画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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はる 2926
「ほいと」という言葉を知っていますか?「祝人」と書いて「ほぎひと」から「ほいと」になったと辞書には説明されている。「祝人」という字面はきれいですね。どんなに美しい姿形をしているのか、その字からは想像できません。
我々が子供の頃、まだ正月には「いわいびと」がまわって来た。鼓と太鼓を持ったおじさん二人が羽織はかまで、「あぁめでたいなぁ、めでたいなぁ」と唄いながら角々をまわって行くのだ。「漫才」というと吉本など芸人を指すようだけれど、昔の漫才はそうではなかったのだ。
「ごぜさん」というと盲目の門つけ芸人でとんでもなくつらくて暗いイメージだけれど、ある種の階級社会で一番底辺にある彼らが生きてゆくすべは芸を売って少しばかりの稼ぎを得るしかなかったのだ。
今「ごぜ」で調べてみると、わが町には「ごぜ」さんがたくさんいたらしい。明治の6年に大きな弾圧があって壊滅したようだ。30年も住んでいてほとんどそんな話を聞いたことがない。驚きだな。また少し調べてみたい。
「ほいと」という言葉を知っていますか?「祝人」と書いて「ほぎひと」から「ほいと」になったと辞書には説明されている。「祝人」という字面はきれいですね。どんなに美しい姿形をしているのか、その字からは想像できません。
我々が子供の頃、まだ正月には「いわいびと」がまわって来た。鼓と太鼓を持ったおじさん二人が羽織はかまで、「あぁめでたいなぁ、めでたいなぁ」と唄いながら角々をまわって行くのだ。「漫才」というと吉本など芸人を指すようだけれど、昔の漫才はそうではなかったのだ。
「ごぜさん」というと盲目の門つけ芸人でとんでもなくつらくて暗いイメージだけれど、ある種の階級社会で一番底辺にある彼らが生きてゆくすべは芸を売って少しばかりの稼ぎを得るしかなかったのだ。
今「ごぜ」で調べてみると、わが町には「ごぜ」さんがたくさんいたらしい。明治の6年に大きな弾圧があって壊滅したようだ。30年も住んでいてほとんどそんな話を聞いたことがない。驚きだな。また少し調べてみたい。
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はる 2925
Tさんへのメール
最近「スローフード」の山梨支部の立ち上げに少しばかりかかわりを持ちました。普通スローフードと言えば「食」だけの話になりがちですが、スローライフ・「ゆっくり生きる」というふうに解釈すれば一種の生き方の哲学ということになって、それならば賛同できるということでかかわりをもった訳です。
ご存知のように「スローフード」はアメリカ発の「ファーストフード」のアンチとして登場したわけですけれど、ゆっくり食べる、すなわちゆっくり味わいなが人生を楽しむという、まことにイタリア発祥らしい考え方ですね。安い、速い、便利が全て良いわけではないぞということだと思います。
例えば「余暇」といえば「暇な時間、暇つぶし」的な発想をしがちですね。しかし本当にレクレーションということを考えれば「クリエイトの再生」でなければならないわけで、単に「暇つぶし」的な発想では再生まではいかないように思う。我々はどうも貧しい時代が長かったもので、「暇は悪」といった考え方をしがちだ。「いそがしい」ということが「ひまがない」ということがとりもなおさず「いいこと」となるように育てられた。
一億総中流意識と言われて久しいけれどまだまだこの「余暇」の使い方が下手くそだな。この「余暇」の考え方がこれからの生き方に大切なコンセプトになるように思うな。仕事は仕事で大切な時間なんだけれど、それと同じかそれ以上に「自分の時間」余暇を上手く使えるかどうかがその人の人生の充実度に関わってくるように思う。文化というのはそういった「自由な自分の時間」と密接に関わってくるので「スローライフ」という生き方に賛同するわけだ。
