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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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阪本龍一大貫妙子
utau
「三びきのくま」
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はる 3576
 五十代も最後になりました。



 
はる 3575
 昨夜また大きな地震があった。この間のことがあったので、すぐにテレビをつけて原発がどうなったかチェックする。別に私は保安員でもないので誰から頼まれたわけでもないのだけれど、またぞろ電源が止まったのではないか、施設が壊れたのではないか、放射線の漏れはないか、などなど。全くの素人で一般大衆の一人である私でさえ、このぐらいの心配はする。

 案の定女川の原発の電源は止まって、非常用のディーゼル発電一つがようやっと生きていてそれに切り替わって難なくすんだとのこと。

 原発は壊れない、安全だというのはどこの国の話だい。原発そのものは壊れなくても、電源が止まって冷却装置が働かなきゃ意味ないじゃないのか。で、最低の非常用のディーゼル発電にたよってようやっと生きているような代物は「安全」とは言わないのじゃないか。そこらへんのぼっこい自家発電の施設じゃないんだからな。いったんことが起きたら、一国が沈むかもしれない、世界中が何十年も放射能で汚染されるんだろう。下手すりゃ人類は滅亡するかもしれん、そんな怖い恐ろしい道具だ。もしそれを使うなら、何重にも何重にも安全装置をつけて、それでもだめだった場合は一番最初に住民を避難させる。シェルターをよういする。そのぐらいの想像力を働かせよな。馬鹿じゃないのかね。

 理系の頭じゃそこまで想像できないというのであれば、「アキラ」の大友克洋に知恵を借りるとか、「日本沈没」の小松左京に意見を聞くとか、「ナウシカ」宮崎駿とか世界的な想像主がいるじゃないの。

 何とかしてくれよ、ったく。



 
 はる 3574
 事が起きてしまってから批判するのはとても簡単だ。あれが悪いとか何でそうだったのか・・などなど。いつも思うのだけれど、学者とか専門家などという輩が出てきてしたり顔で批判するのは見たくない。多くの場合視聴者が望むような意見をいう。世論とはだいたいそういったものだ。だからと言って事が起きる前に言えば、胡散臭い占い師か預言者ということになる。不安な真理に乗じてそんなデマや流言がまことしやかにささやかれ出した。惑わされないように。

 しかし、あの出来事がおきてかから、ほとんどそのことばかりを考えている。いくら私がここで考えてもらちはあかない事だけれどね。原子力発電などという現代の科学の粋を集めた機械が、いざ事が起きてしまうと消防車がでてきて水をぶっ掛けたり、掛け過ぎるとあふれた水を止めることさえ出来ずに、バタバタと新聞紙やおがくずを混ぜて懸命に止水している。笑っては失礼だけれど、その手法は子供の遊びの範ちゅうでしかない。その程度の事しか出来ないのであるならば、やはり原子力に手を出してはいけなかったのだろう。
 



 
西風やむ。
http://www.witheyesclosed.net/post/4169481471/dwd0329#

 昨日は野暮用でお江戸にいきました。どことなく各駅も暗く、エスカレータもほぼ半分くらいが止まっていて、非常事態なんだなぁと感じさせられました。田舎に住んでいてもお江戸に出ればいつも活気に満ちていて、いつもたまには都会もいいものだと思うのだけれど、今回は少し違ったな・・。

 すごく皮肉な話なんだけれど、世界で唯一の被爆国で原子力とか原発などにかなりのアレルギーがあって、昔は原子力の潜水艦などが国内の港に入港するのさえ反対運動していた。あれは一体何のまじないだったのだろう。いつの間にかそんなことはお構いなしに原発がどこどこできていた。我々の悪い癖で、のど元すぎればあっという間に風化してしまって、深く追求することを怠ってしまう。それをあくまでも阻止しなかった我々全員の責任でもある。

 確かに東電や安全委員会の責任は大きいけれど、魔女裁判のように彼らだけをつるし上げてもあまり意味はない。そうやって責任転化することで、また同じ事を繰り返してしまうのだ。それに、彼らが全ての責任が取れるわけでもない。一民間企業が責任とれることではない。あまりにも犠牲が大きすぎる。それを許してしまった我々の責任でもある。

 むかし、軍部が少しずつすこしずつ台頭してきて、太平洋戦争に巻き込まれていった。それに気がついて止めようとした人もいたんだろうけれど、大方の世論というのか流れは戦争も致し方なしという方向になっていったのではないかな。後からなら何とでも言える、そういった流れの中でもはっきり「反対」を言える教育を我々はしてこなかった。またも同じような失敗をしてしまったのではないかな。これはある意味で二度目の敗戦だ。

 大きく価値が変換されるだろう。今まで超エリートでキャリア組みで、サラリーマンなら最高のポジションを取って来た人たちのなんと無残な、無能な、恥ずかしい姿か。こういった人たちが偉そうに国や政治を動かしていたんだな。これもまた昔の軍部と良く似ているなぁ。



 
 明日(5日から7日)まで関西から九州まで風が吹くらしいです。要注意!小さな子供さんや若い女性、妊婦さんは外出を控えたほうがいいでしょう。杞憂に終わればそれにこしたことはない。
http://takedanet.com/2011/04/47_afa2.html


 
 「若く見える」と言うのが多くの場合褒め言葉になるらしい。それは「若い」と言われると何だか得したような気持ちにさせてくれるからかもしれない。私などは反対に早く年寄りになりたかったと言えば、ちょっと違うけれど外れてはいない。負け惜しみじゃなく、年を取ることは嫌ではないなぁ・・。どんな風な衰え方をしてゆくのだろう?ぼけてゆくのだろう?それをどんな風に表現してゆくのか、なかなか興味深い。

 私が髭を生やし始めたのはもうずいぶん前のことで、二十歳過ぎにははやしていたように思う。決して毛深い方ではなかったから、何となくぼそぼそとした貧弱な口ひげを生やしていた。あまり考えたこともなかったのだけれど、ひょっとすると髭を生やすのは若く見られたくないという願望なのかもしれないな。確かに髭を生やすと一つか二つ、へたすれば十歳もふけて見られる。

 だからかもしれないが、昔からふけて見られた。最近は髭も真っ白になって、どこから見てももう立派な爺様で、やっと実年齢と見かけが一致してきたのかもしれない。

 年を重ねることは経験を重ねることだ。それでも「老い」という経験は誰しも初めてのことなんだな。いまだかつて老いを経験した若い人などいないわけだからね。どんな老い先があるのか実に興味深いのだけれど、皆さんはどうなんだろう。

 

 いい歌は人を慰める。
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