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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 そういえば「ギーギーギー」とネジを巻くような声でなく鳥がいますね、そういうことだったんですか。「1Q84」を二度読んでしまったので、退屈しのぎに家にあった「ねじまき鳥・・」を読み始めた。大体が今まで剣豪小説か時代小説ばかりを読んでいたので、最初は少し違和感があったけれど、読み始めるとぐんぐんと引き込まれてしまった。なるほど天下のベストセラー作家、伊達ではないなぁ。面白い。

 それにしてもこんな一見シュールな文学がベストセラーになるのですね。そんなに皆さん文学がお好きだったんですね。私が読まず嫌いだったのでしょうか。私は遅咲きの読書家なんで、面白くないものは読まないんです。面白いから読む。それだけです。

 ただね、絵なんかでもそうですけれど、今面白くないからだめな作品かといえばそうでもないんですね。いつもの話ですけど、人は自分の今のレベルでしか判断できないんですね。悲しいけれど。だから今面白くなくても、興味がもてなくてもやがてその面白さがわかる時がくるかもしれない。反対に言えば、今興味を持って見ているのは、今の自分の範疇で判断できる作品で、何年かごには面白くなくなっているかもしれないんだな。日々進化している。

 でもまぁ好みというのはそんなに変らないわけだから、今流行の現代美術が好きになることはない様に思うのだけれどね。わかりません。反対にどんどん時代が下がっていって、地域も西欧、シルクロードを通ってアジアから日本、と狭くなってゆくように思います。
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 「こうふのまちの芸術祭」というイベントに少し関わって遊んでいる。町中の空き店舗が展示会の会場だったり、カフェや小さなギャラリーで県外から作家を呼んでイベントをうったりする。私は町中のカフェで作品を展示するだけで、何か目新しいことをするわけでもない。

 何年か前に甲府市が同じような企画をして「あまりにも面白くなかった」し、「熱意も感じられなかった」ので二度とこんなことには首を突っ込まないと思っていたのだけれど、今回は企画したのが卒業生だったので何とか邪魔にならない程度に協力することにした。

 若い力とでもいうのかな、お上の発想ではとても考えられないような多彩なアイディアでどんどん仲間をふやして、自ら遊んでいる感覚でことが進んでいるのはいいことじゃないかな。ちょっと散漫になりすぎるきらいもなきにしもあらずだけれど、まぁお祭りだもの楽しまなきゃね。今日も食堂の模擬店の下見会をやっていた。

 私自身はお酒も飲めないし、食べることにそんなに執着はないのだけれど、こうやって色んな若い仲間とワイワイとやっている場にいることは嫌いではない。残された時間を考えれば、とてもさんなことで遊んでいる暇はないはずと言われそうだけれど、まぁこうやって遊びながら暮らしてゆくのが私の生き方のように思っている。これで仕事の完成度というのか、密度が落ちるというのであれば、元々それほどの人間ではないのだ。

 年々若い連中と遊んでいるようで、いつまでたっても大人になれないでいる。



 
 「1Q84」で面白いと思ったところ。主人公の一人の女性が、まぁある種の逃亡者なんだけれど、それが段々と一人の男に追い詰められてゆく。全く世の中と係わり合いを持たなければ絶対に見つかることはないのだけれど、それが段々に追跡者の影が見えてくるところ。

 で、どこからそれが崩れてゆくかというと、結局は自分の内部にある一番触れて欲しくないところだったり、弱点だったりするところからだというのだな。隠せばかくすほどそこからぼろが見えてくるといったことだろうか。

 こんなところにもなかなか鋭い考察があるなと思う。

 例えばある人の逆鱗に触れてかんかんに怒り出したとか、または反対に全く気振りにも見せないとか、というところは反対にその人が一番気にしているところであるし、弱点でもあるわけだな。全くどこもかしこも満遍なくこだわりがない、気にしないなどというひとはある意味で、馬鹿かのーたりんか凄い人格者だろうな。

 人はどんなに完璧に装ったとしても、その装いが本人の自覚の下で行われている以上どこかでぼろがでるのだな。何が怖いのかといえば、結局自分の中にあるお化けが怖いわけで、空想できない人間にはお化けは存在しないということだ。

 これは結局何度も繰り返して出てくるテーマで、自分を表現しようとしている行為にのなかには装った自分がいるだけで、それはまだ本物ではない。それ風ではあるけれどまだ本当の自分には出会っていない。更にやっているうちに探している自分の姿そのものが見えてきて、びっくり仰天するわけだ。有為が無為になってはじめて表現と言えるのではないかな。これもマトリシカ人形だな・・。

