忍者ブログ
画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
[108]  [109]  [110]  [111]  [112]  [113]  [114]  [115]  [116]  [117]  [118
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。




 
個展4日目
  「まれびと」さんの感想・承諾をとって転載

「 寝袋持参・泊り込みで現場指導へ行った明けの帰り、大阪に立ち寄って、阪急梅田の百貨店で個展を開いているはるさんの絵に会いに行った。古代の地層のような洞窟の暗がりの濡れた岩盤のようなキャンバスに、鉱物の来歴を物語るために湧き出て来たかのようなさまざまな人物たちがいた。縄文のビーナスのような太った女もいれば、一輪車の上の危ういバランスを保っている道化師もいる。楽器を奏でる孤独な漂泊者もあれば、眠っているようなインカの少女たちのミイラもある。いちばん大きなキャンバスの中央には、染みのような放射能で焼きついたヒトガタのような妙に背の高い人物が浮き出ている。画家はさいしょ、ここにはマリア様を描いたのだと教えてくれた。けれど明確なマリア像がしっくりとこなかったので削り落としていった。するとこんなふうになった。ある老人の客は仏様だと言った。画家は天を見上げる男性だと言う。わたしにはどう眺めてもうつむいた優しげな女性にしか見えない。つまり、ひとはきっと、作品の中にじぶんの心のかたちを見つけるのだ。はるさんの絵の描き方は一風変わっている。キャンバスの上に粗布や絵の具や木片や襤褸切れなどを塗りこめて、それらを削り、また塗りこみ、また削り、その果てしない繰り返し(格闘)のうちにキャンバスの中からやがて何かの形らしいものがぼんやりと見えてくる。まるでハレの日にいずこより訪れるまろうど(客人)のようだ。世界にはそのようにしか得ることのできないものがある。じぶんを削り落としていきながら、最後には、受け取るための手を差し出すだけでいい。気がつけば、それは手のひらに、乗っている。はるさんの絵は、自転車を颯爽と乗り回す人物も、楽器を抱いた楽師も、互いに寄り添う人物も、樹や白壁や窓、緑や真紅や金色の顔料さえも、すべては祈りのかたちなのだと思う。祈る、その始原の場所をさがしているもとめている絵だ。「こたえてください」のタイトルも画題も、それを端的に顕している。ひとは画家の絵を見つめながら、知らぬうちにじぶんの祈りのかたちを探し始めて、ときにもがく。その日、わたしはついに祈りのかたちを見つけられなかった。夜、家に帰ってからネットで見つけたガザの空爆で死んだ子どもたちのむごたらしい写真を子に見せた。子は思わず顔をそむけた。彼女には大きな負担だったかも知れない。それでもわたしは堰を切ったダムの水のように、風呂の中で、布団の中で、子に、ユダヤ人の歴史からアウシュビッツの惨劇、そしてイスラエルの建国、パレスチナの長くいまだ終わることのない絶望の風景を深夜の11時まで喋りつづけ、日頃就寝が遅いことを気に病んでいる彼女の母親にひどく叱られた。どうしたらいいの? と訊いてくる子にわたしは、どうしたらいいか分らない、としか答えられなかった。「こたえてください」とは、天に唾するようなものだ。それでもひとは祈る。所詮、祈りつづける」

 ありがとう。
PR


個展3日目
疲れた。長い文章は書けません。あしからず。
明日、あさっては大阪泊まりです。まだの方は来て下さいよ。待ってます。では。
::::::::::::::::::::::::::::::::
グループ展情報
*2009年1/24~1/30
 第3回TAO展・賛助出品
 山梨県立美術館・C



個展2日目
 疲れたなぁ・・。これは正面の100号の絵です。今回の目玉になってます。

グループ展情報
*2009年1/24~1/30
 第3回TAO展・賛助出品
 山梨県立美術館・C




 
個展1日目
 前回より少しお客さんが少ない感じがする。それでもネットの関係で来てくれた人が多かった。これからは案外ネットのお客さんが多くなるかもしれないなぁ。オフカイではないけれどそんな感じがする。有難う御座いました。

 明日も午前中から雨だそうですが、待っていますので来て下さい。ではでは。



 
 搬入の様子です。まぁ疲れました。明日からですよろしくお願いします。
はる 2771
 デパートが大衆の憧れの場所だった時期はもう終わりかもしれない。郊外型の大型のショッピングセンターは地方に行けば今でも主流でますます大型化して、大駐車場を完備して地元の商店街を閑古鳥の鳴くシャッター街にしながら増え続けている。

 昔ながらの繁華街の店主は、老いぼれて新しく事業を起こすつもりもない。年金もらって暮らす、最後の締めくくりに向かっている。二世三世はすでにサラリーマンになっているか、どこか他の郊外に住んでいて、街中の事には権利以外に興味はない。無論新しく商売を始める元気もやる気もない。かくして街中は寂れる一方だ。

 私の住んでいる町にも昔ながらの老舗の百貨店が一つある。県内ではここが唯一のデパートで贈り物にはここの包装紙が有効らしい。ところがまぁどこでもそうかもしれないが、どこか田舎くさい鄙びた感じはいなめない。若い人は東京に出て買い物をする。そのほうがはるかに楽しいからなぁ。地元で買い物をするメリットというのか意義がまるでない。

 街は地元の人が楽しく集うところであればいいと思う。買い物をしてもそれを着て歩く場所がなければ面白くないし、何よりも観客が欲しい。小さな一本の通りでいいと思う。車を通行禁止にして、お客は町を散策するためにやってくる。オシャレなお店があってウィンドウショッピングできてカフェがあり、居酒屋がある。花屋があったり、骨董屋やギャラリーなど専門店があり映画館がある、夜になってもそこだけは人が集まって灯りが消えない。

 街をもう一度人の集まる魅力のある場にしなければならないと思う。観光客相手に商売をしようというのではなく、自分たち住んでいる大人が二度三度いきたい、楽しかったという街にしなければ、街は活性化しないように思うな。そのためには家でDVDを寝転んで観るよりも映画館で観たほうが楽しかった、良かったと思えるような演出が欲しい。街に出てもファミレスかコンビにかスタバしかないような寂しい街にはでかけたくないものなぁ。

 明日搬入です。午後から出かけます。お時間があれば是非どうぞ。
2009 1/21(水)~1/27(火)
 第47回・榎並和春個展・大阪展2
 
 「いつかきたところ」
 阪急百貨店梅田本店・F9美術画廊Ⅱ
大阪府大阪市北区角田町8番7号
TEL (06)6361-1381
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::



 
これは明石大橋を真下から撮った写真だ。写真になると実際の迫力は全く伝わらないけれど、人が造ったものではダムとかそんなものに匹敵するするものではないかな。最初見るとその大きさに圧倒される。よくこんなものが造れたものだ。

 この場所は私が子供のころに良く遊んだ場所で、魚を釣ったり泳いだりした所だ。今はその面影も無い。鄙びた神戸の町外れが一躍脚光を浴びるスターになった。もどかしいようなさびしいような奇妙な感覚だな。

 駅を降りると潮の香りがした。海を見ると明日の天気の予想ができた。そんな懐かしい風景はもうない。そのかわりに世界的にも有名な夢の架け橋がある。私にとってはどうでもいいことだけれどね。
**
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]


(Design by 夜井)