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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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はる 2751
 mさんへ
「20年程前に原点回帰のブームがありました。バブルによって日本人が自信をつけて、はて何故油絵(西洋画)を描いているんだと気付いたことが始まりだった気がします。私の摸索もそこから始まりました。

 色んな飾り物を取り去って一つずつ前に戻ってゆくと、絵は単に描く物(絵の具)と描かれるもの(紙、や布など)に還元されてしまう。

 で、絵の具は「色の粉」をどんな糊でくっ付けるか?で水彩画(アラビヤゴム)、日本画(にかわ)、油絵(亜麻仁油など)と変化してゆく。

 どこに生まれたのか、どんな時代に生きたのか、によって画材は様々に変化する。変わらないのはこの何とも分からない自分と言う存在を見つめたいという気持ちじゃないかな。

 まだ上手く書けません。すみません。ではまた」

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はる 2750
 画材1
 ある雑誌から画材についてのアンケートがきた。いつものようにここでは下書きのつもりで書いてみる。言い回しなどがおかしいかもしれないが、まぁ今考えながらの文章なので勘弁してもらいたい。

 画材は何ですか?と言う質問はよく受ける。見た目が普通の肌合いをしていないので、取っ掛かりとしてそういった質問をするのかもしれないな。材料はこれこれで、どこのメーカーで、どこそこで購入できるなどということは簡単に答えられる。秘密にする気もない。

 けれど、その部分だけを取り上げると全く本質を見失ってしまう。画材のための画材、道具のための道具になる。風見鶏のように何々風がはやればそちらになびき、これこれ風が流行れば又そちらと忙しい。たとえば受験があればそのための傾向と対策が考えられるように、どこまでいってもあなた任せでままならない。かつても私がそうだったように・・。

 材料を選ぶ事自体が自分を見つける、探す旅のはじまりだ。自分に合った画材を見つけることは、絵を描く行為の一部だということだ。その材料を見つけるに至った過程にその人の必然があるわけで、画材そのものにはあまり意味はない。

 私たち日本人は伝統的に「優れたものは海を渡って来る」という遺伝子を持っている。弥生時代の稲作に始まって、仏教や遣唐使の唐物、文明開化では西欧の舶来ものが大挙して押し寄せてきた。最近ではアメリカものかな。

 今の人はどうか知らないけれど、私には油彩の方が何かしら高級なものというイメージがあった。これも伝統的な舶来ものの固定観念のなせるわざなんだろうな。

 全てをフラットに並列に観ると言う事はとても難しいことだけれど、ちょっと考えてみて欲しい。絵を描く材料と言うのは何でもいいのだ。例えば絵の具は「色の粉」をのりで固めたものと考えればいいし、キャンバスはそこらにある板でも、ベニヤ板でも、紙でも布でもいい。筆は学校の教材の筆でも障子を貼る刷毛でも充分使える。

 野の鳥は今現在手に入る材料で巣を作る。特に本物の草でなければとか、藁でなければとこだわることはない。カラスなど庭にある針金のハンガーを器用に使ってオリジナルな現代美術のような巣を作る。今を生きている我々は、今現在身のまわりで手に入るもの全てが画材だと思う。例えそれが身体に悪いものであっても百年後、ニ百年後の人々が見て、今の時代を象徴的に表現されているものであるなら、それも有りかなと思う。

 問題は材料ではない。その材料を選んだ自分のこころの中味が問題なのだ。



 
はる 2749
 今回の金融危機などはアメリカの一人相撲みたいなところがあって、実際これまでは彼の国は腕力にものを言わせて好き勝手にしてきたそのつけがまわって来たにすぎない気がしている。といってもそれに便乗して甘い汁を吸ってきたのも事実だけれどね。

 難しい事は何も分かっちゃいないけれど、案外何も知らない方が事実がよく見えたりするのじゃないだろうかね。

 昔書いた覚えがあるのだけれど、ハリウッド映画に「大逆転」というエディ・マーフィーのコメディがある。大筋はグーグルでも検索すればでてくるからお任せするけれど、簡単に言えばアメリカの大手の投資会社のオーナー二人が、賭けをする。町で見かけた乞食に会社の経営を任せて上手く会社を経営できるかどうか。結果的に辞めさせられるのだけれど、もてあそばれたエディが怒って、そこで知った投資のノウハウでその二人に復しゅうする。で今度は本当に地位が大逆転するというはなしだ。

 まぁ面白おかしく書いてはあるけれど、資本主義社会の危うさみたいなものが上手く表現されているように思う。資本家と起業家がいる。企業家でもいい。資本はないけれど、新しい事業や研究を始めたいという願望がある。資本家はそういった企業家を自分の勘で見つけて投資するわけだ。上手くすれば何倍もの利益を生む。

