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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 明日からまた東京です。絵描きが全国から六本木に集まります。出品した人には、それはそれで結構楽しいお祭りです。絵を描かない人には申し訳ありませんが面白くないと思います。あしからず。

 我々は良し悪しは別にして小さい頃から「理屈をいうな」という教育を受けてきた。四の五の言い訳するのは一番格好が悪い。潔くあれと。まず兎に角黙って聞く。聞けないならそんな振りをする。それが兎に角集団の中で何とか最低限ルールだと教えられる。分らないことは「黙って聞いていろ、そのうちに分る」それも一理ある。

 ある一定の全体的なレベルを上げるなら、まぁこれが一番効率のいい教育方法だと思う。上から流れるように新しい知識が流れてくる。物事を考える必要はほとんどないし、ほぼ機械的に覚えてゆけばよい。日本の受験勉強に限らないのかもしれないが、受験というのはほとんどこういったやり方ですすんでゆく。ここには自分のアイデアを考えるとか、思索するということはほとんど入っていない。

 我々はまず「自ら考えることを止める」ということを何度もなんども繰り返して教えられる。いらないことを考えるよりも兎に角単語の一つでも覚えた方が「役に立つ」と言う風に教えられる。いや実際に言われたことはないけれど、それが暗黙の了解になっているのではないかな。ああでもない、こうでもないと要らぬことをぐだ愚だと考えて、時間ばかりとられているのは一番下の下だとランクされる。

 要領よく一番効率よく「自ら考えることを止めた」人間が、この国では一番いいといわれる学校に入れて、一番いいという仕事にありつけるようになっている。それが超エリートと言われる人間だ。だから始末がわるい。

 内田樹の「辺境論」によると、この日本人独特の学習能力というのは二千年以上の歴があるものでちょっとやそっとでは変らない気質になってしまっている。というのは我々にとって「よきもの、ありがたきもの、優れたもの」はどこか遠いところからやってくると考えられている。例えば「唐様」だったり「洋風」「アメリカン」だったり、全て優れた文物は舶来物で外からやってきたものだ。

 あまりにも凄すぎて太刀打ちできないので、「考えることを止めて」徹底的に真似をする、吸収して取り込んでしまう。日本の文化はそういったことの繰り返しで出来ている。まぁそれが鵺の正体だ。

 もう少し書きたいけど眠くなった。続きは今度にしよう。



 
はる 3591
 言った言葉はすべて自分に跳ね返ってくるのだけれど、そのことは棚において言うしかない。どうも政府は東電だけが悪くて、今回の件は自分たちには責任がなく被害者であるというふうに仕向けている感じが見て取れる。誰かを責任者にしてそれに泥を被ってもらって、手早く済ませて今回のことを風化させたい、なかったものにしたい、あったとしても大したことなくて、早く安全宣言したいという風に仕向けているようにみえる。

 誰が悪いこれが悪いといってもおきてしまったものは仕方ないじゃないの、それよりも早く復興作業に入った方がいいのじゃないか、というふうな何かを見つけられるのが怖くて隠しているように思えるな。悪いのはそこに
こそこそ隠れている原子力安全委員、保安員という官僚だだぞ。何もしないで高給だけもらって、天下り先を考えている、たまたま自分がここの配属になった時に起こった事故でなぜ責任を取らなきゃならないのだ。我々は決められた安全と言われるマニュアルのとおり仕事をしていただけで、それ以上の責任ははっきりいてない。そう顔が言っている。

 法律上は多分責任は問えないのかもしれない。何も失策はしていない。想定内のことであるならば今までどおり淡々と処理できていたわけだ。想定外のことをあれこれ考えて差し出がましいことをする役職ではない。想定外の津波が来て原発が壊れた、その責任は我々にはない。心情的には責任がありそうだけれど、法律上では多分何の責任もないと思われる。だから彼らは淡々としているのだ。悪いのは事故を起こした東電だ。と言う風にね。

 ここからは推論でしかない。間違えている可能瀬もあるので、すらすらよんでくださいな。

 官僚、役人というのはいつもそうだ。自分たちの保身しか考えていない。そのことが次第に組織を蝕んで行くことが理解できない。まぁ多分その中にどっぷりとつかってしまえば、何も見えなくなってしまう。旧東側の社会主義体制もそうだった。全ての人が平等に仕事にありつけて、貧富の差がない理想的な社会。それが夢だったわけだけれどね。人と言うのはそれだけでは生きてはいけないということだ。一生懸命働かなくてもいい、適当にやっても同じだと言うことになれば、嫌なことはやらなくなってしまう。既得権を持ったものはそれを守るために一生懸命になる、本来の仕事以上にね。本末転倒。そうやって次第に社会が腐っていった。

