画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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はる 2713
美術系の大学を受験する時に、実技系に重点を置いた受験をするか、学科の方に重点を置いた受験をするか、最後まで悩んだ。もう30数年前の話だけれどね。
一つは受験したのが25歳だったというのが大きい。もうすでにバイトしながらの受験勉強は限界に来ていたので、これ以上の浪人生活はしたくなかった。今ある技術では到底美大には受からないだろう。もう一年浪人して徹底的にデッサンをやれば不可能ではなかったかもしれいけれど、もう根性がなかった。
それから美術系の私学に行くことも経済的に不可能だ。その時は親からの援助は期待していなかったし、許されるとも思っていなかったからな。そうなると選択はしぼられてくる。公立の大学で今ある技術で何とかなりそうなのは、全国どこにでもある教育系の美術科ということになる。
まぁ今なら芸事は習うものじゃないよとか軽くいえるけれど、二十歳そこそこの若造じゃそんなこたぁ分からない。もう一度ゆっくり時間をかけて勉強したかったというのが本音かな。だから場所はどこでも良かったのだ。
ここに決めたのは偶然だ。たまたま昔旅行で立ち寄ったことがあるというだけだ。当時は清里もただのひなびた田舎町で、駅前には売店がひとつあるくらいだった。今のようにペンションなどという言葉もなかった。六甲山しか知らない関西の人間にとってこちらのとんがった山々は魅力的に思えたな。
画家になれるかどうか、絵描きが何たるものか、そんなものは全く考えられなかったけれど、将来的には漠然と東京で発表して行きたいとは考えていた。
はる 2712
かなり朝晩冷え込んでくるようになった。もうすぐ12月だもの、当たり前かもしれないがね。冬物のコートを洗濯やさんから出してきた。この洗濯やさんは冬物の倉庫として預かってくれる。けっこうな場所ふさぎになるのでとても都合がいい。
帯状疱疹のその後。ニ三日で水泡が出来てくる。やっぱりこれはただのかぶれではないことが確かになった。病院でもらった軟膏と少し大きめの抗生剤を飲む。これで何とかなるということだった。少しピリピリとした痛みは残るが、ほぼ一週間で黒いかさぶたになってなおってきたようだ。まぁひどい人は即入院ということだから、早めの対処が良かったのかもしれない。
それにしても、五十肩も左右両方やったし、目の中に蚊のようなものが飛ぶ、ヒブン症というものがあるとか、こういった加齢による障害が順当に出てくる。まぁこれも新しい経験だと言えば全くその通りだけれど、それを楽しむ余裕はまだない。
十代の頃、まぁ思春期独特の色んな体の変化が出てきて戸惑った覚えがある。新しい経験にそれなりにワクワクしたものだが、これからは反対に次第に衰えてゆく工程を見て行くことになる。
そんな諸々のことも含めて自分の一生を客観的に絵を通して報告できればいいのかなと思う。腕が利かなくなればきかなくなったような絵を描けばいい。目が悪くなればボーボーした絵を描けばいい。物忘れがひどくなれば、毎日が新鮮に見えるだろう。
それが私の方法だ。
はる 2710
この週末は小さなコンサートがあって、恥ずかしながら初めて人前で楽器を演奏することになっている。ほとんど誰にも言っていないのは、無論内輪だけの家族コンサートだということもあるけれど、チョー恥ずかしいからだ。
楽器をやりたいというのは随分と昔からの願望で、クラッシックギターをチョロっとやったり、無論独学だけど、オカリナがいいなぁと思ってやってみたり。ハーモニカやバイオリンそんなもの色々取り揃えている。どれもこれも長くは続かない。独学というのはそういったものだ。けっしてある程度以上にはならない。
チェロをやり始めたのも随分と古い。いつものように独学で音が出る程度には弾けた。こわいもの知らずでどんどん譜面を買って来てはCDをききながら真似をして弾けた気分に浸っていたのだが、面白いのはそこまで、もうすでに飽きている。で、そのまま埃をかぶったままになっていた。
独学には限度があることはよく分かっていた。嫌になればやめてしまう。そこを越えないと上手くはならないのだな。人に習うのは面倒だけれど、そこのところをつなぎとめてくれる役割もある。