結局「自由な自分の時間」を使って何をするか?といえば、ごろごろと寝転がって休んでいてもいいわけだけど、もっと積極的に考えると「自分の心の中を探索する」時間と考えると本を読んだり、音楽を聴いたり、絵を描いたりすることがその手助けとなる。趣味というのは「暇つぶし」ではない。もっと積極的な時間の使い方なんだな。そこのところがまだ充分に教育されていないように思うなぁ。
「スローフード協会」はNPOなので営利目的では使えないけれど、若い彼らは地域密着型の農家と連絡を取り合って、直接的な農産物はもちろんワインなどの二次的な産物も関係して、顔の見える生産者と都心の利用者の仲介的な仕事をしてゆくらしい。地産地消がいまスローガンとして注目されていますが、実際に仕事としてどこまでやってゆけるのか未知数ですが、山梨が経済的にこれだけ落ち込んでいるいま、彼らの活動が起爆剤となって注目されれば面白いなぁとおもいます。
Tさんへのメール
最近「スローフード」の山梨支部の立ち上げに少しばかりかかわりを持ちました。普通スローフードと言えば「食」だけの話になりがちですが、スローライフ・「ゆっくり生きる」というふうに解釈すれば一種の生き方の哲学ということになって、それならば賛同できるということでかかわりをもった訳です。
ご存知のように「スローフード」はアメリカ発の「ファーストフード」のアンチとして登場したわけですけれど、ゆっくり食べる、すなわちゆっくり味わいなが人生を楽しむという、まことにイタリア発祥らしい考え方ですね。安い、速い、便利が全て良いわけではないぞということだと思います。
例えば「余暇」といえば「暇な時間、暇つぶし」的な発想をしがちですね。しかし本当にレクレーションということを考えれば「クリエイトの再生」でなければならないわけで、単に「暇つぶし」的な発想では再生まではいかないように思う。我々はどうも貧しい時代が長かったもので、「暇は悪」といった考え方をしがちだ。「いそがしい」ということが「ひまがない」ということがとりもなおさず「いいこと」となるように育てられた。
一億総中流意識と言われて久しいけれどまだまだこの「余暇」の使い方が下手くそだな。この「余暇」の考え方がこれからの生き方に大切なコンセプトになるように思うな。仕事は仕事で大切な時間なんだけれど、それと同じかそれ以上に「自分の時間」余暇を上手く使えるかどうかがその人の人生の充実度に関わってくるように思う。文化というのはそういった「自由な自分の時間」と密接に関わってくるので「スローライフ」という生き方に賛同するわけだ。
結局「自由な自分の時間」を使って何をするか?といえば、ごろごろと寝転がって休んでいてもいいわけだけど、もっと積極的に考えると「自分の心の中を探索する」時間と考えると本を読んだり、音楽を聴いたり、絵を描いたりすることがその手助けとなる。趣味というのは「暇つぶし」ではない。もっと積極的な時間の使い方なんだな。そこのところがまだ充分に教育されていないように思うなぁ。
「スローフード協会」はNPOなので営利目的では使えないけれど、若い彼らは地域密着型の農家と連絡を取り合って、直接的な農産物はもちろんワインなどの二次的な産物も関係して、顔の見える生産者と都心の利用者の仲介的な仕事をしてゆくらしい。地産地消がいまスローガンとして注目されていますが、実際に仕事としてどこまでやってゆけるのか未知数ですが、山梨が経済的にこれだけ落ち込んでいるいま、彼らの活動が起爆剤となって注目されれば面白いなぁとおもいます。
