画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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はる 2995
ダーウィンの進化論の優れているところは、普通、弱肉強食で強いものが種として生き残ると考えるところを、実はそうではなく柔軟に環境に変化出来たものが生き残るのだとしたところだ。いつの時代でも強いものが勝と思われがちだけれど、その時代にあまりにも適応しすぎて強くなりすぎると反対に少しの変化で適応できなるという示唆を含んでいる。
少し前に司馬遼太郎の『夏草の賦』長宗我部元親の話を読んだ時に、主人公が自身は凄く臆病でだからこそ戦略家として一流なんだ、勇気があって武勇の徒などは軍人としては使えるけれど危なくて頭には仕えないというふうなことが書かれていた。まぁこれなんかも凄くよく分かる。何でも両刃の剣のところがあって強いだけが必要なわけではない。弱いところがあるから如何にすれば戦えるかということを考える、そのことがトップとしては要だということなんだな。
強さがもろさであり、弱さがしたたかさを生む。物事は決して一面ではなくて、少なくとも表裏複数の面をもっている。そのことを理解していないと物事の本質を見失うということだな。まぁ面白い。
ところで、こんな話を書くつもりで書き始めたのではない。ミクストメディアで他の作品を取り込んでいくその柔軟性の正当性をいいたくて書きはじめたのだが、そこに行く前に眠くなった。ではまた明日。
ダーウィンの進化論の優れているところは、普通、弱肉強食で強いものが種として生き残ると考えるところを、実はそうではなく柔軟に環境に変化出来たものが生き残るのだとしたところだ。いつの時代でも強いものが勝と思われがちだけれど、その時代にあまりにも適応しすぎて強くなりすぎると反対に少しの変化で適応できなるという示唆を含んでいる。
少し前に司馬遼太郎の『夏草の賦』長宗我部元親の話を読んだ時に、主人公が自身は凄く臆病でだからこそ戦略家として一流なんだ、勇気があって武勇の徒などは軍人としては使えるけれど危なくて頭には仕えないというふうなことが書かれていた。まぁこれなんかも凄くよく分かる。何でも両刃の剣のところがあって強いだけが必要なわけではない。弱いところがあるから如何にすれば戦えるかということを考える、そのことがトップとしては要だということなんだな。
強さがもろさであり、弱さがしたたかさを生む。物事は決して一面ではなくて、少なくとも表裏複数の面をもっている。そのことを理解していないと物事の本質を見失うということだな。まぁ面白い。
ところで、こんな話を書くつもりで書き始めたのではない。ミクストメディアで他の作品を取り込んでいくその柔軟性の正当性をいいたくて書きはじめたのだが、そこに行く前に眠くなった。ではまた明日。
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はる 2994
昨日は選挙で地元も大騒ぎだったようだ。歴史的大敗とか勝利とか、まぁいつもいわれている常套句のような気もするけれどね。我々は大体が一元的なものに流れやすい国民性があるのかな、右なら右、左なら左と誰かの意見に惑わされる。
今ならテレビとかマスコミの意見がそのまま自分の意見だと思っている人が多いな。まぁ洗脳されやすい国民性なんだろう。批判精神というのかな、自分でモノを考えるという習慣がないというのか、教えられていないので、人の意見に従いやすいわけだ。どちらかといえば自分の意見を述べる人は「うるさ型」などといわれて煙たがられる。
農耕的な民族だから、全てが一列に並んでいっせいに作業する。個の意見はこの場合ほとんど邪魔になる。ただ一つの機械、部品として働いてくれればいいわけで、列を乱すものはとことん嫌われる。村八分になる。これが恐ろしい、いじめだな。だからじっと我慢が尊ばれるわけだ。聖徳太子の十七条の憲法でも一番大事なのは「和」だとあげている。まぁ今それをあらためて読んだけれどほとんどが官僚、役人について述べているんだな、今のお役人さんもよくよく読んで欲しい。
サッカーなどを見ているとはっきりあれは狩人のスポーツだとわかる。集団で追い込んで一番いいチャンスがあるものが獲物を仕留める。だから誰もが瞬時の判断が要求されるシュートが撃てるわけだ。運動能力というのもあるけれど、まぁ訓練というのか民族のDNAだろうな。同じアジアの中でも韓国人は農耕もやるけれど、どちらかといえば狩人の血が流れている。焼肉(大好きだ)を食ったり、犬を食ったりするのはその証拠だろう(非難しているのではないのでくれぐれも)血が熱い。顔はよく似ているけれど明らかな違いがあるな。
まぁ最近はさらにおたく化が進んで若い男が植物化しているのでよけいにこういった洗脳現象が起きるのではないだろうかね。ちょっと末恐ろしい気がするのは私だけかね。
昨日は選挙で地元も大騒ぎだったようだ。歴史的大敗とか勝利とか、まぁいつもいわれている常套句のような気もするけれどね。我々は大体が一元的なものに流れやすい国民性があるのかな、右なら右、左なら左と誰かの意見に惑わされる。
