画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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都会のデパートなんかはまだいいと思う。それなりにまだ需要がありそうだ。問題なのはどこの地方にもある老舗のデパートだろう。地方の商店街はもうほとんど死体だな、それを象徴するように地方のデパートは青色吐息だ。色んなカンフル剤を打って生きながらえていいるけれど、あと10年もつのだろうか。これがつぶれたら町中は致命傷だ。ぽっかりと大きな穴があいてしまう。今でもほとんど開店休業状態だけれど、どれだけの危機感をもっているのだろうか。
多くの百貨店は創業時代は呉服屋だった。時代は着物から洋装になっていつまでも呉服に囚われていたのじゃ乗り遅れるというわけで、大きく方向転換した。物が少ない貧しい時代の大衆の要求だっただったのだろう、全般的にちょっと高級感のある百貨店となってここまでやってきた。いままた時代は大きく変わろうとしている。速い、安い、便利、ならばスーパーやコンビニ、ファミレスに負けてしまう。安いだけじゃ百円ショップもある。高級なら外国の有名ブランドがもっと付加価値をつけて売り込んでいる。百貨店はどっちつかずだな。存在価値が根本的に問われてる。このままではこの後10年はもたないかもしれない。
大手のデパートはそうとう危機感をもっているだろう。これから百年どうやって生き残ってゆくのか、何を売って行くのか、それはまぁデパートだけの話ではないのだな。言わばこれから百年の日本の有り方、生き方、過ごし方、そんなことにもつながっているのではないかな。そんなふうに思う。
何が求められているのかな。もっと言えば「人の幸せって何だろうか?」ということだ。
閑話休題
以前に書いた事があるけれど、中学校の正教員をやっていた時に気付いたことがある。こうやって色んな校則や規則でがんじがらめにして生徒たちをどうしたいのか、どんな理想をもって子供たちを指導しているのだろうか、最終的に目標としているのはこの国に役に立つ人材を育てるということなのだろうか、義務教育というのは無償であるということはそういうことなんだろうか・・などと疑問に思った。
国の役に立つ人材を育てると言うのであるならば、まぁ体制が変われば大きく価値変換を強いられることがあるわけだな。当然。しかし、教育というのは基本的に個人のものである気がしている。個人がよりよく、楽しく、充実して生きられるように、教えるのではなく、知ろうという気持ちに火をつけることだと思っている。教えられることは限られたものでしかないけれど、知ろう、」知りたい、学びたい、という気持ちに限界はない。これは国も体制も関係がない、体制が変わっても、国が崩壊しても、関係がない。そういった人を育てるのが教育だと思っている。まぁ結果的にお国のためになることはあっても、決してそれが目的ではない。
で、話は元に戻るのだけれど、多分これからは「物」を売るのではない気がするんだな。人はもう物では「幸せ」にはならないことに気がついたんだな。
多くの百貨店は創業時代は呉服屋だった。時代は着物から洋装になっていつまでも呉服に囚われていたのじゃ乗り遅れるというわけで、大きく方向転換した。物が少ない貧しい時代の大衆の要求だっただったのだろう、全般的にちょっと高級感のある百貨店となってここまでやってきた。いままた時代は大きく変わろうとしている。速い、安い、便利、ならばスーパーやコンビニ、ファミレスに負けてしまう。安いだけじゃ百円ショップもある。高級なら外国の有名ブランドがもっと付加価値をつけて売り込んでいる。百貨店はどっちつかずだな。存在価値が根本的に問われてる。このままではこの後10年はもたないかもしれない。
大手のデパートはそうとう危機感をもっているだろう。これから百年どうやって生き残ってゆくのか、何を売って行くのか、それはまぁデパートだけの話ではないのだな。言わばこれから百年の日本の有り方、生き方、過ごし方、そんなことにもつながっているのではないかな。そんなふうに思う。