いつの間にやらトマトが大きくなった。もうすでに花も咲いて実をつけている。これからが難しいらしい。雨があたると割れる、そこから腐ると脅かされる、ということで袋をかけた、ちょっと過保護だな。どうなるんだろう?でもなかなかかわいいものだ。キュウリやナスなどはいっちょまえの姿かたちをしている。それだけで結構感動する。まぁ生涯で始めての自作農園だからな、人からみたらママゴトみたいなものだ。後はつまで続くかだな。
今日は結構忙しかった。午前中は絵画教室での指導。どれだけ的確な助言ができるか、自分の力量が問われている気がする。どんな絵にもその人のいいところがあるわけで、それを探して見つけ出す産婆さんのような仕事だな。考えてみると絵を描く行為と似ているような気もする。共に成長できればそれにこしたことはない。メンバーの多くがこのブログを読んでいるようなので、ここまでにしておこう。
午後はいつもの運送屋さんが明日の絵を取りに来る。自分で運べなくはないが、雨が降ると厄介なのとあまりにも重いので車の屋根に乗せるのが段々怖くなってきた。だから彼に頼むことした。明日は手ぶらで美術館に行けばいい。
三時からは目医者さんに予約が入っている。特別悪いところはないのだけれど、若干視神経が薄くなっているところがあるらしい。遺伝的なものかそれとも後天的な何かしらの疾患なのかと言うことで、一応定期的に検診した方がいいらしい。飛蚊症もかなりあるし、目と歯と頭は弱い。
しかし、いつも思うのは医療関係の看護婦さんはどうして子供にいうように言うのだろうか。私が年寄りに見えるのかもしれないけれど、露骨にされると馬鹿にされているような気がして腹立たしくなる。まぁ特に目医者さんは年寄りの方が多いのでそのままの感じで他の患者さんにも接してしまうのかもしれないな。「普通にしゃべらんかい!!」と叫びたくなる。
今日は結構忙しかった。午前中は絵画教室での指導。どれだけ的確な助言ができるか、自分の力量が問われている気がする。どんな絵にもその人のいいところがあるわけで、それを探して見つけ出す産婆さんのような仕事だな。考えてみると絵を描く行為と似ているような気もする。共に成長できればそれにこしたことはない。メンバーの多くがこのブログを読んでいるようなので、ここまでにしておこう。
午後はいつもの運送屋さんが明日の絵を取りに来る。自分で運べなくはないが、雨が降ると厄介なのとあまりにも重いので車の屋根に乗せるのが段々怖くなってきた。だから彼に頼むことした。明日は手ぶらで美術館に行けばいい。
三時からは目医者さんに予約が入っている。特別悪いところはないのだけれど、若干視神経が薄くなっているところがあるらしい。遺伝的なものかそれとも後天的な何かしらの疾患なのかと言うことで、一応定期的に検診した方がいいらしい。飛蚊症もかなりあるし、目と歯と頭は弱い。
しかし、いつも思うのは医療関係の看護婦さんはどうして子供にいうように言うのだろうか。私が年寄りに見えるのかもしれないけれど、露骨にされると馬鹿にされているような気がして腹立たしくなる。まぁ特に目医者さんは年寄りの方が多いのでそのままの感じで他の患者さんにも接してしまうのかもしれないな。「普通にしゃべらんかい!!」と叫びたくなる。
土曜日から県内の平面作家8人のグループ展が始まる。今年の作品は残念ながら大阪展に巡回中なので、昨年の作品を引っ張り出してきた。久しぶりに見て○と思う作品と、×と思う作品がある。自分の目が他人の目になっている、他の人が見て感じる第一印象と同じなんだと思う。その時にだめだと思った作品は×だろう。この「ながい旅」は◎だった。よかった。
こんなものを描くつもりはなかった。敦煌の壁画とかバーミアンの壁画を眺めていたら、いつのまにかこんなものが出てきた。だから実際に何かを取材してといった話ではないので、色々な約束事は間違えているだろう。大体が知らないのだから正しいも間違いもない。気分とか雰囲気それだけだ。
シルクロードを通って西欧からキリスト教を初めとして色んな文物が日本に流れてきた。当然中国大陸を経由してくるわけだから純粋に直に西欧から伝わってくる話も少し変化した形で入ってくる。今でも五島列島あたりの隠れキリシタンの賛美歌(オラショ)などを聞くと微妙に和風で面白い。
