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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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5/23 参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」小出裕章氏
 

はる 3619
 今日は朝から野暮用で車で松本までドライブ。ドライブなどという洒落たものではなく、単に運転手をしただけのこと。雨の中の高速運転は疲れます。

 色んなブログがあるけれど、お年を召した方でもなかなか機知にとんだ面白い日記を書く方がいらっしゃいます。ブログの面白いところはある意味性別も年齢も経験も関係なく、フラットに面白いか面白くないかで判断されるところだろうな。

 今日一日何をしたか、何を食べたか、誰にあったなどということは極個人的なことで、暑いだ、寒いだ、というのと同じようにつまらない事だ。最初の取っ掛かりはそれでもいいけれど、段々と自分が今何を感じているのか、考えているのか、そんなことを自分なりの言葉で綴ってゆかねばブログを公開している意味はない。

 介護を専門にしている方のブログにこんなことが書かれていた。「人は生きてきたようにぼけてゆく」そうだ。これもどこかできいたフレーズだな。「生きてきたように死んでゆく」とはよく聞くことだけれど、ぼける時もそうなんだ。

 具体的には、意地悪な人はより底意地悪く、けちな人はお金お金といって人様を困らせ、食い意地がはっている人はメシはまだかまだかと言うらしい。極まれにかわいらしくぼける人もいるそうだ。さしずめ私はどうなんだろうか?と思った。

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はる 3618
 浜岡原発もそうだけれど、何か一気に反原発色が大手を振ってかっ歩し始めたような気がする。今まで原発推進派だった人までが「これからはクリーンな省エネで太陽光発電だね」「国を挙げて新しい目標に向ってすすんで行こう」などと大真面目に言われるとへそ曲がりな私はどこか胡散臭いものを感じてしまうのだ。きっとどこかでまたもや金儲けの匂いがするんだろう。

 全く管さんのあの発言によって一夜にしてころっと方向が変ってしまった。今まで反原発はどこかマイナーな反社会的なお上に楯突く不穏な輩というイメージが、一気に反転して急に陽の当たるところに躍り出たようなかんじだ。

 結果オーライのような、棚ぼた式の今回の決定だけれど、どうもな、素直に喜べないところがある。後ろにアメリカの意向というのが見え隠れするのが気に食わない。またそうでなければそんなに簡単に今まで国策としてやってきたことを変更できる訳がない。それに色んな思惑が絡んでいるに違いない。そう思わなければすんなりと理解できないのだな。

 国策として原発を推進してきた書いたけれど、これもアメリカの大いなる思惑があったからだな。元々の原子炉はアメリカの設計だし、そういった意味で原発事業をリードしていたのはアメリカだったんだ。日本はそれをただただありがたがって購入していただけで、豊かな便利な生活には電力は不可欠と脅かされて、どんどん使って、原発もどんどん増やした方が儲かるわけだ。これもアメリカの国策でしょう。

 世界の実験場のようになって、これだけ地震の多い国でありながら「原発は安全」という宣伝でぼこぼこ乱立したわけだ。ところが、今回の事故が勃発して(戦争のようだね)もうこれ以上原発推進は無理だと判断したんだな。アメリカはそういった意味で国家戦略はどの国よりも優れている。そうやって戦争に勝ってきたくにだもの、日本など赤子同然さ。

 で今回の浜岡発言になるわけだ。ここからは廃炉処理にまたもやアメリカさんのお世話になるわけだ。それ以外方法はないからね。それに今度は代替エネルギーの風力発電とか太陽熱はつでんとかのセールスがどんと押し寄せてくるはずだ。

 まぁ負けた振りして、結局アメリカさんを利用させてもらって経済大国になってきたわけだから、結果的には新しい日本を作るには「水戸黄門の印籠(アメリカさんのお墨付き)」が功をそうするならそれもいいかなとも思う。

 
 




 
はる 3616
 例えばアフリカの仮面などもそうだが、生活の中で使われている道具などに施されている簡単な絵や彫り物、装飾などに凄く魅力を感じるわけだ。彼らにとってはそれは我々の言う「美」ではないわけだけれど、明らかに何かしらの基準というものがあるのだろう。

 その基準=理は結構世界中のどこにでもあって、ロシア正教のイコンの中にもあるし、アフガニスタンの洞窟の中や、敦煌のばっこう窟の壁画の中にもある。インドや朝鮮の民画の中にもある。アールブリットのどこか不思議な世界にも見え隠れする。

