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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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はる 3112
 ちょっとパソコンのことで、ごたついています。というわけで今日もパス。
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 そうそう、最近どうもパソコンの具合が悪いようだ。何と言ってもウィンドウズ98だからね。もういつお釈迦になっても仕方がない代物だ。一年ぐらい前にブラウン管のモニターがビシッといって死んでしまった。今使っているモニターはハードオフに行って中古で買ってきたものだ。その後マウスが壊れた。ポインターが上下にしか動かなくなった。

 で、最近はどこがおかしいのか?ということだな。いつからなのかはっきりとは分からないのだけれど、ネットでブログなどを見ていると、時々伏字になっているところがある。あぁこの人はこれを嫌って伏字にしているのだなと前後の文章で想像していたのだが、それにしてはどうもおかしい。その伏字がひらがなの「ぼ」だったり、漢字でも特に気を使う字でもない「寒」という字だったりする??これもまぁ気まぐれでね、私のブログではちゃんと表示できるのだな。よく分からないクラッシュだ。ちなみに私がストックしてある文章もところどころ伏字になるから、これはこのpcがおかしいのだと分かった。

 今日は一日パソコンと付き合ってグーグルで検索しまくって対処法を探ったけれど、どうやらこんな症例はどこにも無かった。パソの不具合は大体ネットを見ればその症例の対処法がわかるのだが、なかった。これをご覧になっている諸兄方、何かいい方法はありますか?あったら教えてください。ただしパソコンは使用歴は長いけれど、技術的には超初心者ですので難しいことはわかりません。

 まぁこれ以上障害が進まないならこれでもいいかと思うにですが、どうでしょうか。



 
  この風景は好きで何回も写真に撮った。何だろう?なにが私の心に引っ掛かりを感じるのだろうか?ちょうど冬至の頃のぼんやりとした黄色い光が、子供の頃の冬の夕暮れの寂しい気分を思い出させるからなのかな。

 舗装されていない道というのも最近は少ない。どこもかしこもアスファルトで覆われてしまう。舗装されていない道はとても不便だ。雨が降れば当然水溜りができる。車が入ればぬかるんで轍がくっきりと残る。夏場は雑草が繁茂する。放っておけば何処が道だか分からなくなるほどだ。したがって蚊が発生する。

 ここは私の家の入り口近くで、御影石の踏み石が途切れた左側に小さな鉄製の門がある。冬の朝は霜柱が立っていて、踏むとコロコリと小さな音を立てる。昼頃にはとけてぬかるみのようになる。そのせいなのか苔が未だに少し残っている。右手は小さな畑を作っている。今は葱が少し残っている程度だ。

 私はこの舗装されていない路地がすきだ。好きだから何回も写真をとるのだろう。
 



 
 松屋銀座の個展DMが出来ました。まだ一ヶ月も先の話なので出していませんが、ご要望があれば送ります。ここに連絡ください。東京近郊のかたは正月明けに出しますのでお待ちください。

 この個展がちょうど50回目になる。デパートでの個展はこれで4回目になるかな。場所柄、何となく華々しく感じるけれど、私にとっては町の画廊でやるのと気持ち的には変わらない。元々ありえないようなチャンスを貰っただけで、上手くいかなければ昔に戻ればいいと思っている。

 
 



 
 人というのはなかなか業が深いものだ。今年の個展のメッセージの中で「私を見て」というのが少年時代の行動の動機になっているのではないか、というようなことを書いたけれど、考えてみると大人になってもほとんど変わらないなぁ・・。こうやって日々ブログを書いているのも無意識だけれど、そういったことの一端だな。

 関西の風土というのは独特の気分があって、先日M1グランプリがあったけれど、学校生活というのはほぼ全員が如何に「めだつ」かということにしのぎを削っているようなところがあった。頭のいい奴は学力で「めだて」ばいいわけで、運動が出来る奴、腕力の強い奴、その他色々自分の得意な分野で「めだて」ばよしというわけだ。その中で一番人気があるのが「笑い」をとる奴だ。休み時間は勿論授業中も丁丁発止のやりとりで、ボケと突っ込みで笑いを取るかということに、一日があるといった感じがあったなぁ・・。そういった意味で「お笑い」が関西に軍配が上がるのは至極当然だと思うな。

