忍者ブログ
画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
[58]  [59]  [60]  [61]  [62]  [63]  [64]  [65]  [66]  [67]  [68
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。




 
 なかなかにストーブが仕舞えない。昨日は雪が積もった。もう四月も中ば過ぎなのにね。

 さて、いよいよ明日から一週間、東京新美術館の地下倉庫に缶詰になります。それゆえに更新も途絶えがちになるかもしれません。出来るだけ臨場感のあるシャメを送るつもりではいますが、だめなら仕方ありません、あしからず。
PR



 
  阪急メンズ館の展示は3階のメンバーズサロンというところらしい。やはり会員制で普通は入ることができませんが、『榎並の絵を観たい」と申し出れば入れてくれるそうです。まぁそれほどまでして見る絵でもないので、次回の個展まで待ってってください。次回関西展示は七月の神戸ルポールです。

はる 3220
 絵描きになりたいという検索で私のところに来る若い人がままいる。まぁありがたいことではあるのだけれど、そういう人に何かいいアドバイスが出来きたかどうか、まことにこころもとない。

 絵描きなど、とても生業としてはやってゆけるものではない。多くのものを諦めるか、色んなことを言われても、それでもしぶとく絵を描いてゆく、そんな人間だけが残ってゆくのだな。選んだわけではなくて、それしか残らなかったというのが本当のところか。とても、それがいいことだというふうには思えないのだ。

 他にもっと自分に適切な仕事がやれるなら、最低でも我慢できるならその方がいい。「なまじ人生を棒に振ることはない」・・と昔私も言われた。けっこうショックだったなぁ、いまだにそのシーンを覚えている。
ac19e548.jpeg

a731219d.jpeg
   梅田阪急メンズ館展示
期間6月末まで

 作品の貸し出し展示が決まりました。こういったサロンは会員制のため広く一般の方が入れるスペースではないようです。私自身もまだ入ったことがないので、何もいえませんね。

はる 3219
 「絵描きになりたい」の質問に答えて
・・略・・
 絵を描いて生きて行く方法は色々あると思います。描くのが好きで好きで、絵さえ描いていれば幸せだというのであれば、イラストレーターとか、アニメーターとか、漫画家とか、それとも似顔絵を描く大道芸人とか・・。画家(芸術家)というのであれば少し違うかもしれませんが・・。芸術家という職業はありません。芸道は生き方です。

 ただ普通にサラリーマンのように決まった収入があるわけではないので、生活は当然不安定になります。若いうちはそれでも何とか情熱でやってはいけますが、例えば彼女と結婚して子供が出来てという普通の生活を考えているなら、早々にあきらめた方がいいでしょう。絵を描くことは趣味に徹すればいいのです。けっして恥ではありません。多くの人がその道を選択します。彼女との幸せな生活を望むのであればそちらをすすめます。

 メールを拝見したところ、絵描きという生活にあこがれているだけという気がします。そう、確かに私も憧れからすべてが、始まりました。「こうなりたい」と想わないことには始まりませんね。憧れることはわるいことではありません。

 が、兎に角、描くこと、描いて描いて、描き尽くして、何者にもなれなくてもそれで死んでもいいやと思えたら、画家になったということだと思います。まず描く事です。そこから全てが始まります。

 ・・略・・
 



 
 人は芸術を理解する動物だと規定したら、案外あたっているかもしれない。古い人類の祖先のお墓から花の花粉の化石が出てきたということを聞いた。嬉しいにつけ、悲しいにつけ、人は踊ったり、唄ったり、それを何らかの形で表現した。そうやって人類はただの本能から一つ上の知恵を持ったのだろう。

 ああ眠い。



 
 昨日はまた東京で帰りは午前様でした。全くこの四月は何回お江戸まわりをするのでしょうか?まぁ仕方ないけれど、やっぱり早めに大きな作品を仕上げておいてよかったと安堵する毎日です。まだ仕上がっていなければどれほどやきもきしたことでしょう。

 この頃想う事をつれづれに・・。

 芸術だけを特化して考えるのではなく、生活それも極日常的なことに芸術を絡めて考えたい。特にデパートで個展をやるようになってから感じたことは、デパート言うものすごく通俗的な、大衆的な空間の中で、普通の人がちょっと新しい感覚に触れるとか、工夫次第でちょっとリッチに豊かに生活できるアイディアを提案するとか。そんなことかな。

 新しい芸術運動という大それたことでもないのだけれど、生活の中にちょっとしたアート感覚を持ち込む、そうすることで生活がより豊かに愉しくなるといったことだろうか。私はもともと大上段に振りかぶったような芸事は好きではない。もっと掌握的な,じっくり慈しんで楽しむようなそんなものが好きだ。だからそんな風に考えるのだろうかな。

 例えば今考えていることは、ここのような田舎町の暮らしをどうすれば愉しく、豊かに暮らせるのか?というふうなことだ。都会の価値観では暮らせない。どのみち田舎なんだから、田舎でしかありえないような、それも東京にちかいという立地を逆手にとって、どうすればみんながそれも有りだなぁと思うような生き方が出来るか。

 それが、自分の絵と直接は関係しないだろうけれど、ひとつ上の目線で考えると大いにリンクしてくるのではないかと思うのだな。いや自分の絵がそれによっとどうなるということではなくて、もっとこう生き方の本質と関わってくるのじゃないかと思っているのだ。

 結局は人生のお仕舞いに「あぁ楽しかったねぇ・・」って思えるような生き方をしたいわけで、全てをひっくるめて、考え方を提案したり、啓蒙したり、メッセージを発信したり、表現したいといったことなのかな。



 
 今日は忙しい一日だった。一年は早いものだな。



 
はる 3213
 そういう意味では私など凄く平凡な人間だなと思う。高山辰夫だったかな、「私は個性的であろうとは思っていない、出来れば多くの人と共通なものを見つけたい」というふうなことをどこかで書いていた。私も全く同感だ。若い頃はそれなりに個性的であろうとしたところもあったけれど、もう疲れた。「私が、僕が・・」というのを突き詰めれば、やがて人類のとか、宇宙のに近づいてくれるようにも思う、それを期待しよう。

 私は一体何処に着地しようとしているかな。最も難しいところに来ているのかも知れんな。このまま続けて行けばまぁ最初の頃に目指していた「絵を描いて生きてゆく」ということは何となく適って行きそうだ。そこそこの道が見えてきた。果たしてこの延長上でいいのかどうか?このまま行くとして、あと20年で何処までゆけるのか?そんな多くの疑問がわいてくる。

 絵を描くのはこういったことを考える一つの道具でしかない。こうやってブログや日記を書いてゆくのとさして違いはない。

 何が言いたかったのか分からなくなったのでまた明日だな。

 
**
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]


(Design by 夜井)