バーミアンなどの壁画を見ると仏画なのかキリスト教のイコン風の壁画なのかその両方がミックスされた状態で面白い。技法的にも最古の油彩画が出てきたのもバーミアンの石窟だそうだ。それは仏さんだった。
今の私は色々なもので出来ている。それは意識されたものから、無意識なものまで数え切れない。遠い昔の私の遺伝子の所までさかのぼって考えると、我々はどこかアフリカの奥地のどこか知らない水辺のほとりで生まれた一対の細胞だった。アダムとイブの一対の細胞はやがて旅をしてここまでやって来た。それはながいながい旅だった。
閑話休題
日本は昔から色々な文物が入ってきた。東の端の吹き溜まりといえばうがった見方かな。文字をみればよくそのことが分かる。日本語には文字がなかった。勿論話し言葉はあっただろう。けれどそのことを文字として記録するすべがなかった。それゆえに謡として伝承される歌が重要だったように思う。神との交歓はそのようなかたちで行われたのだろう。
やがて大陸から漢字が伝わった。古代の人は工夫して日本の音をそれに当てて記号としてそれを使った。万葉かなは不完全ではあったけれど、今まで記録されなかった歌を我々に残した。やがて漢字の一部や変形でひらがなが考案されて日本人の心情をより正確に記録することが出来るようになった。
漢字混じりのひらがなで音と意味を両方取り込んだのは凄い発明だ。これはその後の我々の物事を柔軟に取り込む思考方法の大きな示唆であるように思うのだな。例えば明治以後凄い勢いで欧化政策が取られた。それは肌の感覚として我々は優れたものを取り込む触覚が自然に備わっているように思う。 最近は英語交じりの日本語になっているからな。まぁ反対に言えば節操なく何でも取り込む猿真似という面もあるけれど、太古以来我々はそうやって生き延びて来たのではないだろうかね。
こんなものを描くつもりはなかった。敦煌の壁画とかバーミアンの壁画を眺めていたら、いつのまにかこんなものが出てきた。だから実際に何かを取材してといった話ではないので、色々な約束事は間違えているだろう。大体が知らないのだから正しいも間違いもない。気分とか雰囲気それだけだ。
シルクロードを通って西欧からキリスト教を初めとして色んな文物が日本に流れてきた。当然中国大陸を経由してくるわけだから純粋に直に西欧から伝わってくる話も少し変化した形で入ってくる。今でも五島列島あたりの隠れキリシタンの賛美歌(オラショ)などを聞くと微妙に和風で面白い。
バーミアンなどの壁画を見ると仏画なのかキリスト教のイコン風の壁画なのかその両方がミックスされた状態で面白い。技法的にも最古の油彩画が出てきたのもバーミアンの石窟だそうだ。それは仏さんだった。
今の私は色々なもので出来ている。それは意識されたものから、無意識なものまで数え切れない。遠い昔の私の遺伝子の所までさかのぼって考えると、我々はどこかアフリカの奥地のどこか知らない水辺のほとりで生まれた一対の細胞だった。アダムとイブの一対の細胞はやがて旅をしてここまでやって来た。それはながいながい旅だった。
閑話休題
日本は昔から色々な文物が入ってきた。東の端の吹き溜まりといえばうがった見方かな。文字をみればよくそのことが分かる。日本語には文字がなかった。勿論話し言葉はあっただろう。けれどそのことを文字として記録するすべがなかった。それゆえに謡として伝承される歌が重要だったように思う。神との交歓はそのようなかたちで行われたのだろう。
やがて大陸から漢字が伝わった。古代の人は工夫して日本の音をそれに当てて記号としてそれを使った。万葉かなは不完全ではあったけれど、今まで記録されなかった歌を我々に残した。やがて漢字の一部や変形でひらがなが考案されて日本人の心情をより正確に記録することが出来るようになった。