 兄弟関係でも如何に「目立つか」ということが自己のアイデンティティの確立に役立つ。私の兄弟というのか親父も含めてだけれど、結構強烈な個性の家族でちょっとやそっとではなかなか認められない場ではあった。そういった中で年齢的にも一番下であるという立場は微妙なところがある。無責任で自由であるということはありがたかったけれど、何をやってもどうやっても認められないというのはつらい所がある。

 私はあるところで強烈に自己アピールすることを諦めてしまった。それは自分の弱さなんだけれど、強く自分を主張するほど自分が強くないということことかな。で「目立つ」ことを止めてしまったかというと、そうではなくてその想いは深く内向することになる。だからある意味でストレートな「私を見て」というのではない屈折した形でそれがどこかに存在する。私の作品が一見強烈でないのはそんな所から来ていると思う。

 作品と作家というのはどこかで低通している、というのかそうでなければ嘘ということになるな。どんなに有名な作家に憧れてそっくりな作品を描いたとしても、それが本人の心のそこから出てきたものでなければいつかは飽きてくるし化けの皮は剥がれる。

 自分は何者であるのか、そこが最も大事な所だ。そのために絵を描いている。



 
はる 3015
 今日は友達の結婚祝いに何人かでレストランに出かける。彼らとはいつも出かけていたカフェで知り合った。まぁ食べて飲んでワイワイと話をしてそれで楽しければそれでOKだ。

 昔から何かと付き合うのは年下ばかりで、このところ遊んでもらっているのも相変わらずに年下だ。自分達夫婦に子供がいないということもあるのか、いつまでも大人の付き合いみたいなものができない。若い連中の方が話が合う。 こうやって一生大人にならないのも一つの才能じゃないかな。
 



 
はる 3014
 ニ三日前のNHKの「ラジオ深夜便」にハッブル望遠鏡の話をしていた。

 ちなみにこの「ラジオ深夜便」は放送し始めたころからのお付き合いで、身体を壊してから朝方の生活になったので、最近はほとんど聴く事はなくなっていた。最近は又少し寝るのが遅くなってきた。でももう昔のように朝方まで起きているなどということはない。

 民放の深夜放送が始まった当初、これも我々の世代がちょうど受験期と重なってはじまったものだ。オールナイト日本や関西ではチャチャヤングで谷村新司、杉田二郎、西岡たかしや北山修がパーソナリティをやっていた。

 そういった我々のような団塊の世代が歳食って、とても受験生相手のしゃべくりのうるさい民放など聴いていられない、もっと落ち着いたしっかりした放送がないかと思っていた時にこのNHKの深夜便が始まった。

 普通なら聴かない、宗教の話とかがけっこう面白くて、かかる音楽もそれなりでちょうどいい。ターゲットを上手く絞っていいところに目をつけたと思う。

 で、ハッブル望遠鏡の話だ。ご存知無い方に少しだけ説明すると、望遠鏡というのは倍率を大きくすればどれだけでも大きくなって見えるというものではない。ある程度まで大きくしても地球上から、この空気の層を通して光を見ている限りは限界があって、大きくしてもボケた映像しか見ることが出来ない。で、昔から人工衛星に望遠鏡を乗せて大気圏がいから天体を観測したいという願望が科学者にはあったらしい。それがハッブル望遠鏡ってわけだ。詳しくは何かで調べてくださいな。

 で、実際にその望遠鏡で宇宙を観測し始めたら、未だかつてみたこともない詳細な美しい映像を見ることができるようになったというんだな。宇宙の果ての極々かすかな光の星もキャッチできるようになって、宇宙の全体像がよく分かるようになった・・というのであればめでたしめでたしなんだけれど、実際はどうかと言えば、ますます分けがわからん、不可思議なことが分かってきたということだった。

 この宇宙の全体の75%はブラックマター(暗黒物質)でまだわかっていない。残りの20%はまた分けのわからない暗黒のエネルギーで満たされている。我々の知っている例えば銀河とか星などはただの5%にすぎないというようなことを言っていた。

 まぁこの話は面白くて妙味が尽きないなぁ。今日はここまで。
 



 
はる 3103
 久しぶりに冷え込んできた。明日は零下4度だそうだ。 寒い
 
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