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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 まぁ今更何を言っても遅すぎなんだけれど、我々の何がこんな結果を招いたのか、そのことを充分に考える必要はあると思う。まぁ特に我々日本人だけが特別安全について考えてこなかったわけではないだろう。原発をもつほとんどの国はおおかた「原発は安全だ」という建前で勧めてきたのだろうと思われる。まさかこんなことになるとはやっぱり想像できなかった、したくなかった、のではないかな。非常に無責任だけど、多くの関係者は出来たら何事もなく、その任期を終える事だけをしっかり考えていたのだと思う。

 事故が起きてからの役人とかその電力会社のトップの対応の仕方は絵に描いたような官僚的な、エリート集団の無責任ぶりと自己保身ぶりと無能ぶりをさらけ出したようにみえる。まぁこれもあちらが悪い、こちらが悪いと言っても立場が変れば多分自分たちも同じ事をしていたのではないかな。その事で個人を糾弾してもあまり意味はないだろう。

 私たちの大きな思考の一部に「阿吽の呼吸」というのがある。いい面で使えば以心伝心、何も言わないでも分かり合える仲間、そんな感じで使われるのだけれど、例えば今回のマスコミの対応などを見ていても、どこにも独自の視点と言うのが感じられない。大きな事件や事故が起きた場合、意見が大同団結を何となく求めてしまうようなところがあるのではないかな。だから大本営発表ばかりが通ってしまう。だれも反対の意見をいえなくなってしまう、そんな「空気を読む」雰囲気が出来てしまっているのではないかな。

 独自の自分の意見をいうという学習がなされていないのだ。国会の中継などを聞いても、揚げ足取りみたいなことばかで、絶対に他人の意見は行かないぞという雰囲気だ。最初から人の意見を聞くつもりなどなく、反対に相手を威嚇して馬鹿にして見下す、意見などどうでもよくて、兎に角自分の人格を相手に認めさせてねじ伏せれば弁論がたつなどと思い込んでいる。これじゃいつまでたってもまとまる話もまとまらなくなってしまう。会議など無駄だ。人の意見を聞かないのなら最初から話し合いなどしなきゃいい。

 今の日本のシステムなら何も決まらないし、何も実行できない。時間ばかりがかかって意味のない意見交換ばかりだ。本当は話し合いというのは両方のいいところを取り合ってお互いに少しずつ譲歩するってことじゃないかな。そうでなきゃ絶対にまとまらない。意味もない。

 これを契機に少し変らなきゃ、また同じ事の繰り返しだ。


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