漢字混じりのひらがなで音と意味を両方取り込んだのは凄い発明だ。これはその後の我々の物事を柔軟に取り込む思考方法の大きな示唆であるように思うのだな。例えば明治以後凄い勢いで欧化政策が取られた。それは肌の感覚として我々は優れたものを取り込む触覚が自然に備わっているように思う。 最近は英語交じりの日本語になっているからな。まぁ反対に言えば節操なく何でも取り込む猿真似という面もあるけれど、太古以来我々はそうやって生き延びて来たのではないだろうかね。
人間などという鬼ッ子のような生き物がなぜ生まれたのだろうか?マクロ的に見れば人類に限らず生物全般はこの地上に寄生したカビみたいなものだ。まぁ栄枯盛衰はあるけれど、お互いに共生しながらここまでながらえてきた。それにしても人類はここに来て勝手気ままに暴走しすぎる。地球が何年もかかって化石化して閉じもめてきた二酸化炭素を百年そこそこで吐き出そうとしている。コントロールできない核の脅威、オゾン層の破壊、遺伝子の操作などなど、ほとんど神の領域まで達しようとしている。で、他の生物を絶滅に追い込んで、いまだ増殖を続けている。エコだ、地球にやさしいなどと言っているが、結局のところ自分が少しでも生き延びたいからで、誰に対してやさしいといっているのやら、地球にとってはおまえらの存在が迷惑だと言われそうだ。
コンピュータというのがいったいどこまで発展するのか、記憶の媒体としては、ここ10年ほどで考えられないくらい発達した。私のPCはウィンドウズ98の骨董品だが、このPCにはCDの再生装置さえ付いていない。別売りの機器を買ってつけた。当時はもっぱら記憶の媒体はフロッピーだった。それからOMなどというコンパクトなものも出始めていた。CDが出てきた時にはその容量のでかさと安いことに驚いた。それが最近はフラッシュメモリーが主流でCDの装置さえ付かないようになりつつあるらしい。何ともはや??時代遅れだ。
不老不死は人類の長年の夢だ。生身の肉体ではそれは無理だろう。あらゆる宗教も神さんも、魂の永遠などという嘘か本当か分からんものを持ち出しているけれど、まぁあの世というのかあちらの世界は物語としては面白いけれど、多分存在しない。そんなものを期待しては当てが外れるよ。
もうすでに研究している人は多いと思うのだけれど、人の記憶とか遺伝子情報を電脳情報に全て置き換えてしまえば、ある意味で肉体は要らないわけで、実際にはこの世に存在しなくても電脳上には生きているというそんなことが可能になるかもしれない。理論上不老不死となる。もっと考えれば電脳上で遺伝子の交配ができてあなたと私の子孫が電脳上で存在するなどということがありえるかもしれない。まぁこれはねぇマトリックスの世界みたいでありえない想像上の世界ではない気がする。
人がこの地上に出てきた訳は案外そんなところに目的があったのもしれない。究極的にはありとあらゆる生物がこの地球上に現れてそして絶えていったそんな歴史や情報がが一編の詩のようになって光媒体に乗って宇宙に向けて発信されるのだ。どこでどう受け止められるのか分からないけれど、それが届いた世界でそこからやがて新しい生命が生まれる。遠い昔の地球のようにね。
コンピュータというのがいったいどこまで発展するのか、記憶の媒体としては、ここ10年ほどで考えられないくらい発達した。私のPCはウィンドウズ98の骨董品だが、このPCにはCDの再生装置さえ付いていない。別売りの機器を買ってつけた。当時はもっぱら記憶の媒体はフロッピーだった。それからOMなどというコンパクトなものも出始めていた。CDが出てきた時にはその容量のでかさと安いことに驚いた。それが最近はフラッシュメモリーが主流でCDの装置さえ付かないようになりつつあるらしい。何ともはや??時代遅れだ。