何が求められているのかな。もっと言えば「人の幸せって何だろうか?」ということだ。
閑話休題
以前に書いた事があるけれど、中学校の正教員をやっていた時に気付いたことがある。こうやって色んな校則や規則でがんじがらめにして生徒たちをどうしたいのか、どんな理想をもって子供たちを指導しているのだろうか、最終的に目標としているのはこの国に役に立つ人材を育てるということなのだろうか、義務教育というのは無償であるということはそういうことなんだろうか・・などと疑問に思った。
国の役に立つ人材を育てると言うのであるならば、まぁ体制が変われば大きく価値変換を強いられることがあるわけだな。当然。しかし、教育というのは基本的に個人のものである気がしている。個人がよりよく、楽しく、充実して生きられるように、教えるのではなく、知ろうという気持ちに火をつけることだと思っている。教えられることは限られたものでしかないけれど、知ろう、」知りたい、学びたい、という気持ちに限界はない。これは国も体制も関係がない、体制が変わっても、国が崩壊しても、関係がない。そういった人を育てるのが教育だと思っている。まぁ結果的にお国のためになることはあっても、決してそれが目的ではない。
で、話は元に戻るのだけれど、多分これからは「物」を売るのではない気がするんだな。人はもう物では「幸せ」にはならないことに気がついたんだな。
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デパートで個展をはじめて3年ほどになる。公募団体に出品している作家には、変なプライドのようなものがあって「デパートで売られている様な絵」は描かないと公然という作家もいる。そう私もその一人だった。
だから最初デパートでの個展の話があったときはちゅちょした。「デパートの絵」とは端的言えばに商品ということだ。自分の絵が商品かどうか、商品として売れるのかどうかは別にして、明らかに売るという目的のために絵は描いていなかった。まぁ言ってみれば素人であったわけだ。
もう一つデパートの絵の特徴として「綺麗、細かい、分かりやすい」というものがある。だから私に話が来るとは考えられなかった。どれ一つとして合格していないからね。実際物を見て描くわけでもない。だから私のは絵ともいえない。私の個人的な想いでしかない。形を変えたオブジェのようなものだ。そんなものが一般的に売れるとは思えなかった、というのが本当のところだな。
そういうデパートでの個展のイメージを変えてくれたのが、お世話になったHさんだ。何よりも私の作品を「いい」と言ってくれたこと、そのことは大切なことだ。売れる売れないは関係なく、兎に角「いい」と言ってくれたこと。それによってどれだけ勇気付けられたか。今までも何人かは個人的に「いい」といってくれた人はいた。けれど、公の仕事人として鑑賞家として、デパートの企画人として「いい」といってくれたことは大きな自信になった。
今デパートは過渡期に来ている。一昔前デパートは「夢」を売っていた。どこで買うよりも高かったけれど、それに似合う付加価値があった。それにお金を払っていたわけだ。ところが色んな海外のブランドがそれぞれに付加価値、高級感を持ち始めて、自前のお店を持つようになって、デパートの時代は終わりを迎えつつある。どうやって生き残ってゆくのか、それぞれが戦略を考えているところだ。
大衆の消費をリードしてきたデパートがこれからどうなって行くのか、何を売ってゆくのか・・・また眠くなった。
だから最初デパートでの個展の話があったときはちゅちょした。「デパートの絵」とは端的言えばに商品ということだ。自分の絵が商品かどうか、商品として売れるのかどうかは別にして、明らかに売るという目的のために絵は描いていなかった。まぁ言ってみれば素人であったわけだ。
もう一つデパートの絵の特徴として「綺麗、細かい、分かりやすい」というものがある。だから私に話が来るとは考えられなかった。どれ一つとして合格していないからね。実際物を見て描くわけでもない。だから私のは絵ともいえない。私の個人的な想いでしかない。形を変えたオブジェのようなものだ。そんなものが一般的に売れるとは思えなかった、というのが本当のところだな。