 よく分からん文章だけど、そのまま載せる。



 
 まだまだ今日も暑かったです。明日から授業が始まります。なんとなく憂鬱・・・。



 
 一番最初のサントリーホールのコンサートがヨーヨーマだった。天井桟敷の一番上の座席で彼の姿は豆粒ぐらいにしか見えなかった。けれど何だか凄くうれしかったのを覚えている。最近は忙しくなったと言うこともあるけれど、コンサートにわざわざ東京までというとやや億劫で、もう昔のように最終便のバスに乗ってというようなことは出来ないなぁ・・。

 東京はやっぱりそういった意味でも色々と刺激的な街だな。年取ったら都会のマンション暮らしというのも、経済的に悠々自適が許されるなら考えてもいい。まぁほとんど私には縁のないはなし。

 京都の町屋に住みたいという願望はまだ消えてはいない。あと海の見えるところに住みたいというのもある。まぁこうやって夢見ているだけで終わってしまうのかもしれませんね。全ての場所や人間関係を断ち切って新しく構築するのはなかなかくたびれることでしょう。

 


 
 

 
 チェロの練習曲をネットで探していたら、ピアソラのリベルタンゴにぶつかった。もう随分前になるのだけれど、チェロ弾きのヨーヨーマがこのリベルタンゴを引っさげて世界中を演奏旅行していた時があった。たまたまチケットが手に入ったので、わざわざ東京のサントリーホールにこのピアソラの名曲を聴にいった。普通のクラッシクのコンサートと違ってジャズのような自由な雰囲気があって面白かった。当時はピアソラの名前さえ知らなかった。

 いまでこそ、このリベルタンゴはテレビのテーマ曲に使われたりして有名になってしまったけれど、当時はとても不思議なそれで感動的で魅力に富んだ音楽だった。バンドネオンの響きが哀愁があってとてもいい。今日久しぶりに聴いたら、思わず泣けてきた。

 ボサノバなんかもそうだけれど、ラテン系の音楽はどこかアフリカのリズムが残っていて、人の心の奥底から共鳴する感動がある。



 
 夕立。一瞬のうちに周りは水の底。でもまぁそのために夜はすごしやすくなった。虫の音のシンフォニーが今日は凄いだろう。季節は確実に秋になっている。



 
 携帯でこんな写真が撮れる。かなり拡大しても画面が荒れないから、画素数が大きいのでしょう。シャメが投稿できるようになってほとんど毎日写真を一点載せている。何もない時はアトリエの写真を載せる事にしているが、どこかに行けばその時の臨場感のある写真が撮れたらいいなぁなどとにわかカメラマンは思うのである。



 
 チェロを始めて何年くらいたったでしょうかね。無謀にもバッハの無伴奏の楽譜を買ってきて自分流に弾き始めたのが今から20年前だ。無論独学でほとんど無手勝流で弾いていた時期がほとんどなので、少しまじめに練習したり飽きて放っておいた時期もあるから単純に年月をいっても仕方ない。

 独学だと嫌なことは全くやらないので、気ままでいいけれど上達は望めない。何年やってもいっこうに上手くならなければ自然にやめてしまうということになる。何か楽器はやりたいと言う気持ちは随分と昔から持っていて、クラッシックギターをそれも独学でこそこそとやってみたり、リコーダーをやったり、ハーモニカをやったり、そうそうヴァイオリンもやったことがあったな。どれもこれも一時のことで長続きはしなかった。

 誰かにレッスンを見てもらうことの大儀さは分かっていたけれど、兎に角続けるためには否が応でも人につく必要があると考えた。一ヶ月に一度しかレッスンには通わないので、ほとんど独学と変らないのだけれど、決定的に違うところは、レッスンの一週間前ぐらいは重点的に練習するというところだな。これでは上手くはならないのだけれど、長い人生の趣味として楽しんでやるにはちょうどいいのかもしれん。

 絵もそうだけれど、自分でやるのが一番面白い。人が演奏しているのもそれはそれで楽しいのだけれど、たかが「チョウチョチョウチョ」でも自分で弾けた時はどんな名演より感動するのだな。楽器一つ習うことで見えてくる、気付かされることってけっこうある。第一にチェロならチェロの指の動かし方から弓の運び方ビブラートのかけ方などなど、今まで気にもかけなかったことが興味の対象として見えてくる。これって大きく言えば人生の楽しみ方の奥義ではないだろうか。

 この夏はチェロの練習をよくやった。昼間とてもアトリエで仕事できる状態ではないかったので、本を読んで昼寝するか、二階に上がってクーラーをつけてチェロの練習をしていた。イメージはかっこいいけれど、そんなにいいものではないのであしからず。継続は力なり、ゆめゆめ忘れないように・・。
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