 意識と無意識、作為と無作為の境にあって意識すればたちまち見えなくなってしまう陽炎のようなものだ。どこか人智の及ばないところにしっかりと決められた理があってそれによって生かされている。

 どうも言わんとすることが上手く言葉にならない。

 前にも書いたけれど吉田秀和が上手い言葉で言っていた「永遠の故郷」この言葉の中には凄くロマンチックな響きがあるけれど、それだけではないある種の真実のようなものが含まれているきがするんだな。

 



 
はる 3615
 原発の方も依然不安定な状態ではあるけれど、もう既に出るものはでてしまって、さらに今まで以上の不幸は起こらないようだ。まぁそれほど最初の(13日)の爆発が凄かったということだけれどね。

 でも、そのことを当時わかって警告を発してくれた人はほとんどいない。東電の一部の人は分っていただけで、自分たちが知りえた重要なデーターを公表することなく握りつぶしてしまった。たぶんとんでもないことが起きる、止めることができない、その事実に足がすくんで何も出来なかったというのが本当の所ではないだろうかね。

 これだけ重大な国家的な危機が起きるような事態を何の備えもなく、利潤を追求する一企業に任せていたということが間違っているのではないかな。安全をチェックする側も身内のような政府内組織だし、エリート官僚だもの。

 「絶対に事故は起きません」という神話のために、もし事故が起きた時の避難訓練さえやっていないし、そういったことのシュミレーションさえやっていなかったのではないか。何とも無能で、無知で無防備であったことか。例えばチェルノブイリクラスの事故が起きた時にはどうするのか,一番に住民に知らせて避難させる、第二、第三・・と普通は考えるでしょう。そんなことが一切やられていない。それもこれも「原発は安全です」のパフォーマンスのためでしょう。だから事故を起こせば隠すのです。

 社会には理念とか理想(とか哲学でもいい)いうものがあって、その大きな柱にそって成り立ってゆくのが西欧的な契約的な社会ではないかな。人は神と違って間違を犯すという前提で成り立っているので、間違えた場合最悪のことを考えて準備が出来る。

 我々のように自然発生的に出来てしまった社会というのは、理念も理想もなく、いつの間にか出来てしまった寄せ集めてきな社会で、出たとこ勝負の成り行き次第というようなところがある。自然(八百万の神)というのがあまりにも寛大で豊かでありすぎたために、過ちも失敗も全て水に流してきれいさっぱり更にしてくれるので、災害に対しても備えることが少ないか、元々そんな発想がない。

 言っても仕方ないことをまた書いてしまった。

 



 
 自分の絵のスタイルがなぜ今の形になってきたか、いつ頃からこうなったのか考えてみる。例によって思いつきで書いてゆくので、結論を期待しても意味がありません。

 まぁ大きく変化したのは97年に今までの油彩から水性のメジュームになったことだな。随分と思い切った変化だけれど、ちょうど間に一年イタリアを旅行していて油彩画を描かなかったということもあるかな。でも実は旅に出る前からひょっとすると帰ってきたらもう油彩は止めるかもしれないとは思っていた。そこのところはなぜなんだろうか?

 油彩画の最後の方ではかなり紙や布を貼ったりしていた。でもそれはやっぱりあくまでも絵の具の補助ぐらいの意味で、油性のキャンバスに紙を貼り付けたりするのはあまり上手く行かなかった。もっといいえばなぜそういった異質なものを画面の中に持ち込むのかということだな。

 我々の学生の頃は、凄く画材について興味が持たれ始めたころでね。今までは何も考えずにただ画材やさんに出掛けて絵の具とキャンバスを買ってきてただ描けばいいと教えられて来たんだけれど、そもそもなぜ西欧の伝統である油彩でなきゃならないんだという疑問がでてくるわけだ。

 そうやって考えると、油彩というのは実に不自由な画材でね。まず乾きにくい。まぁそれが特色であるからうまく使えば独特の味がでるのだが、なぐりがきのような印象派以降の描きかたではある意味油彩である必要はないんだな。

 それはまぁ時代の空気みたいなものなんだろうけれど、多くの絵を描く人たちが「絵を描く材料」について真剣に考え始めたころなんだな。今まで誰も考えなかったこと、例えばキャンバスはどうやって作るのかとか、地塗りは白亜地にして何回も工夫して塗りこむといいとか、絵の具もそれこそ組成にまで立ち戻って研究する人もでてきた。それはそれで結構面白かった。一度はそこまで行く必要があったのだ。なぜなら日本には油彩の伝統がなかったのだからね。