今ならテレビとかマスコミの意見がそのまま自分の意見だと思っている人が多いな。まぁ洗脳されやすい国民性なんだろう。批判精神というのかな、自分でモノを考えるという習慣がないというのか、教えられていないので、人の意見に従いやすいわけだ。どちらかといえば自分の意見を述べる人は「うるさ型」などといわれて煙たがられる。
農耕的な民族だから、全てが一列に並んでいっせいに作業する。個の意見はこの場合ほとんど邪魔になる。ただ一つの機械、部品として働いてくれればいいわけで、列を乱すものはとことん嫌われる。村八分になる。これが恐ろしい、いじめだな。だからじっと我慢が尊ばれるわけだ。聖徳太子の十七条の憲法でも一番大事なのは「和」だとあげている。まぁ今それをあらためて読んだけれどほとんどが官僚、役人について述べているんだな、今のお役人さんもよくよく読んで欲しい。
サッカーなどを見ているとはっきりあれは狩人のスポーツだとわかる。集団で追い込んで一番いいチャンスがあるものが獲物を仕留める。だから誰もが瞬時の判断が要求されるシュートが撃てるわけだ。運動能力というのもあるけれど、まぁ訓練というのか民族のDNAだろうな。同じアジアの中でも韓国人は農耕もやるけれど、どちらかといえば狩人の血が流れている。焼肉(大好きだ)を食ったり、犬を食ったりするのはその証拠だろう(非難しているのではないのでくれぐれも)血が熱い。顔はよく似ているけれど明らかな違いがあるな。
まぁ最近はさらにおたく化が進んで若い男が植物化しているのでよけいにこういった洗脳現象が起きるのではないだろうかね。ちょっと末恐ろしい気がするのは私だけかね。
いいじゃないか男だ
はる 2992
ネットが普通の家庭に入り込んで10年ほどになるだろうか。最初は猫も杓子もHPを持とうとした。ホームページさえ持てばお客さんはひきもきらず訪れてくれてさぞかし毎日忙しいだろう。これからの商売はネットを中心に広がって行くのだろうなどと夢のようなことをうたっていた。
確かにアマゾンやネットオークション会社など色んなところで商売の形は変わってきた。私などもネットの使い方で一番多いのが調べものをする場合だ。検索の仕方にもよるのだろうけれど、探してないものはないというこの膨大な奥深い知識の泉は底なし沼のような魅力にあふれている。
いままでほとんど顧みられることがなかったような例えば絶版本とか貴重な古本や資料なども、ネットの海では簡単に見つけることができる。ほとんど誰も知らなかった忘れ去られた画家などもこの広い世の中では知っている人がいたりする。これもネットがなければ不可能なことだ。
数は少ないけれど私のHPを何かの偶然で見つけて何度か足を運んでくれた人もいる。ネットがなければこういった遠く離れた人たちと会うこともなかったろう。
けれどネットはまだ発展途上のシステムだ、これからどのようになってゆくかは皆目見当がつかない。私の使い方はごく簡単なものだ。一昔前のミニコミ的な発想だと思う。積極的にランキングにでも参加して訪問者を増やせばもう少し活気が出るかもしれないけれど、これでいいと思っている。何らかの形で興味を持ってもらって機会があれば個展に足を運んでもらってみてもらう、そんなアナログでいいと思っている。
↑ネットで何が出来るか、ずっと模索していた若い連中が、最近自らキャラクターを考えてアニメーションの動画を始めた。それもストーリーなどを一般から募集してそれをアレンジしてまた投げ返すというような、ネットでしかありえないような仕事を始めた。彼らを見ていると簡単にモノを右から左に動かして利益を得るというのではなくて新しいものを創作して作って行くそんなことに魅力を感じる。そんな中から最近はイベントをやってキャラクターのグッズをうったりCDを作って販売したり。まぁいまのところ何でもやりますみたいだけれど、面白いことやってるなと思う。がんばれ。
ネットが普通の家庭に入り込んで10年ほどになるだろうか。最初は猫も杓子もHPを持とうとした。ホームページさえ持てばお客さんはひきもきらず訪れてくれてさぞかし毎日忙しいだろう。これからの商売はネットを中心に広がって行くのだろうなどと夢のようなことをうたっていた。
確かにアマゾンやネットオークション会社など色んなところで商売の形は変わってきた。私などもネットの使い方で一番多いのが調べものをする場合だ。検索の仕方にもよるのだろうけれど、探してないものはないというこの膨大な奥深い知識の泉は底なし沼のような魅力にあふれている。
いままでほとんど顧みられることがなかったような例えば絶版本とか貴重な古本や資料なども、ネットの海では簡単に見つけることができる。ほとんど誰も知らなかった忘れ去られた画家などもこの広い世の中では知っている人がいたりする。これもネットがなければ不可能なことだ。
数は少ないけれど私のHPを何かの偶然で見つけて何度か足を運んでくれた人もいる。ネットがなければこういった遠く離れた人たちと会うこともなかったろう。