そういうデパートでの個展のイメージを変えてくれたのが、お世話になったHさんだ。何よりも私の作品を「いい」と言ってくれたこと、そのことは大切なことだ。売れる売れないは関係なく、兎に角「いい」と言ってくれたこと。それによってどれだけ勇気付けられたか。今までも何人かは個人的に「いい」といってくれた人はいた。けれど、公の仕事人として鑑賞家として、デパートの企画人として「いい」といってくれたことは大きな自信になった。
今デパートは過渡期に来ている。一昔前デパートは「夢」を売っていた。どこで買うよりも高かったけれど、それに似合う付加価値があった。それにお金を払っていたわけだ。ところが色んな海外のブランドがそれぞれに付加価値、高級感を持ち始めて、自前のお店を持つようになって、デパートの時代は終わりを迎えつつある。どうやって生き残ってゆくのか、それぞれが戦略を考えているところだ。
大衆の消費をリードしてきたデパートがこれからどうなって行くのか、何を売ってゆくのか・・・また眠くなった。
いつもの話で申し訳ないが、人は自分の身の丈でしか理解できないし、反対に身の丈でしか発信できない。どんなに高尚な話でも受け取る側にその感受性がなければ全く意味がないし、自分にないものは伝わらない。こんな簡単なことが、いままで気がつかなかった。いや何度もなんども聞いてはいたのだろうが、この言葉の通り、私にその感受するアンテナがなかったのだろう。
物事の縁というのも同じようなことがある。凄くいいチャンスでありながら、まだ機が熟していないばかりに見過ごしてしまうことがある。チャンスの天使は前髪しかない、気付いて振り返っても後ろ髪はつかめないよというジョークだけれど、まんざら嘘でもない。
今回、前半はまるで人が来なかった。真夏で、特に今年は異常に暑かったということをさしひいてもそれは普通ではない。真夏に個展を開催するのは今年で6回目だ。何かが変わったのだ。私が変わったのかも知れないし、お客さんの意識が変わったのかもしれない。多分普通に毎年のように人が来ていれば気付かなかった、見過ごしていたことに気付かされた。これはとても大事なチャンスでもあるのだろう。そのことに気付くくかどうかは大きなことだ。
個展を開催していると、期間中に何人かのギャラリーのオーナーが訪れる。新規の画廊のオープンの話だったり、大体が貸し画廊の話で誰か借り手がいないかと探しているといった話が多い。今回も何人かオーナーが見えた。普段ならほとんど話を聞く気にもならないのだが、次の展開を考えていた時期だったので、気にしていたのかもしれない。
ギャラリーSのオーナー夫婦が来られたのも、休日に画廊めぐりをしているところだった。私は暇だったので、ギャラリーのドアー越しに街を行き交う人を眺めていた。たまたま向かいのギャラリーがお休みだったので帰ろうと振り向いた時に私と目があった。「あぁこんなところで個展をやっている」という感じで道路を渡ってこちらにやってこられて、ショーウィンドウの絵に興味を持ってくれた。絵が好きなご夫婦だと思ったので「どうぞ涼んでいって下さい」と声をかけたのが始まりだった。
詳しい事はまだ書かないけれど、そこで来年の10月に個展を開催することになった。それが夙川を訪ねた理由だ。
物事の縁というのも同じようなことがある。凄くいいチャンスでありながら、まだ機が熟していないばかりに見過ごしてしまうことがある。チャンスの天使は前髪しかない、気付いて振り返っても後ろ髪はつかめないよというジョークだけれど、まんざら嘘でもない。
今回、前半はまるで人が来なかった。真夏で、特に今年は異常に暑かったということをさしひいてもそれは普通ではない。真夏に個展を開催するのは今年で6回目だ。何かが変わったのだ。私が変わったのかも知れないし、お客さんの意識が変わったのかもしれない。多分普通に毎年のように人が来ていれば気付かなかった、見過ごしていたことに気付かされた。これはとても大事なチャンスでもあるのだろう。そのことに気付くくかどうかは大きなことだ。