 戦後、戦争責任を問う東京裁判があった。最後の東条英機の姿を映画などでみるけれど、その姿はどこか隣の頑固祖父さんのようであり、軍服姿でふんぞり返ってはいるけれど、どこか憎めないおじさんのように見える。ドイツの戦犯であるところのヒットラーなどとは明らかに違う。彼は明らかな意志をもって戦争を遂行した。連合軍からみれば誰かを最高責任者にしなければ理論上裁判は成り立たないのだろうけれど、本当に彼が責任者なのかどうか、その自覚があったのかどうか、疑わしい。

 負けるとわかっていた戦争になぜ闇雲に突っ込んでいったのか?軍部、官僚の暴走というけれど、本当に彼らだけが暴走していっただけなのか?実態のある、戦争を推し進めていった人なり団体というものが実際にあったのかどうか?当時の軍というのはエリート集団で今で言う高級官僚なんだな。私は今回の原発のケースも同じようなものの気がする。誰かが実質的に責任をとって推し進めたわけではない。だからだれも責任がとれないのだな。集団としては存在するけれど、実体はない高級官僚なんだ。

 で、ここが真実なんだけれど、それを許しているのは実は我々日本人全ての中にある、漠然とした優柔不断な付和雷同型の鵺の様な気質ということだ。

 例えば年金問題でもそうだ。だれも責任をとらない。誰かが意識して年金を騙し取ったと言うならば犯罪にも問えるかもしれない。けれど総体として兎に角進んでしまっている。個人の仕事としては何の問題もなく、淡々と仕事が済んでしまっている。結局いずれは破綻してにっちもさっちも行かなくなるだろうということは何となく予測はできるのだが、そんなことを考える役職にはない。だからまぁいいやとそのままにしておいた。私の仕事は言われたことを淡々とそれ以上でもそれ以下でもなくやることである。

 我々は基本的には凄くまじめで小心である。農耕民族の血が多分そうさせるのだと思うのだけれど、決まったことを疑いもせず、淡々とこなしてゆくということは大いに得意とする。大勢というのか全体の意志というのか、そんなものに実体はないのだけれど、付和雷同型についてゆくのを得意とする。自分の意思で考えることを止めてしまう。その方が多分楽だからだと思える。ある時気付いたのだけれど、それは私の中にもある部分なのだ。

 「自ら考えることを止めてついて行く」という体質は例えば何か大きな事件や事故がおきた時に協力して成し遂げるとか、国がとんでもない状態になって国民全体が一丸となってという風なときには大きな力にはなる。明治維新や二次大戦後など大いなる国難の時にはそれが役に立った。けれど目標が明らかに見えなくなった時には危ないね。どこに行くか分らなくなってしまう。なぜなら一人一人が考えることを止めてしまうからだな。

 多分これからも大きく変る事は期待できないだろうな。けれど変るチャンスではあるきがする。自ら考えて行動する、そんな行動パターンで生きる人が増えてゆけば総体で変ってゆくのではないだろうか。与えられたもの(既成の価値観、誰かのアイディア)ではなく、あるもの(自ら行動して得られた言葉や体験)で工夫して考える、それが自ら考えると言うことだろう。

 しかし、それは良くも悪くも今までの日本ではありえないということだ。



 
はる 3590
 どうもなぁ、少し疲れました。



 
はる 3589
 東京で団体展の仕事がありましてまた滞在しておりました。滞在中も地震が頻繁にありまして、印刷会社の古い建物の中にいると結構怖いものがありました。ここで被災したらどうなるのだろう・・などと考える。まぁことはそう大げさにはならなかったのでいまここにいるわけだけれどね。

 街を歩いていても足元をを見ると結構タイルやレンガが浮いていたり、建物の基礎の部分にひびが入っていたりしますね。今東京は警戒区域です。地下鉄に乗っていても不安ですね。そういった意味では田舎に帰ってくると安心します。

 最近はほとんどテレビもラジオも視聴しなくなってしまったけれど、昔はそれでもテレビっ子で、娯楽といえばテレビを観るぐらいしかなかった。日曜日などは夕飯を家族そろって食べながらテレビを観るというのが、一つの幸福のパターンだったのではないだろうかね。そのころドリフターズの全員集合は特に視聴率の高い番組だったのではないだろうか。

 今日キャンデーズのスーちゃんが癌で亡くなったというのを人づてに聞いた。そうか、彼女たちと同じように年取っていたわけだから、何となく同級生の訃報の連絡と似た感覚がある。特にファンであったわけではないのだが・・。そろそろそんな話が多くなる頃かもしれないな。



