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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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↑はとっておきの布地。インド綿のプリント模様。裏地は真っ赤なローズヴァイオレット。どこか昔チベットの仏教寺院を見ていると、まるっきり同じような色の装飾を見た。それからそれから、中国の京劇や韓国の舞の衣装や日本の神社の歌舞、ほとんど同じような配色だな。現代の歌舞伎になるとやや渋い日本人の好みが入ってくるように思うのだけれど、元々のルーツは同じかもしれない。

 西欧の色彩理論というのは極めて論理的で、要するに破調もふくめて、トータルには調和するということを目指しているように思う。現代の我々の感覚もどちらかといえば西欧化してきているんだろうな。だから↑のようなめったやたらな極彩色のようなものは反対にエキゾチックなものを感じてしまう。

 アジアの色彩は混沌だと思うな。ということで少し前の「美は混沌にあり」を転載。

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はる 3046
 「般若心経5」つづき・・これもまた徒然に
 けれど「美は混沌にあり」ということになれば少し違うなぁと感じている。

 そうだなぁ、例えば美術史を勉強する、中世があってやがてルネサンスがあって、バロックの時代があって、古典の時代がきて印象派ができて、現代があるみたいに何かしら理由があって、時代が変わって行くように理解する。学問とか知識というものはそうやって分けて「名前をつけて」分類して行くことだ。

 まぁ普通に勉強して行くと魔法にかけられたように全ての人がそれが正しい唯一の道のように考えるわけだ。確かに、たしかにそうやって人類は色んなものを理解してきたし、効率よく人間に役立つように世界を環境を利用してきたわけだ。

 まぁ世の中の価値というものの体系を作ってきて秩序立てたといってもいい。それが今現在の我々の姿だ。

 「美は発見だ」「これが一番だ」というのであれば結局AがBになっただけで本質的に何ら変わりは無い。根本的な変革ではない。五十歩百歩。いつかはまた新しい価値に取って代わられてしまうだろう。子供が陣地を取り合いしているようなものだ。

 規則のあるものは不規則に、秩序あるものは無秩序にさらに混沌とすすんでゆく。なぜならそれが一番安定しているからだ。

 ところでそれでも宇宙が崩壊せずに存在するのは、ある意味の「無秩序な秩序」というのがあるからなんじゃなかな。それが何なのかよくわからないのだけれど、多分「言葉にできない」「意識されない力」「潜在的な力」であるきがするな。

 宇宙のある部分をとれば他と全く違うように見えるけれど、ある程度の広さで捉えると、それはずいぶんと似通ったものになる。それは例えば地球と太陽では全く違う星である。けれどもっと大きく太陽系と他の系でみてみればどちらも同じような構造を持つことが分かる。

 何もないところと、星たちが集まっているところがあってとても均質であるとは見えないけれど、もっと大きな範囲で捉えれば結局その内容は大きく違わないということがわかる。

 ある場所だけみてそこの構造や組成だけで宇宙を語った気になるのが我々なんだけれど、実はそれ以外のところでは例外だらけでそんな秩序は無かったりするわけだ。

 美術史やスタイルだけでその時代を統計立て考える違うのではないかと思う。世界はもっとアトランダムで混沌としている。

 「美は混沌にあり」
 
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