不老不死は人類の長年の夢だ。生身の肉体ではそれは無理だろう。あらゆる宗教も神さんも、魂の永遠などという嘘か本当か分からんものを持ち出しているけれど、まぁあの世というのかあちらの世界は物語としては面白いけれど、多分存在しない。そんなものを期待しては当てが外れるよ。
もうすでに研究している人は多いと思うのだけれど、人の記憶とか遺伝子情報を電脳情報に全て置き換えてしまえば、ある意味で肉体は要らないわけで、実際にはこの世に存在しなくても電脳上には生きているというそんなことが可能になるかもしれない。理論上不老不死となる。もっと考えれば電脳上で遺伝子の交配ができてあなたと私の子孫が電脳上で存在するなどということがありえるかもしれない。まぁこれはねぇマトリックスの世界みたいでありえない想像上の世界ではない気がする。
人がこの地上に出てきた訳は案外そんなところに目的があったのもしれない。究極的にはありとあらゆる生物がこの地球上に現れてそして絶えていったそんな歴史や情報がが一編の詩のようになって光媒体に乗って宇宙に向けて発信されるのだ。どこでどう受け止められるのか分からないけれど、それが届いた世界でそこからやがて新しい生命が生まれる。遠い昔の地球のようにね。
畑から収穫できるようになってきた。ほんの少しの耕地だけれど、けっこう色々なものができる。自分たちで食べる分には充分とはいかないけれど、充分楽しめる。また自分で作った作物は少々虫が食っていても平気平気、虫が食うほど上手いみたいな話だ。昨年までのコンテナ栽培とは大きく違うのはルッコラ(イタリアのサラダ菜)などもめちゃくちゃに元気がいい。どんどん大きくなって花盛りだ。小さい方がうまいんだけれど、でもやっぱり元気な方が身体にはいい気がする。
学校に行かない時は(週の五日)、隠居した年寄り夫婦のような生活だ。それでも最近は結構忙しい。朝起きて出来るだけ、ゆっくり川沿いを散歩する。帰りに畑に寄って、ルッコラを取ってトマトに塩とオリーブオイルで簡単にサラダにする。もうすぐ自家製のトマトも収穫できるだろう。大体朝飯はほとんどバンと紅茶でミルクティーにすることが多い。私はヨーグルトは食べないけれど、あの有名なカスピ海ヨーグルトが何年も続いている。
朝方の生活パターンになってから、朝飯は私の分担になった。にんじんジュースもほとんど毎日飲む。後は蒸し野菜。これが結構はまっている。茹でるより野菜のうまみが飛ばない。
アリとキリギリスの話を身にしみて聞いている。けれどどうやっても永遠には生きられない。大きな病気をしてさらにその観を強くした。蓄えは何もないけれど、こうやってほとんど毎日ゆっくり朝飯を食うのは最高の贅沢であろう。今を充分楽しんで生きられたらそれはそれでいいと思っている。後のことはまたあとで考えることにしよう。そういう生き方を選んだ。
学校に行かない時は(週の五日)、隠居した年寄り夫婦のような生活だ。それでも最近は結構忙しい。朝起きて出来るだけ、ゆっくり川沿いを散歩する。帰りに畑に寄って、ルッコラを取ってトマトに塩とオリーブオイルで簡単にサラダにする。もうすぐ自家製のトマトも収穫できるだろう。大体朝飯はほとんどバンと紅茶でミルクティーにすることが多い。私はヨーグルトは食べないけれど、あの有名なカスピ海ヨーグルトが何年も続いている。
朝方の生活パターンになってから、朝飯は私の分担になった。にんじんジュースもほとんど毎日飲む。後は蒸し野菜。これが結構はまっている。茹でるより野菜のうまみが飛ばない。
アリとキリギリスの話を身にしみて聞いている。けれどどうやっても永遠には生きられない。大きな病気をしてさらにその観を強くした。蓄えは何もないけれど、こうやってほとんど毎日ゆっくり朝飯を食うのは最高の贅沢であろう。今を充分楽しんで生きられたらそれはそれでいいと思っている。後のことはまたあとで考えることにしよう。そういう生き方を選んだ。
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