメッティも、「答え」を残
してはいない。彼らは「問い」だけを残した。だから後
世の私達は、その絵を見る度に問いかけられる、「我々
はどこから来たのか」と。答えられない私達は、何者か
を仰いで呼びかける──こたえてください──、それで
もその問いの先には、底知れぬ沈黙があるだけだ。
 答えざる者への呼びかけは、いつしか祈りとなるだろ
う。元来「祈り」とは、大いなる者への呼びかけであっ
たのか。気がつけば私達は榎並さんの絵に、深い祈りの
響きを聞いている。そしてその作品に見入る時、人は画
家の内なる異郷で、遥かな巡礼へと旅立つのだ。旅人は
やはり問うだろう、「我々はどこへ行くのか」と。やが
てあのいにしえのイコン達は、沈黙の答えを語り始める。(終)

 
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