画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
→ http://enami.sakura.ne.jp
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
甲府展のDMできました。希望があればメール下さい。地元のかたは11月に入りましたら郵送します。お待ちください。
はる 3034
「こえをきく5」
人の一生は「私を見て」というのから始まる。多分人が生きる動機の根本にあるのは多くの場合これではないだろうか。
絵を描くことは修行の一種ではないかと思っているのだが、こころの中が不安になったり、心配事が増えたり、こうやって何か憂鬱な気分になるのはまだまだ修行が足りないのだろうと考えている。で、最近ちょっと考えついたのは、いつまでも他人の目を意識した「私が、僕は・・」というものさしで計っていたのでは、ここから抜けだせないのではないかということだ。
私のモチーフである、祈る人も思索する人も旅芸人も修行僧も漂泊者も山師や祝人も全て私の分身だ。取りつくろうつもりはない。恥も外聞もなく出し惜しみせず晒すこと、その時々の精一杯の私をすべて出してしまう。出し尽くせば、やがて見えてくるものもあるのではないだろうか。
見えないものを観る、聞こえないものを聴く、その時々のこころの「こえをきく」ことが私の仕事のように思う。
はる 3034
「こえをきく5」
人の一生は「私を見て」というのから始まる。多分人が生きる動機の根本にあるのは多くの場合これではないだろうか。
絵を描くことは修行の一種ではないかと思っているのだが、こころの中が不安になったり、心配事が増えたり、こうやって何か憂鬱な気分になるのはまだまだ修行が足りないのだろうと考えている。で、最近ちょっと考えついたのは、いつまでも他人の目を意識した「私が、僕は・・」というものさしで計っていたのでは、ここから抜けだせないのではないかということだ。
私のモチーフである、祈る人も思索する人も旅芸人も修行僧も漂泊者も山師や祝人も全て私の分身だ。取りつくろうつもりはない。恥も外聞もなく出し惜しみせず晒すこと、その時々の精一杯の私をすべて出してしまう。出し尽くせば、やがて見えてくるものもあるのではないだろうか。
見えないものを観る、聞こえないものを聴く、その時々のこころの「こえをきく」ことが私の仕事のように思う。
PR
この記事にコメントする
**
***
****
ブログ内検索
アーカイブ