 でもそれは絵を描く本質ではない。無論そこに残って今も真剣に油彩画を極めようとしている人もいる。それはそれで大切なことだろう。

 私も同時代に生息していた人間だから、そういった組成や材料にも凄く興味を持ったし、やってもみた。でも自分にはそこまで厳密に遣り通す根性がなかった。興味も続かなかったわけだ。何か違うという感覚かな。

 今考えてみると、油彩から今の画材に移行する決定的なきっかけは何だったんだろう。色々理屈はあるだろうけれど、どれもこれも当たってはいるけれど、真実ではない気がしている。

 画集にも書いたけれど、例えば絵を描いてそれが何になるんだ?今描いている林檎に意味があるのか?と考え始めると、なぜかむなしくなるんだな。世の中に人に何も必要とされていない、そんなことを一生かけてやって意味あるんか?そもそも世の中の人は絵に何を期待しているんだ?

 そんなことをまぁえっちらこっちら考える。そうすると例えばアフリカの原住民のお面とか、祭りの道具とか、そもそも生活の中でつかわれている道具なんかも、決して西欧的な基準で美を作っているわけではないわな。アフリカでなくても日本でも例えば村祭りに使われている様々な道具なんかも美術、芸術ではないけれど凄く心打つわけだ。

 なんかそこら当たりに解決の方法があるのではないかと、考えたわけだ。眠くなったので続きはまただな。



 
 「「私がここにいる」ということを認めて欲しいと言うことは人一倍強いと思うんだな。ただそれはストレートではない。すごく紆余曲折してかなり分りにくくカムフラージュされてはいる。良く見なければ分らないようには隠されてはいる」

 多くの場合親と兄弟と自分の関係が少なからず投影しているように思う。五人兄弟の末っ子という存在位置は何かにつけて蚊帳の外、一人前に扱われないというところがある。それが長じてなかなか責任のある立場というのが取れない、どこにも属せない風来坊の性格をつくったように思う。これは全ての人がそうであるというわけではなく、私の個人的な無責任な性格が増長されたということで、普遍性はないのであしからず。

 目立ちたいという願望は少なからずあるのだが、親や兄弟が強すぎるので何となく言い出せなくて引っ込み思案になってしまう。兄貴たちより目立ってはいけないというブレーキが自然に利いてしまうのだな、けっして親や兄弟思いのいい子ちゃんではないのだがそんなところは一歩引いてしまうところがある。けれどそれだけでは自分が消えてしまうので、どこかで虎視眈々と浮上するのを狙っている。

 絵を描くという自己表現の方法は誰かの真似ではない。母親が少し絵を描いていたということはあるけれど、絵を描いて生きてゆくという生き方、芸事で身を立てるという生業は両方の家系からは出ていない。まぁそのことが決心するまで長く時間が掛かった理由のようにも思う。決心さえすれば後はなるようにしかならないと諦めもつくのだがねぇ。

 こんなことを書くつもりではなかった。

 自分の絵のスタイルを考えてみたい。ここにも上の少し斜に構えた性格が如実に出ている。けっしてストレートに表現はしない。どこかでカムフラージュしているところがある。

 例えばどんなところかといえば、何だろうなこうできるだけ「わざ」を見せないようにする。まぁ決して上手くはないのだけれど、筆が走るところを見せないとか、配色の洒脱さをあえて見せないとか、この色とこの色を配置すればお洒落に見えることは分っているけれど、あえて外すとか、上手さを見せるなら徹底して最高に上手いならそれも自分の持ち味になるのだろうが、そこそこ上手い程度じゃどこにでもいる。だから徹底して外すことを良しとしている。それが分ってもらえれば私はとっくに世の中に出ている。未だにこんなところにいるのは方法が間違っていたか、そもそも考え方が違っていたか、才能がないか、世間に見る目がないか、どれかだな。

 だから好みの絵もそういった絵が多いな。上手さが見えると「なぁんだ、あんたはそれを見せたいのか?」と底が見えたようでがっかりする。下手くそな、不器用な、作為の見えない絵がいいな。

 まぁ傲慢な独り言だ。見逃してくれ。




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  新聞やテレビだけの情報はかなり操作されている。未だに大本営的な発表だ。どんどんネットで個人的な情報が流れている。嘘やデマも多いので取捨選択が難しいのだけでど、何が正しいのか幼稚でも、間違えても、自分の頭で考えて判断しよう。そろそろ何でも鵜呑みの右へならえ的な人任せは止めにしよう。逃げるのも、留まるのも自分しだいだ。自尊独立で自己責任これが基本だな。人のせいにはしない。これが格好いい。
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