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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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はる 2786  
 今日は学校でこれを書いている。ゆえにひらがなばかりではない。  

昨日かな辺見庸の番組を観た。まぁきっかけは先だってのアキバの事件からの話からだったけれど、実はもっともっと深いところの話をしているように感じた。人の生き方というのか、いままで正しいとされていた生き方を一番低いところから問うていたように思う。
 
 公立の学校の教師をしていた時に感じたのは、公教育というのは要するに「国のためになる」人材を育てることを究極の目的にしているのかなということだった。まぁ義務教育というのは国がお金を出している訳だから、当然そういったことになる。そう考えると、なんだかすごく傲慢で、恐ろしいことのように思えてきた。
 
 本来教育というのは個人のもので、個人の才能というのか能力を気付かせる、個人が人生をより充実して楽しく暮らせるように、自己啓発のためにあるのではないかな。そうでなければ生きることはつまらないことになりはしないか。
 
 そこから出発して仕事について考えた。仕事と言うのはお金を稼ぐためだけに仕方なくやる必要悪的なものかということだ。そうなってくると、極力効率よくお金を稼いだものが優れていて、それ以外は負けたということになる。

 「すばやく、効率よく、簡単に」というのがグローバルスタンダードということになれば、働く人の八割がたは落ちこぼれてしまうのではないだろうか。
 
 そうやって効率よく働いて、駆けずり回って、はたして何がのこるのだろう。「ハイ生きました」「ハイ一丁あがり」「ハイそれではお仕舞です」何のためにこの人生があるのだろうか。
 
 その時代の真ん中にいるときは見えないものだ。やれグローバルだやれ規制緩和だ、自由競争だ、能率だ、効率がすべてだ、生産管理などなど。そういったことすべてが全くその通りで伝家の宝刀で、唯一正しい事のように思っていた。みんながみんなそれに納得していたではないか。
 
 ところが、その結果は惨憺たるものだ。「生き急ぐ」「一丁上がりの人生」何も見ていないし、何も感じていない。要するに生きてはいない。

 昔には帰れない。多分これからは「遅い、非効率、不便」をあえて選ぶ時代が来る。それがかっこいい時代がくる。そんな予感がする。

(閑話休題)
 ひらがなでグーグル「かんじへんかんでふりーず」と検索したら、いろいろと出てきた。なんと便利な道具なんだろうか。で、意外に多くの人が同じトラブルに遭遇していることがわかった。

 もうこのパソコンはお釈迦にするしかないと思っていたのだけれど、なんと復活した。原因は「漢字辞書ファイルの破壊」だそうだ。でまったく手探りだけれど、うまく回復することができた。同じような症状に困っている人のために、以下に回復方法を書いておく。お試しあれ。

1「スタート」-「設定」-「コントロールパネル」から「キーボード」を起動
2「言語」タブをクリック、「プロパティ」をクリック
3「辞書、学習」タブをクリック辞書ファイルを確認
4「修復」ボタンをクリック
 あとはすべてOKをおしてクリアー
 これだけで回復するのだな。知らなければ新しいものを買うしかなかった。すごいことだ。やってみるだけの価値はある。

 
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