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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 何だかおかしいぞ。政府や安全委員会などがやっていることは最初っから信用ならないのだけれど、このところどんどん規制が甘くなって軒並み解禁になっている。素人だから数字を持ち出されてもよくは理解できないのだけれど、何だか原発の事故は終わったような、もうすぐにでも安全宣言がでそうな雰囲気を作っているのじゃないか。もうレベル7を認めたから何があっても怖くない、そんなに安心していいのかな。

 内田樹の「日本辺境論」に戦艦大和の話が出ていた。敗戦間まぢかなあの時期に何でわざわざやられるために出撃したのか。もう戦艦の時代ではなくなってしまっていることは今までの戦いでよく分かっている。大きな図体にでかい大砲載せた戦艦なんて、格好だけの戦いの武器でハッタリでしかない。時代は明らかに戦闘機の時代で、大きな戦艦が参戦してもほとんど役には立たない。そんなことは連合艦隊の艦長は百も承知だったのだ。もっと言えばこの戦争は間違えていると言うことは頭のいい軍人ならほとんど分っていた。

 分っていてもそれを止めることはできない。もう個人の判断ではない何かが、どんどん加速度的にすすんでゆく。それを推し進める何かとは何だったのかというのが、この本の主なテーマだ。

 読んでいて、この本は震災前に出版された本であるに関わらず、まるっきり今回の原発のことを書いてあるような錯覚に陥る。まさに「原発は震災で壊れる」ということが分っていたにもかかわらず、どんどん加速度的に進めて来てしまった。頭のいい東電の幹部や安全委員会や官僚は「原発は壊れる」ということは知っていたに違いない。でもそれは個人の意見でなんとかなる領域ではもう無くなってしまっていた。

 我々の思考の中にはそんな部分が多々あるように思われる。今政府や官僚を批判したけれど、実は私の中にもそういった部分があって愕然とするのだ。あぁあいつらが悪い、分っていながら隠していたあいつらはとんでもないヤツラだと批判してつるし上げるのは簡単なことだけれど、それだけではまた同じ事を繰り返してしまうだろう。

 それは何かといえば、その場の気を読んで趨勢に身を任せてしまう、あえて荒波を立てることを良しとしない、基本的には「和を持って尊しとなす」、場を乱さない、それを良しとしてしまう我々の気質から来ている。
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