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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 今日はまたカタログの校正で出版社に行く。一般出品者の作品の色校正で約400点の作品を作者名、タイトル、サイズ、色などを一点一点確認してゆく。まぁ地味な面白みのない確認作業だな。 

 その後銀座に出ていつもお世話になっている画廊、惣のクロージングに出かける。このクロージングは作家の個展の閉会ではなくて画廊そのものがいったんお休みするということだ。とてもさみしい。理由は書かないが、私の画家としてのスタイルをリードしてくれたのはこの小さな画廊で、この画廊がなかったら画家としてのスタートはずっと遅くなった気がする。

 名もない作家が絵かきとしてスタートするのはなかなか難しい。私はこの画廊と知り合うことで幸運にも絵かきとして曲がりなりにもスタートできたけれど、これからのことを考えるとどうしたものかとちょっと不安だなぁ。まぁいつまでも甘えていてはいけないということかな。長い間ありがとうございました。そして虫のいい話ですが、また再開することを希望しています。

 で一応一段落で明日いったん帰ります。

 



 
 今日は仕事もお休み。銀座に出て個展やグループ展を見てまわる。



 
 今日で東京も5日目になる。さすがに疲れてきた。今日は図録の仕事の関係で朝から光村出版の印刷工場のある埼玉県の川越まで行ってきた。何をするかといえば作品のゲラを見て上下やトリミングの適正や文字の校正である。印刷は誰でもできる。ただこの校正がとんでもなく時間がかかって、尚且つ面白くない仕事だ。できるならやりたくはないが、誰かがやらなければカタログが出来上がらないということで、若い会員?が順番に当番をやることになっている。任期は2年で今年はサブというわけだ。

 この2,3日は作品の撮影に付き合う。これもまた延々と作品のタイトルと作者受付番号などを大声で確認しながら撮ってゆく単純な肉体労働で、最後頃にはやや気分的にハイになって間違いが起きるようだ。今までも誰かがこんな下積みの仕事をやっていたわけで、今更ながらお疲れさんでしたと頭が下がる。

 地方にいる作家、私もその一人なのですが、案外幸運でこういった仕事を免除されているところがある。誰かが下働きをやっているのだということを理解している作家は少ないだろうな。

 撮影に立ち会って感じたこと、一般出品者を含めると一度に3百点ぐらいの作品を見るわけだ。それも審査に出るよりゆっくりと真面目に見るという機会がある。一つの作品は一人の作家が大げさにいえば人生をかけてある時間集中的に根性を込めるわけだ。だからそれなりの念がこもっている。多くの場合審査は一瞬に終わる。作者の次に作品を見る時間が多いのは我々カタログのスタッフかもしれんなぁ・・。

 そんなことから、感じたことを一言。いつも想うことは上手い絵は一時だということ。上手い、綺麗、細かいなどという絵はその時はいいと思ってもすぐには飽きる。テクニックなどはあってもいいが邪魔になることが多い。できるなら下手くそなほうがいい。訓練して練習して何度も何度も描き直してそれで、自分の気分などを取ってしまった方がいい。作為のない、ごくごく自然な「あるがまま」そんな下手くそな絵が描ければいい。そんな絵は少なかったなぁ。みんな欲が見えすぎて見ていて辛くなるような絵ばかりだ。

 私の求める方向が違うのかもしれない。



 
はる 2862
 東京2日目
 今日も美術館に缶詰でした。大きな作品の撮影につきあう。疲れました。

 後、光風会という日展系の団体の展覧会を観る。私が属している団体の何でも有りのハチャメチャの会風に比べて良くも悪くもオーソドックス静かな感じを受けた。どちらがいいというコメントは意味がない。そういう会風なのだ。自分に合った会に出品すればいい。出品する以上、いい評価を得て受賞したり会の構成員になることを目指すべきだ。

 私は何年か光風会に出品していたことがあるので、わりと馴染のある作家も多い。私の大学の恩師がこの会の重鎮だ。前にも書いたけれど、日本のこういった団体はもう既に百年以上の歴史があって、日展を頂点に大きなピラミッドを築いている。絵をかかない人にっとってほとんど違いはわからないだろうけれど、日展系と在野というのは大きな違いがあるのだ。

 そうだなぁ、わかりやすく言えば、自民党と共産党ぐらいの違いがある。もちろん日展が自民党だよ。だから絵描きというより政治的な成功を収めたいとおもうなら、光風会から日展に出品して行くのが一応の筋だ。で将来芸術院の会員になる。いや批判しているのではなく、それも一つの生き方だと思う。

 私は嫌だと思ったからやめた。それだけのことだ。

 



新国立美術館のロビー
 東京ライフ1日目
 会員、準会員の馬鹿でかい作品の撮影、疲れた。明日は、時間が取れれば春陽会を見にゆく予定。



 
はる 2860
 午後一番に絵を取りに来る。搬入を頼んでいる運送やさんとはもう長い付き合いになる。公募展にしても個展にしても搬入出は最初は自分で車を運転してやっていた。その方が色々自由だし何より予算が少なくてすむ。いつの頃からか全ての運搬を彼にお願いするようになった。97年の神戸での最初のは大きな作品もあったのでこれもお願いした。それからだろうか。

 彼の軽トラックは少し変わっている。我々が運搬を頼むようになって絵画運送に特化した荷台になっている。普通の軽トラックの規格だと我々のような大きな絵を縦に並べては積み込めない。斜めにすれば充分入るのだけれど、そうすると数乗せる事ができない。で、彼は特注した。ここだけの話なんだけれど、車検の時は普段の状態に、絵を運ぶ時はスルスルと拡大するようになっているのだ。他言は無用だ。

 さてさて、明日から東京です。どんな絵にめぐり会うのか楽しみではある。
 



 
はる 2859
 明日絵を取りに来る。今年も国展が始まる。それにつれて私も約一週間の泊り込みになる。今年と来年はカタログの仕事の役回りなので仕方ないなぁ。

 絵を町の公民館で教え始めて5年ほど経ったかな。最初は5人ほどではじめたけれど、最近は少し増えて10人前後になった。生徒といっても全員私より年上だから人生の先輩ではあるわけで、そこらあたりは戸惑うところがあったけれど、まぁ最近は偉そうに人生訓をしゃべったりして冷や汗をかいている。まぁ物事を教えるというのは鉄面皮にならなければ無理なところもある。

 今年中央の団体展に初入選した方がいる。絵を描くことは人と競い合うことではないので、入選や受賞は目的ではないのだけれど、まぁ人のやることだからそういった目の前の餌につられる事もまた楽しからずやということで大いに奨励している。

 団体展の存在意義が最近はやや薄くなって、少しお金を出せば銀座のど真ん中で個展やグループ展を開催できる機会があるわけで、団体展は無用の長物のように言われるけれど、まぁ趣味で本格的に絵を始めた方など底辺を広げると言う意味では充分に意義あることのように思うな。それに「同好の志」の集まりというのはなかなか楽しいものだ。プロを目指すというのであれば団体展だけではどうにもならないけれど、充分に存在意義はあるように思うな。
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