 
 何だかおかしいぞ。政府や安全委員会などがやっていることは最初っから信用ならないのだけれど、このところどんどん規制が甘くなって軒並み解禁になっている。素人だから数字を持ち出されてもよくは理解できないのだけれど、何だか原発の事故は終わったような、もうすぐにでも安全宣言がでそうな雰囲気を作っているのじゃないか。もうレベル7を認めたから何があっても怖くない、そんなに安心していいのかな。

 内田樹の「日本辺境論」に戦艦大和の話が出ていた。敗戦間まぢかなあの時期に何でわざわざやられるために出撃したのか。もう戦艦の時代ではなくなってしまっていることは今までの戦いでよく分かっている。大きな図体にでかい大砲載せた戦艦なんて、格好だけの戦いの武器でハッタリでしかない。時代は明らかに戦闘機の時代で、大きな戦艦が参戦してもほとんど役には立たない。そんなことは連合艦隊の艦長は百も承知だったのだ。もっと言えばこの戦争は間違えていると言うことは頭のいい軍人ならほとんど分っていた。

 分っていてもそれを止めることはできない。もう個人の判断ではない何かが、どんどん加速度的にすすんでゆく。それを推し進める何かとは何だったのかというのが、この本の主なテーマだ。

 読んでいて、この本は震災前に出版された本であるに関わらず、まるっきり今回の原発のことを書いてあるような錯覚に陥る。まさに「原発は震災で壊れる」ということが分っていたにもかかわらず、どんどん加速度的に進めて来てしまった。頭のいい東電の幹部や安全委員会や官僚は「原発は壊れる」ということは知っていたに違いない。でもそれは個人の意見でなんとかなる領域ではもう無くなってしまっていた。

 我々の思考の中にはそんな部分が多々あるように思われる。今政府や官僚を批判したけれど、実は私の中にもそういった部分があって愕然とするのだ。あぁあいつらが悪い、分っていながら隠していたあいつらはとんでもないヤツラだと批判してつるし上げるのは簡単なことだけれど、それだけではまた同じ事を繰り返してしまうだろう。

 それは何かといえば、その場の気を読んで趨勢に身を任せてしまう、あえて荒波を立てることを良しとしない、基本的には「和を持って尊しとなす」、場を乱さない、それを良しとしてしまう我々の気質から来ている。



 
 何年も教壇に立ってはいるけれど、最初の授業というのは結構緊張する。40人の目がいっせいにこちらを見ている。この先公はどんな奴なのか固唾をのんで見ている。最初が肝心だな。ここでどれだけハッタリをかませるか、大風呂敷を広げられるか、生徒の度肝を抜くか、半端じゃないなと思わせるか、これが肝心だな。だいたいこれで半年はついてくる。教えることなどあまりない。テクニックでも知識でもない。生徒の気持ちに火さえつければ後の半年は放っておいてもすすんでやる。教育の基本はこれだな。30年やって今頃気がついた。

 



国立美術館搬入口の様子
 
 明日今学期初めての授業があり、来週はどうしても用事でお休みするので今週は授業することにしました。私の授業など一周や二週なくてもたいしたことではないのですが、二週続けてお休みするのはいくら私でもはばかれます。

 東京の行き帰りに内田樹の「日本辺境論」を流し読みした。なかなか面白いことが書かれていた。まだ全部読んでいないので何ともいえないのだが、私がいつも感じているようなことが具体的に的確な言葉で書かれていた。言葉に出来ないことを分りやすい言葉にするのが作家なのだ。

 一つは前にも書いた「末端にも本性がある」ということだ。どんなことにもその本質が等分の確立で含まれていて、一部を調べることで全体が分る。まぁ確立の問題でもあるし、宇宙の本質の問題でもある。

 先の戦争を止めることが出来なかったことと今回の原発の危険性を承知しながら止めることが出来なかったことと本質的には同じ理屈であるということだ。世界を相手に戦いを挑んで勝てるはずもないのだけれど、いつの間にか世論は戦いやむなしという空気になっていった。誰々が悪い、好戦的であったというわけではない。はっきり言って勝てると思っていた人はいなかったのではないだろうか、にもかかわらずずるずると戦争に巻き込まれていったのは、実は我々の中にある「気を読む」という気質のせいだというのだ。

 昨年だっけKYなどという言葉が流行語になった。「空気を読む」らしいけれど、その場の空気を読んで流れに乗る、そのことが一番無難である、そのことが我々の何よりも大切にする論理であるらしい。

 眠いので続きはまた明日。

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 4/19~20は雨に注意。西日本にも風が吹くらしい。子供や妊婦さんは外出は出来るだけひかえた方がいいでしょうな。
http://www.witheyesclosed.net/post/4169481471/dwd0329
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