まぁ一ヶ月に一度のレッスンでは決して上手くはならないけど、恥をかかない程度には楽器に触れるからいいのかな。
はる 2708
130号が上手く行かない。だめだとなると何をやっても上手く行かない。臆病になっているので余計に細かい所に目が行って、結局だめにしてしまう。しばらく放っておくと問題意識が何処かへ行ってしまって、何とかなると一気に開放されるのだけれど、結局それは何の解決にもなっていない。
学生時代、勉強していない時の方が妙に何でも分かっている気になっているものだが、いざ勉強し始めると何も分かっていなくて、あれもこれもやらなきゃいけないものが見つかるのと似ている。結局いつも何かに追われているような強迫観念にさいなまれる事になる。損な性分だ。
今日もたくさんの展覧会のDMが郵送されてきたけれど、どうしてもみたいなぁと思う展覧会はなかった。DMだけを見て判断してはいけないのだろうけれど、何だろう、どうしても見て欲しいと言う切なる願いが感じられない。これって自分のことは棚に上げてしか書けないのだけれどね。
個展やグループ展をやってみると分かるけれど、やってみると意外に簡単に出来てしまう。特にグループ展となるとほとんど丸投げ状態で、自分は搬入と搬出に出かけるだけという感じになってしまう。そうなると、ほとんど展覧会自体に外に向かっての熱意などなくなってしまうんだな。参加しているメンバーだけの展覧会になってしまう。特に何年も同じメンバーでやっているとそうなりやすい。
展覧会というのは本人のためでもあるんだけれど、大きな目的は他の人に観てもらうという意味があると思うんだな。そういったことをもう少し勉強する必要があるだろうね。
はる 2707
来年の初っ端に阪急デパートで個展がある。二年前まではデパートで個展するとは考えていなかった。この調子で行けば、一年おきに東京と大阪のデパートで個展をするということになるだろう。具象系の作家ならいざ知らず、私のような「汚い系」の作家が何処までデパートの商戦でやって行けるだろうか。全国の「汚い系」の絵描きの励みになるように孤軍奮闘、頑張ります。まぁ応援して下さいな。
いつもここで書いているように、私は自分のスタイルで絵を描いている。まぁ本当の絵描きならだれでもそうなんだけれど、努力して精進して上手くなれば描ける絵と、そうでない絵があるように思う。
何処かに見本があって、それに出来るだけ近づけるとか、挿絵のようにイメージを描くというのでもない。言ってみればこれは私の分身で、他の誰にかわることは不可能というのか、意味のないことなんだな。だから嫌いだと言われれば、それ以上どうしようもない。
ということで、東も西もよろしくお願いします。
はる 2705
アメリカの大統領選挙を見ていると、一種のショウを見ているようなダイナミックな面白さがある。いい意味でも悪い意味でもアメリカ的だなぁと思う。そうは言っても、日本の選挙の村芝居よりは何倍も優れている。
大体この国の政治家の意識というのはどうなっているのだろう。例の知事の話だが、他人の不幸をチャンスにしてって上にたつ人がいうか?多分この人はそうやってのし上がってきたんだろうな、だから全く悪いと思っていない。人は自分のやって来たことで人生を計るものだ。よくよく注意しないとお里が知れる。
お里が知れて本人が傷つくだけじゃいいけれど、一応県の顔だからな、そういったヒトを長主に選んだ県民の意識が疑われる。いやいや、そうじゃないな、これが県民(国民)の意識そのものなんだろう、その程度の意識しか育ててこなかったということかな。
アメリカの政治家の演説なんかをちらっときいていると、やっぱりうらやましい、カッコいいものなぁ。国というものは色んな人が集まって出来ているんだ。だから法を作ってそれにのっとって我々はこうするんだ!という意識が見える。ある種の夢を語る、理想を語る。なるほどなぁと納得させたほうが勝つ。色んなことで今アメリカは打たれているけれど、こういった意識が生きて、ダイナミックに変化できるならばまだまだ大丈夫だろう。
政治というのは理想を語るべきだと思うんだ。今お金があまったから配るというのは政治じゃない。無策だな、恥ずかしい。
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