画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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はる 3057
今日は夕方から北風が猛烈に吹いて気温がぐっとさがった。木枯らし一号だそうだ。いよいよ本格的な冬がやってきそうだな。
午前中野暮用があって北のほうに出かけた。紅葉がぼちぼち始まって夏の避暑地はもうすでに冬の景色だ。今回出かけたのはそんな優雅な話ではないのだけれどね。で用事を済ませていざ帰ろうと車をバックして前進にシフトした時にタイヤが異様な音を発した。で、何だろうと降りて確認したら、案の定パンクだった。どこかで釘でも踏んだのか。まぁタイヤ交換ぐらいなら自分で出来なくもないのだけれど、寒いのと少し雨もぱらついてきたということで、JAFのお世話になった。
用意周到というのかJAFはもう20年来の会員になっている。宣伝するわけではないが、どんなに夜遅くても、どこでも会員なら只で来てくれるので、トラぶった時には心強い味方だな。年会費4000円は手ごろだと思うのだけど、会員は減少しているそうだ。これまで3度しか利用していないけれど、まぁ保険みたいなもので使わないならそれに越したことはない。
午後、個展のDMを郵送しました。ニ三日の内に着くと思います。額装も終わったので、後は搬入、飾り付けを待つだけかな。昨年は新聞小説の挿絵展をやったけれど、本格的な個展は開催しませんでした。二年ぶりの個展なのでちょっと楽しみですね。
地元の個展は、コンサートをやったり、ちょっとしたホームパーティをやったり適当に遊べるので、面白い。自分で企画して人を招待して遊ぶわけだから、楽しくなきゃやらない。展覧会の趣旨とはすこし外れるかもしれないが、そう何回もできることでもないし、やれる時にはやるべと思っている。
今日は夕方から北風が猛烈に吹いて気温がぐっとさがった。木枯らし一号だそうだ。いよいよ本格的な冬がやってきそうだな。
午前中野暮用があって北のほうに出かけた。紅葉がぼちぼち始まって夏の避暑地はもうすでに冬の景色だ。今回出かけたのはそんな優雅な話ではないのだけれどね。で用事を済ませていざ帰ろうと車をバックして前進にシフトした時にタイヤが異様な音を発した。で、何だろうと降りて確認したら、案の定パンクだった。どこかで釘でも踏んだのか。まぁタイヤ交換ぐらいなら自分で出来なくもないのだけれど、寒いのと少し雨もぱらついてきたということで、JAFのお世話になった。
用意周到というのかJAFはもう20年来の会員になっている。宣伝するわけではないが、どんなに夜遅くても、どこでも会員なら只で来てくれるので、トラぶった時には心強い味方だな。年会費4000円は手ごろだと思うのだけど、会員は減少しているそうだ。これまで3度しか利用していないけれど、まぁ保険みたいなもので使わないならそれに越したことはない。
午後、個展のDMを郵送しました。ニ三日の内に着くと思います。額装も終わったので、後は搬入、飾り付けを待つだけかな。昨年は新聞小説の挿絵展をやったけれど、本格的な個展は開催しませんでした。二年ぶりの個展なのでちょっと楽しみですね。
地元の個展は、コンサートをやったり、ちょっとしたホームパーティをやったり適当に遊べるので、面白い。自分で企画して人を招待して遊ぶわけだから、楽しくなきゃやらない。展覧会の趣旨とはすこし外れるかもしれないが、そう何回もできることでもないし、やれる時にはやるべと思っている。
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昨日はいい天気に誘われてというわけでもなにのだが、かねてから計画して伸び伸びになっていた、知るひとぞ知る造形作家の木村二郎さんの回顧展を須玉の郷土資料館に観に出かける。木村二郎といってもほとんど人は知らないかもしれないなぁ、清里のギャラリートラックスのオーナーだったといえば、そこそこ美術に興味のある人は知っているかもしれない。
リサイクル家具といえば古材を利用した家具というイメージで安っぽい中古品という響きだけれど、彼の手がけた物は古材を素材として使っただけで、全く新しい造形物になっている。家具というより作家のオブジェに近いな。そこのところがどことなく自分の仕事と共通するエッセンスが感じられて惹かれるものがあった。土着の人間ではなく関西から流れてきた「来たり者」であるとことも共感する。
色んな雑誌で取り上げられて、これからと言う時にさっさとこの世とおさらばした。今生きていればもっと色んなところで取り上げられていたであろう。
リサイクル家具といえば古材を利用した家具というイメージで安っぽい中古品という響きだけれど、彼の手がけた物は古材を素材として使っただけで、全く新しい造形物になっている。家具というより作家のオブジェに近いな。そこのところがどことなく自分の仕事と共通するエッセンスが感じられて惹かれるものがあった。土着の人間ではなく関西から流れてきた「来たり者」であるとことも共感する。
色んな雑誌で取り上げられて、これからと言う時にさっさとこの世とおさらばした。今生きていればもっと色んなところで取り上げられていたであろう。
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