けれどネットはまだ発展途上のシステムだ、これからどのようになってゆくかは皆目見当がつかない。私の使い方はごく簡単なものだ。一昔前のミニコミ的な発想だと思う。積極的にランキングにでも参加して訪問者を増やせばもう少し活気が出るかもしれないけれど、これでいいと思っている。何らかの形で興味を持ってもらって機会があれば個展に足を運んでもらってみてもらう、そんなアナログでいいと思っている。
↑ネットで何が出来るか、ずっと模索していた若い連中が、最近自らキャラクターを考えてアニメーションの動画を始めた。それもストーリーなどを一般から募集してそれをアレンジしてまた投げ返すというような、ネットでしかありえないような仕事を始めた。彼らを見ていると簡単にモノを右から左に動かして利益を得るというのではなくて新しいものを創作して作って行くそんなことに魅力を感じる。そんな中から最近はイベントをやってキャラクターのグッズをうったりCDを作って販売したり。まぁいまのところ何でもやりますみたいだけれど、面白いことやってるなと思う。がんばれ。
はる 2991
夏が終わります。どことなく寂しいですな。
めったにテレビは観ないのだが、ここ四日ばかり井上陽水をやっていたので続けてみた。まぁ彼とはほぼ同じ世代でね、言っていることがよく分かった。最終的にやっぱり歌手は歌が上手くなければ生き残れないのかな、それに何とも詩がシュールで面白い。歌謡曲ふうでありながらほとんど抽象的な言葉遊びをやっている。そんなことができるのも歌が上手いという余裕かもしれんなぁ。
「最後のニュース」を初めて聞いた時はさすがだなと感動したな。あんなニュースの断片を羅列しただけで何処となく終末観がただよう詩にしてしまうのだから凄いねぇ。「少年時代」も好きな歌でね。何かそんなタイトルの絵を描いたおぼえがある。
リリー・フランキーと対談していたけれど、あれだけの当たりを取った作家とシンガーでも「禍福はあざなえる縄の如し」というふうなことを言っていた。大きな成功を収めるとそれと同じだけの犠牲も払わなきゃならんということだな。結局幸福と不幸はおなじもので表裏なんだろう。ある一方から見れば幸にみえるものが、反対から見れば不幸だったということだ。
自分だけ不幸だなどとよく言ったり聞いたりするけれど、それは一方的な見方でね、もしそうしか見えないなら見方が浅いということだろうね。その最中には分からないのだけれど、人生はなかなか面白いしよく出来ている。全てのことはプラスマイナス0、ここでもエネルギー不変の法則は生きている。
夏が終わります。どことなく寂しいですな。
めったにテレビは観ないのだが、ここ四日ばかり井上陽水をやっていたので続けてみた。まぁ彼とはほぼ同じ世代でね、言っていることがよく分かった。最終的にやっぱり歌手は歌が上手くなければ生き残れないのかな、それに何とも詩がシュールで面白い。歌謡曲ふうでありながらほとんど抽象的な言葉遊びをやっている。そんなことができるのも歌が上手いという余裕かもしれんなぁ。
「最後のニュース」を初めて聞いた時はさすがだなと感動したな。あんなニュースの断片を羅列しただけで何処となく終末観がただよう詩にしてしまうのだから凄いねぇ。「少年時代」も好きな歌でね。何かそんなタイトルの絵を描いたおぼえがある。
リリー・フランキーと対談していたけれど、あれだけの当たりを取った作家とシンガーでも「禍福はあざなえる縄の如し」というふうなことを言っていた。大きな成功を収めるとそれと同じだけの犠牲も払わなきゃならんということだな。結局幸福と不幸はおなじもので表裏なんだろう。ある一方から見れば幸にみえるものが、反対から見れば不幸だったということだ。
自分だけ不幸だなどとよく言ったり聞いたりするけれど、それは一方的な見方でね、もしそうしか見えないなら見方が浅いということだろうね。その最中には分からないのだけれど、人生はなかなか面白いしよく出来ている。全てのことはプラスマイナス0、ここでもエネルギー不変の法則は生きている。
はる 2989
いよいよ3000のカウントダウンが始まる。だれも待ってはいないし、めでたくもないのだけれどね。しかし何もしないというのも面白くないので、こんなことを考えたがどうだろうか。
今日より先着10名様に08年制画集「こたえてくださいvol1」をプレゼントします。期限は9/10までとします。
ここに住所、氏名を書いて送り返してください。購入と区別するために本文のところに「祝3000カウント、画集希望」と必ず書いてください。希望としては、できるだけ私のことを知らない、あったこともない人とのコンタクトが欲しいですね。待ってます。
いよいよ3000のカウントダウンが始まる。だれも待ってはいないし、めでたくもないのだけれどね。しかし何もしないというのも面白くないので、こんなことを考えたがどうだろうか。
今日より先着10名様に08年制画集「こたえてくださいvol1」をプレゼントします。期限は9/10までとします。
ここに住所、氏名を書いて送り返してください。購入と区別するために本文のところに「祝3000カウント、画集希望」と必ず書いてください。希望としては、できるだけ私のことを知らない、あったこともない人とのコンタクトが欲しいですね。待ってます。
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