個展を開催していると、期間中に何人かのギャラリーのオーナーが訪れる。新規の画廊のオープンの話だったり、大体が貸し画廊の話で誰か借り手がいないかと探しているといった話が多い。今回も何人かオーナーが見えた。普段ならほとんど話を聞く気にもならないのだが、次の展開を考えていた時期だったので、気にしていたのかもしれない。
ギャラリーSのオーナー夫婦が来られたのも、休日に画廊めぐりをしているところだった。私は暇だったので、ギャラリーのドアー越しに街を行き交う人を眺めていた。たまたま向かいのギャラリーがお休みだったので帰ろうと振り向いた時に私と目があった。「あぁこんなところで個展をやっている」という感じで道路を渡ってこちらにやってこられて、ショーウィンドウの絵に興味を持ってくれた。絵が好きなご夫婦だと思ったので「どうぞ涼んでいって下さい」と声をかけたのが始まりだった。
詳しい事はまだ書かないけれど、そこで来年の10月に個展を開催することになった。それが夙川を訪ねた理由だ。
携帯が新しくなった。ゆえにシャメの画素数が大きくなった。別に今までのものでよかったのだが、今年一杯でなくなるというので仕方がない。デジタル放送なんかもそうだけれど、かってに変更して新しい機種に変えるように薦めるのはずるい商売だなと思う。
と思いながらドコモショップに行って機種変更を頼むことにした。まぁ最低でも二三万を覚悟していたのだが、キャンペーン中ということで、ただであった。何故??そんなことができるの、よっぽど儲かって利用者に還元しているわけでもあるまいに、今ひとつ納得行かないのだが、文句をいうこともおかしいのでそのままにしてもらってきたのだが、携帯の料金体系というのも複雑で理解に苦しむのだな。保険とよく似ている。
と思いながらドコモショップに行って機種変更を頼むことにした。まぁ最低でも二三万を覚悟していたのだが、キャンペーン中ということで、ただであった。何故??そんなことができるの、よっぽど儲かって利用者に還元しているわけでもあるまいに、今ひとつ納得行かないのだが、文句をいうこともおかしいのでそのままにしてもらってきたのだが、携帯の料金体系というのも複雑で理解に苦しむのだな。保険とよく似ている。
帰ってきました。実は昨日帰っていました。ところがあまりにも暑くて疲れたので何もしないで寝てしまったのです。長い旅でした。帰りは東京まわりで銀座の個展を何軒か見ました。まぁ銀座も同じように暑かったですね。帰りの電車の中で思ったこと、こうやってドサまわりの芸人のように暮らせてゆければ本望だ。いつまでできるのだろうかね。体の自由が利く限り、だめになったところで御仕舞いにしたいね。上手い具合に幕を閉じられるといいのだけれどね。まぁわかりません。
一番簡単な方法は、貸しで始める事だ。これだと失敗しても被害は自分だけです、最小限の範囲で済ませることができる。けれど、被害が少ない分、メリットというのか影響力というのか、波及効果というのか、当然他人を巻き込める力も弱い。
多くの人を介せばするほど、責任も大きくなるし、その分リスクも大きくなるけれど、影響力も大きい。○動画廊などの個展の企画を見ていると作家がどんどん小さくなって、スタッフばかりが大きく見えていくように感じられる。まぁ大手の画廊というのはそうでもしないとやっていけないのかもしれないけれどね。自由がないようでかわいそうに思えたよ。でもまぁ彼は自分の絵を描いていたから立派だね。
企画の話はなかなか難しいね。お互いの信頼関係もあるけれど、作家は直接売った方が効率はいいわけだ、けれどそれを続けているとやがては玉が尽きてくる。だから信頼できる画廊に全面的にお任せした方が楽なのはその通りなんだな。・・・・・・・・・
眠くなった。また明日。
一番簡単な方法は、貸しで始める事だ。これだと失敗しても被害は自分だけです、最小限の範囲で済ませることができる。けれど、被害が少ない分、メリットというのか影響力というのか、波及効果というのか、当然他人を巻き込める力も弱い。