 社会がインフレでどんどん上昇している時はそういったことでいい夢を見ることができる。明日は今日よりいい日になるわけだ。投資する事で何割かのリスクがあるものの損をすることもなかった。アメリカが一人勝ちしている時はそれでも良かったんだな。

 ところがいろんな国が小さなアメリカ型になってくると、どこかで破綻が起きてくる。まずは人件費だろうな。まともなものが同じ価格で国内で作れなくなってくる。それから価格破壊が起きる。

 アメリカの車は省エネには対応しきれていない。だから日本車などの外国車に完全に負けてしまう。アメリカが取った策は基準の引き下げという姑息な手段でしかなかった。自国の企業を守るだけに躍起になった。そのために反対に今回のような危機に見舞われることになった。抜本的な改革を怠ったからだ。

 「おごれる者久しからず」というけれど、まぁ今回はどうなんだろうかね。
 
 そうそう、この個展中に画集を送ってほしいというメールをいただいたのですが、誤って削除してしまいました。もしこのブログをお読みになったらすみませんがもう一度メールください。すみません。



「美術の窓」2009年1月号個展案内p155
立ち読みして下さい。

はる 2748
 個展の感想を書くかな。お客さんは通常と同じくらいじゃなかったかな。日曜日と祝日は予想通り少なかった。これは銀座の宿命かな。画廊街そのものが閑古鳥が鳴く。

 前半は国画の関係者が多かった。それはこのところの恒例になっている国画のグループ展が今年もまた同時開催されているからだろう。単発でグループ展をやっても人は来てくれないか、非常に少ない。こうやって同時に開催されると否が応でも観に来る人が多くなる。特に地方に住んでいると、とても展覧会一つのためには出かけられないのだな。

 都心やその周辺に住んでいる人にはなかなか理解できないかもしれないが、銀座はやっぱり絵を描く人間には憧れの聖地なんだな。特に我々より少し前の世代いはそうだと思う。ここで作品を発表できると言う事だけで、ドキドキときめいたものだ。たとえお客さんが少なかったとしても「銀座で展覧会ができた」というだけで満足だった。銀座に画廊が何百とあるのはそういったわけなんだな。プロの作家というのが絵を売って生活する人というならば、これは明らかに違う分野の話だ。

 銀座と言う街はゴッホやピカソなどの世界の巨匠から名もない画学生までが、階層が違うとは言え同じ場所で語られる世界でもまれな場ではないだろうか。

 まぁ世界的な大不況ということだけれど、それも含めて今の時代を生きているということなんだと思う。特に芸術だけ娯楽だけ経済だけ切り離して考える事は出来ないのじゃないかな。 ということでめでたしめでたし!



 
 少し体調をくずしてしまった。今日は午前中病院に出かける。原因不明の発熱、抗生剤を処方してもらう。一日寝ていたので、かなり回復したようだ。

 やらなければならない残務整理が残っているのだけれど、まぁぼちぼちやってゆこう。年賀状も出さねばならないし・・。

 そうそう、この個展中に画集を送ってほしいというメールをいただいたのですが、誤って削除してしまいました。もしこのブログをお読みになったらすみませんがもう一度メールください。すみません。



 
 今日はクリスマスイブです。街角は楽しそうなアベックが肩寄せ合って歩いていました。銀座ワコービルを背景に写真を撮る。少しクリスマス気分になりました。早めにホテルに帰ってテレビでも観ましょう。明日は最終日で、4:30までですので間違わないようにしてください。んじゃメリークリスマス。


 個展4日目
はる 2744
 
 今日は祝日のため全体的にはお客さんは少なかった。日曜祝日は休んだほうがいいのかもしれないなぁ。

 個展はやっぱり楽しい。もちろんお客さんがすべて自分のゲストだということもあるけれど、一週間どこか知らない街の住人になるという非日常がおもしろい。

 さて、閑話休題

 pasumoという便利なカードがある。pasumoそのものはもう随分と前に買って利用していた。首都圏ならばほとんどこの一枚で切符を買う手間が省ける便利なカードだ。

 カードなど珍しくない。確かにそうだ。今までも地下鉄はカードを使って乗っていたわけだからね。だから改札を通るときはいちいちカードを財布から取り出して使っていた。面倒だなとは思っていた。

 兄貴に注意されて初めて知ったことなんだけれど、なんとこのpasumoは財布ごと機械の上を通過させることで改札を通ることができる。財布には色々なカードが入っているにもかかわらず、そんなことは関係なくそのpasumoのカードだけ感知してカウントしてゆくわけだ。これは目からうろこ、全く知らなかった。田舎に住んでると電車に乗ることもないわけで、だれも教えてくれなかった。
 
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