多くの人を介せばするほど、責任も大きくなるし、その分リスクも大きくなるけれど、影響力も大きい。○動画廊などの個展の企画を見ていると作家がどんどん小さくなって、スタッフばかりが大きく見えていくように感じられる。まぁ大手の画廊というのはそうでもしないとやっていけないのかもしれないけれどね。自由がないようでかわいそうに思えたよ。でもまぁ彼は自分の絵を描いていたから立派だね。
企画の話はなかなか難しいね。お互いの信頼関係もあるけれど、作家は直接売った方が効率はいいわけだ、けれどそれを続けているとやがては玉が尽きてくる。だから信頼できる画廊に全面的にお任せした方が楽なのはその通りなんだな。・・・・・・・・・
眠くなった。また明日。
夙川にかかる古い橋
京阪神地区に住んでいると、阪急沿線の芦屋あたりというのは、一種あこがれの地である。いままでほとんど気にすることもなかったのだが、今回縁があって阪急の夙川あたりをぶらぶらと歩いてみた。神戸の須磨あたりもそうだが、鉄道線は山すそを縫うように走っていて、住宅地はそこを基準にして上に向かって伸びている。そういた坂道のある風景というのは、なかなか趣がある。
夙川の駅の北口を降りて山に向かう線路に沿って少し上ってゆくと、踏切がある。この線路はどこへつながっているのだろうか。線路をまたいでドンつきにまだ真新しい大きな家が何軒か並んでいる。あとで知ったのだが、例の阪神大震災でつぶれてしまって立て直したらしい。
名前の由来である、夙川が見えてきてそれにかかっている橋が上の写真の橋です。コンクリートでできた苔むした人しか通れないような古風な橋です。
なぜ夙川にでかけのかはまた明日。
ほとんど親孝行らしいことはしていない。迷惑のかけ通しで今まできてしまった。そうであるからなのか、私が帰省すると、具合が悪くなって病院に行くことが多い。今回もそんな具合で母を背負って近くの病院にゆく。肺に水がたまったとかで、先日は兄貴が病院まで背負って連れて行って抜いてもらったそうだ。今日は腸閉塞の疑いとかで、また大きな病院まで検査に行く。待たせれて、それだけで疲れてしまった。94歳のお袋にはわるいけれど、何事も無いことのほうが不思議で、若い医者が今日は絶食して様子を見てくださいと言っていたが、そんなことをすればいっぺんに参ってしまう。医者は経験がなければ信用できない。独自の判断で対処することにした。それで大事なければいいだろう。
今回の反省。地元ということで甘えがあったように思う。最初のころは物珍しさも手伝って、多くの知り合いや親戚や友達が来てくれた。それはすごく有難いことで、私のように故郷を二つ持っている人間の有難いところだとは思う。けれど、それも二回三回になると珍しくは無くなるわけで、それを理解していながら次ぎの手を打ってこなかったのが、大きな敗因だな。なんとなく自惚れてそこそこ活動して認知されているように勘違いしていたのではないかな。ここでは全く無名の一人の絵描きであることを知るべきだ。
新聞に記事を送っても何のコネもなければ掲載もされないし、告知する方法はほとんどなかった。自分のDM300枚ぐらいなもので、これで多くのお客さんを集めることは無理だろう。地元だから何とかなるだろうという甘い認識があったことは確かだ。こちらに住んで日々活動していればそれなりに姿が見えるのだけれど、二年に一回個展をするだけでは、なかなか認知させることは難しい。
個展の形態も変えて行くべきだった。早い段階でそういった助言をもらっていたにもかかわらず、そこそこ結果を残せていたので、そのままここまで来てしまった。そこが落とし穴だったな。もうすでに何年も離れている場合地元というより、見知らぬ土地でやるつもりで、はっきりとお任せする画廊を見つけて行くべきだった。もう作家自らは裏にまわるべきだ。分っていたんだけれど、どうも頭を下げてお頼みするのが嫌で放っておいてきてしまった。いまさらもう頼めない。
面白い話が無い限り、神戸ではしばらく個展はやらないだろう。
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